Extend 2 おれがおれを赦すには
テレビでは毎日のように“青き盾のジャンヌ”の活躍が映し出されていたけれど、おれは冷めた目で観ていた。
そいつはグリッチャーを倒しはする。
滅茶苦茶になった末法の世に希望を唱えるくらいはしてくれる。
ホームレス相手に炊き出しをやっているのも観ていたさ。
でも、路地裏で行われるありとあらゆる後ろ暗い物事には、まるで手を差し伸べちゃあくれないじゃないか。
研究所の職員が一人、殺された。
子煩悩な親父さんだった。
――『……ハンカチは、いかが』
――『まだ泣いてもいないのに?』
――『いや、これから泣くだろうなって思ってさ』
……それからもお嬢とは、死線をくぐり抜ける日々が何度かあった。
でも、もうその頃にはお互いの背中を一寸も疑っちゃいなかった。
――『お嬢。おれの事、まだ嫌いかい?』
――『どっちだと思う?』
軽口を叩き合えるくらいには、おれはお嬢を信頼していた。
お嬢も、おれの肩に頭を預けて眠るくらいには、おれを信頼してくれていたと思う。
お嬢がセンチネルの研究を始めた理由も、その時やっと教えてもらえた。
お嬢には母親がいない。
ショッピングモールで買い物をしていた時、グリッチャーに殺された。
他にも大勢が目の前で死んだという。
同じ境遇の人を増やしたくない。
けれどお嬢にはセンチネルとしての適性がなかった。
それにお嬢は年端も行かぬオナゴを戦場に送りたくないと、ずっと主張してきた。
兵隊さんを無駄死にさせるのも納得行かなかった。
だからずっと、成人した男をセンチネルにする研究をしてきた。
でも上手く行かないから、まずは成人した女から。
やがて、センチネル被験者として何人かが協力を名乗り出てくれた。
海兵隊出身の手練が揃っていた。
計画は順調だった。
お嬢は、最初の頃のキリキリした雰囲気はすっかり鳴りを潜めていた。
どころか、おれのひょうたんの酒で晩酌をし始めた。
――『なぁ、お嬢。毎日呑むのか?』
――『呑みましょう。こんなに喜ばしい事だもの。好きでしょ? お酒』
でも、だ。
前祝いは結局、ぬか喜びにしかならなかった。
研究機関は、告発された。
ジャンヌの手によってだ。
なんでも“国家への脅威を顧みず、極めて利己的な理由でセンチネルを個人保有している”とか。
そんで“エーテルをテロリストに横流しさせ、この世界的な危機に乗じて国家転覆を狙っている”とか。
あいつの戦う相手はグリッチャーであって、センチネルの研究所じゃない筈だ。
どうせ後ろに控えるお偉方が、変な入れ知恵でもしたんだろう。
お嬢は、随分と抵抗したと思う。
おれも、刺客はたくさん片付けた。
仲間は、
使われなくなった地下施設に逃げ込んで、ゴキブリのように隠れ潜んで過ごした。
そこも見つけられて、次は山奥の廃屋へと隠れた。
グリッチャーのいない場所だから、おれでもお嬢を守れるかもと、そう思った。
……でも駄目だった。
お嬢の命は守れても、心までは守れなかった。
ある冷たい雨の降る朝、お嬢は死んだ。
冷え切った躯が、ソファに横たわっていた。
はじめは寝ているだけかと思った。
けれど揺すっても叩いても起きなかった。
頬に口づけをしても、手を握っても、温かさは戻ってこなかった。
ひんやりしたまま、一寸も動いちゃくれなかった。
おれは手前の無力さを呪うあまり、涙も出なかった。
好きな人の為に戦える日が来るなんていう、夢にも思わなかった日々が、崩れちまった。
テーブルには、どこで手に入れたのかも解らない薬と、遺書とも云える日記が転がっていた。
―― ―― ――
30 Apr. '02
一切の望みは絶たれた。
研究記録を巡る水面下の抗争には敗北続きで、既に研究資金も底を突いた。
抗争も、そこに投じられた工作員も公的に存在しないものとされ、私の研究室が受けた被害は全面的に無視された。
それどころか、危険な研究を行なっているとして、設備の殆どは差し押さえ処分を受けた。
ウィルマは今までよく私に献身してくれたが、私はもう手遅れだ。
多くの犠牲と恥辱を生み出した私の魂は、この世の遍く苦痛に限界を迎えた。
私は、これから彼女の友情を手酷く裏切る行為に手を染める。
さらば。
世に呪い有れ。
――――Monika Greighwitz
―― ―― ――
この頁だけが、ビヨンドとして異世界に転生した時、おれの懐に、呪いのように、ずっと、ずっと残っている。
仇討ちの時に、ジャンヌに見せてやりたかった。
「……お嬢」
この頁は、こんな雑魚を燃やした火には焚べられない。
もっと、華やかな炎にこそ、その供養は似合う。
お嬢が自殺したその日に、おれは仇討ちをしに行った。
あの阿婆擦れが孤児院の講演会を終えて、その帰りに。
護衛も無しにうろつきやがって、癇に障るったらなかった。
