Intro つわものどもが蟲の餌
今回よりMISSION16です。
よろしくお願いします。
「八恵さん、ほら、ごらん」
うらぶれた風貌の青年――風間丁は、車椅子に座るその女性に話しかけた。
丁の優しくも、憂いを帯びた声音。
しかし女性は、丁の指差す方角に首を向けることも、相槌を打つこともない。
「いろんな事があったけど、やっと平和になったんだ」
秘密結社パックス・ディアボリカは壊滅したし、もう此処には自分達を暴き立てようとマスコミが押しかけてくることもない。
世間はもっと別の事柄に夢中だ。
丁が対パックス・ディアボリカNGO団体“焔の眼”の支援を受け“熱波装甲バクフーマー”として戦ってきたことすら、今や思い出話として語られる程度だ。
――『どうして……わたしを殺してくれなかったの……!?』
あの時、胸を抉った言葉も。
もはや遠い思い出だ。
二ノ前八恵。
それが、丁の救えなかった、その女性の名前だ。
八恵は、教育実習生だった丁を優しく導いてくれた。
生徒にも慕われる、快活さと聡明さ。
時には怪人から身を挺して守る程の勇敢さを見せることもあった。
いつしか、丁と八恵は互いに惹かれ合っていた。
丁は、八恵の強さに。
八恵は、丁の優しさに。
ついにはプロポーズにまで辿り着いた。
戦いの日々にも、きっと心強い支えになる。
だが、それも長くは続かなかった。
ある時、丁ら“焔の眼”にも気付かれぬ内に、八恵は秘密結社パックス・ディアボリカに拉致され“妖狐型怪人リーコック・ノヴェム”へと改造されていた。
ノヴェムが猛威を振るった能力のうち、代表的なものは二つ。
一つは数多の怪人がそうであったように、彼女もまたナノマシン装甲を解除して人間形態に戻れる。
もう一つは、背部の九尾を分離させ、一本ずつ独立した洗脳デバイスとして機能させるというものだ。
これにより、リーコック・ノヴェムとしての意識や能力を対象に植え付けることが可能だ。
彼女が学校への潜入を偽装するべく、複数の生徒にリーコック・ノヴェムとしての意識を植え付けていた為に、発見が遅れてしまった。
結局、リーコック・ノヴェムの本体として八恵みずから正体を明かすまで、誰も本体の行方を掴めなかった。
激戦の末、丁は辛くもリーコック・ノヴェムのコアを破壊し、八恵の変身を強制解除させた。
その衝撃で八恵は意識不明状態となる。
その後も丁はずっと戦い続けた。
奮闘の末に、秘密結社パックス・ディアボリカの首領を倒した。
ようやく報われた。
少なくとも、丁はそう思っていた。
……敵は、悪の組織だけではなかったのだ。
それまでのリーコック・ノヴェムの所業の数々と……どこで情報を手に入れたのか、その正体がマスコミによって大々的に報道された。
間の悪いことに、意識を取り戻した彼女が偶然にもテレビでそれを目の当たりにしてしまったのだ。
――『夢じゃ、なかった……わたしが、わたしが何もかも……あれは、現実だった!!』
彼女は罪の意識に苛まれ、手近な果物ナイフで自殺を試みた。
丁がちょうど病室のドアを開けていなかったら、きっと帰らぬ人となっていただろう。
――『どうして……わたしを殺してくれなかったの……!?』
あれほどまでに愛し合った八恵が、弱々しく言い放ったのだ。
それは丁の心を打ち砕くのに、これ以上ないものだった。
命は救えたが、心までは救えなかった。
彼女の頬を伝う涙をぬぐってやる前に、彼女は再び意識を失った。
次に目覚めた時には、物言わぬ人形に成り果てていた。
丁は声にならない慟哭で、目の前が真っ暗になった。
「俺には殺せないよ……殺せなかったんだよ。八恵さん」
傷跡は、あまりにも大きすぎた。
もし八恵を巻き込んでいなかったら、彼女を愛していなかったら。
度重なる悲劇は防げたのではなかったのか。
彼女が廃人になった後も暫くは、マスコミが病院に押しかけた。
意識不明状態である事を“焔の眼”のメンバー達は説明したが、週刊誌はそれをあらぬ形で飾り立てて伝えた。
そして何もかもが終わって、今はその残骸である自分達は忘れ去られようとしている。
……八恵は完全な被害者だった。
自分が巻き込んでさえ、いなければ……などと後悔したところで、彼女の心が元通りになるわけではない。
だからせめてもの罪滅ぼしに、丁はずっと一緒に居続ける事を誓った。
学校側は退職届を受理した。
むしろ、丁にそうするよう指示したのは学校側だった。
丁からすれば、願ったり叶ったりだ。
「……」
公園の喧騒を、丁は熱を失った眼差しで茫洋と見やる。
笑い合う親子、友人同士ではしゃぐ子供達。
「俺は、あの日常を守る為に戦ってきた。戦わされてきた。でもね……」
役目を終えた変身デバイスは今や、ただの腕時計だ。
“焔の眼”本部から解除コードが送信されない限り、変身はできない。
そして本部は既に解体して久しい。
丁は、腕時計から再び八恵に視線を戻す。
「でもね、八恵さん……一番守りたかったあなただけは、守れなかったよ。俺は、どうすれば良かったんだろうね」
答えの出ない問いを彼女に投げかけたのも、これで何度目になるのだろう。
曖昧な笑みを浮かべて、八恵の双眸を覗き込む。
彼女の、焦点の合わない両目には、何も映っていないように見えた。
―― ―― ――
その様子を雀型ドローンで観測していた、秘密結社パックス・ディアボリカの残党。
幹部のダガーマンが毒づく。
「すっかり腑抜けになっちまって、まぁ呑気な野郎だ……! 願わくば今すぐ息の根を止めてやりてぇ所だが……今度は機動隊や公安の連中に装備が量産配備されて、ますますやりにくくなった。クソが!! やるなら今だろうが、今!」
それを側近のチョッパーヘッドが宥める。
「まあまあまあ! 議長殿には“秘策”の議書を提出し、無事に賛成と任命を頂けました。 これで我が組織も持続可能を得たも同然……クッフフフフ」
チョッパーヘッドは発言に横文字をとにかく入れたがるため、ダガーマンはいつも辟易していた。
「あー、何が言いたいのかさっぱり解らん……オメェの言う“秘策”ってのは何だ?」
「なに、メンバーが固定されすぎると、思想やアイデアが硬直するでしょう? かといってウチのホムンクルス兵は議論できるほどの知性が無い。
そ・こ・で! ちょっとした外注ですよ」
両手でろくろを回すようにして語り始めるチョッパーヘッド。
「嫌な予感がするんだが……」
たじろぐダガーマンを他所に、アジトの倉庫からゲートが開いた。
現れたのは、二人の少女を従える、見知らぬ男。
「ごきげんよう、俺だ」
黄色いコートをたなびかせ、彼は片手を軽く上げた。
ディアボリック・コアによるナノマシンセル侵食を受けていない筈なのに、それに匹敵する禍々しさと力を感じさせる。
「こいつぁ一体、何者だ」
「これぞ! 魔界より召喚した、ビヨンドと呼ばれる本物の悪魔ですよ」
幾らか説明に語弊こそあれど、脅威になりうる事くらいはダガーマンにも伝わってきた。
丁……バクフーマーは、新たなる戦いを強いられようとしていた。