――『腹が立つくらい綺麗な金髪だこと。本物なんだろ、それ』
――『貴女は、人斬りセンチネルの……――』
――『――仕合え』
――『この地に於ける暴力は、止めねばなりません。貴女が私闘の名を借りた殺戮を望むならば、私は“青き盾”を名乗る者としてそれを阻む義務があります』
観念したのか、奴は槍を構えた。
――『怨むなら存分に。私は此方側に立ち、貴女は其方側に立って刃を交える。そこには正義も悪も存在しません。私は只、合衆国の守り手として受けて立つのみ』
――『減らず口が過ぎて、いっそ安っぽく見えらぁ』
けれども、人斬りセンチネルのおれが、グリッチャーとばかり戦っていたジャンヌに負けた。
ジャンヌの髪を切るだけで精一杯だった。
あいつは、ちゃんと強かった。
大げさな伝説ほどじゃあないにせよ、強かったんだ。
それが何よりもおれの心をざわめかせた。
――『お嬢は、兵士の無駄死にを無くしたかった。一人でも兵が残っていりゃ、親をグリッチャーに殺される可哀想な子供が減るかもしれなかっただろ』
――『そんな大義名分を掲げておきながら、センチネルを増やすという発想に至らなかった事が残念でなりません。
貴女達の世界は路地裏のスラム街だけかもしれませんが、私には合衆国代表センチネルとして、この地球上の遍く国家の秩序を取り戻すという責務があります。見ているものが、あまりに違いすぎたのでしょう』
抜かしやがった。
言うに事欠いて……
鼻っ柱を叩き折ってやりたかった。
でも、おれには、そんな力は残っていなかった。
だから、阿婆擦れの独演会を止められない。
――『貴女は合衆国に仇為す者。されど貴女とてセンチネル。真に成すべき義務があります故――悔い改め、共に戦うと誓うのであれば、手を差し伸べましょう。貴女の進むべき道は、私が示します』
――『クソ喰らえだ。夢枕で小便飲ましてやる』
せめてもの嫌がらせとして、その場で切腹した。
けれど結局くたばりきれなくて。
――『ぶっ、かはッ――痛ぇ……何だよコレ、駄目だこりゃ。ちぃとも効きゃしねぇと来たもんだ。おい、笑えよお嬢。酒浸りの弱った内臓をしてこのザマだ! っふははは!』
――『正気ですか!?』
――『しらふだ。この通り』
早くくたばりたかったから、外套の裏に並べた手榴弾で乾杯した。
お嬢の所に戻る資格すら、おれには無かったから。
薄れゆく意識の中、あの阿婆擦れは立ち尽くしていた。
おれは、しくじった事を悟った。
センチネルになって、その次はビヨンドとかいう、依頼を受けてあちこちの世界に召喚されるものに変わった。
【↑そして、まったく知らない他人に召喚されて、そいつらに“お嬢”の残滓を見出したよな?】
十年じゃきかない、途方もない年月を、ずっと、戦いながら彷徨い続けた。
この安っぽい命が分際風情わきまえず、二度もニンゲン辞めたんだ。
でも、用心棒としての本質だけは、捨てない。
【↑本物のお嬢が転生した事を調べようともせずに、仕え続ける事で罪から逃げようとしたじゃないか】
おれはお嬢を、裏切れない。
お嬢の冷え切った魂が、まだあの世界に留まっているような気がするから。
お嬢から温かさを奪ってきた何もかもを、いつか必ず手繰り寄せて、鏖にしてやろうと誓った。
ビヨンドになってからも、たくさん斬った。
斬り伏せた奴の中には人じゃない奴も大勢いた。
千、五千……挑戦状を叩きつけた相手も合わせりゃ、もっと斬ったかな?
おかげで、こっちに戻ってきてからグリッチャーに苦戦した事が一度もない。
【↑アンタにとっての“お嬢”は一人だけだったのに、裏切った。強さの引き換えがそれか?】
お礼参りの条件としちゃあ、これ以上無いってくらいに上等だ。
ジルゼガットなる面妖な女が、紙切れ一枚ひらひらさせて、おれに「今こそ仇討ち成就の時なのよ」と詰め寄ったと来らァ。
何が後ろにあろうとも、食いつきたくもなるってもんよ。
だから……誤魔化しながら戦う日々は、もうやめにした。
おれは、あの世界の“お嬢”に別れを告げた。
【↑それだけで赦されるか? 代わりを求めて、今更、本物を見つけたから、やっぱりやめます、あっちのお嬢に戻りますって言って、そんな挨拶で赦されるとでも?】
人斬りが、他人様に赦しを求めちゃ仕舞いってもんよ。
おれが、おれを赦せるかどうかが大切だ。
そのためには……――
焚き火に照らされた路地裏からでも、あれはよく見える。
荒れた湖面に掛かる橋。
その向こう岸にゃ、不夜城かくやと燦々きらめく摩天楼。
この先には、奴がいる。
「月次な話だけど、積年の恨みを今こそ晴らさせて頂戴よ」
おれより強い奴を片っ端から殺して回れば、おれより強い奴はいなくなる。
おれが一番、強くなる。
そうすりゃ、お嬢を傷つける奴は誰もいなくなる。
世界で一番の用心棒になれば、おれの安っぽい命を、ようやく赦せる。




