Extend3 仄かなる道標
今回は久しぶりのサイアン視点です。
ボクは、能力を抑制する首輪の内側に指を入れて、少しでも蒸れを抑えようとした。
この首輪のおかげで無闇に魅了の魔眼が暴発しないのは助かるけど……今みたいに少し火照っていると困る。
闘技場を見下ろすと、グレイ・ランサーもといクレフ・マージェイトが、ダーティ・スーに容赦なく蹂躙されていた。
助けに向かう人達もいるけれど、大体は外の上空に襲来した、魔王軍とやらの対応に追われている。
……ねぇ、ナターリヤ。
台無しになっちゃったね。
ボクはこの闘技大会の本当の目的を知っている。
いわゆる“チート能力持ち”の転生者や転移達の戦闘データを集めて、そのデータを基に最強のホムンクルスを作るためだ。
そのために、わざわざ隠れ蓑にするための人間の錬金術師を招いてまで、大会に出資した。
帝国の首脳部に働きかけて、
邪魔をされた事で、ナターリヤはひどく憤慨していた。
よりにもよってその邪魔者がダーティ・スーと、魔王軍なんてわけのわからない連中だったからというのもある。
制御下に置いてあったと確信していた筈なのにこうして飼い犬に手を噛まれるのは、彼女としても面白くないのだろう。
当然といえば当然。
人間を思い通りにコントロールしつつ、対象の人間たちに「どうして自分たちは思い通りの人生を送れないのか」と困惑させることに心血を注いでいるのが、あのナターリヤなのだから。
ままならない世界への報復。
自分の受けた痛みを、そっくりそのまま――或いは倍にして返す。
きっとそれが、ナターリヤの生きる理由だろう。
多分、ホムンクルスもその一つだ。
本人は何も言わないけれど。
どうせ訊いても、はぐらかすに違いない。
ボク達の後ろではクロエの成れの果てが檻の中で、薄汚れた白いボロ布に包まれた身体を鉄格子に何度も打ち付けながら、ひっきりなしに騒ぎ立てている。
「クレフぅうううう!! いらない、あんなヤツ!! 一真君は!? ねえ、一真君を出してよッ!! 私の一真君が出てこないなんて、どうして!? 嫌がらせッ!?」
ナターリヤは顔をしかめたまま振り向きもせず、手振りで部下達に指示を出す。
すると部下の一人が、壁の大げさなレバーをガッチャンと倒した。
「ああああああああッ!!」
クロエは鉄格子を伝う電流に全身を焼かれながら絶叫する。
ボクと同じく首輪で能力を封じられているから、以前のように口から炎を出すこともできない。
可哀想に。
彼女はちょっと前まで娼館で働いていた。
ボクの魅了で精神に操作を加えることで、移植された男根で男の人を掘る行為に抵抗感を無くさせた。
さぞかし腹立たしいだろう。
彼女達自身にとっては“操作された上で幸福を感じるようにさせられた記憶”として残り続けるのだから。
――『こいつの股ぐらに素敵なメンバーを迎え入れて、サイアンが愛し続けろ』
ダーティ・スーはボクに、そう言った。
真意は測りかねたけど、いずれこの陣営から脱出するにあたって、命令の内容がひどければひどい程、世界がボクに向ける同情は大きくなると思う。
たとえボクの発案だとしても、ナターリヤが悪者扱いされればされるほど、ボクの責任はナターリヤのほうへと棚上げされるだろう。
一体、どこまでが計算づくなんだろう……?
想像するだけで薄ら寒い気持ちになる。
……思い出せ。
ボクはこの世界に何を望んでいた?
この世界に転生してきて、何をしようとしていた?
……ボクのスタートは、誰もいない廃墟からだった。
けれど、寂しさなんて無かった。
広がりゆく可能性に胸が踊った。
性別が前世と同じ女の子だったのも、好都合だ。
男だと、下手したらセクハラになっちゃうしね。
ボーイッシュな見た目で、水面に映る顔は自分で言うのも何だけど母性本能をくすぐる幼顔だ。
空色の上着に、グレーのズボン。
腰に差してあった細い剣。
絵に描いたような金髪碧眼も相まって、お伽話の王子様みたい。
とにかく前世のボクのような無力な存在じゃない。
身軽で、動体視力も良くて、力持ち。
野生のイノシシを一突きで倒し、片手で空き地に運んでいける。
だからボクは、前世で果たせなかった事を始めた。
それは、奴隷解放だ。
前世はいわゆる現代日本だけど、くだらない男たちに食い物にされる女の子はいっぱいいた。
いなくなってしまったボクの古い友だちも、その一人だった。
この世界は冒険者がいっぱいいるという。
ボクもギルドに登録して、冒険者になった。
各地の小悪党から、道行く怪物たちから、女の子を救い出す為に!
……それが、最初だった筈だ。
結局、ボク自身が怪物だったことに気付かされた。
結局ボクは怪物に成り果て、欲望の赴くままにロナの身体を弄び、作り変え、操った。
それだけじゃ飽き足らず“魅了の軛”なんてものに頼って、手勢を強引に増やした。
ボクが望んでいたのはそんな事じゃなかったのに。
そうして結局、人の形を捨ててまで挑んだ勝負にも負けた。
その果てに、戦って奪うだけが“解放”じゃないってことに気付かされた。
抑圧と共に保たれていた平和を終わらせる。
そのために、奴隷に高額な税を課すよう仕向けた。
対象となる貴族に娼婦を差し向け、ボクがその娼婦に憑依。
憑依するとボクの能力を引き継げる。
魅了の魔眼で貴族達には精神操作を加えて、強引に押し通す。
もちろん、しらふに戻られても疑問を持たれないように辻褄の合うシナリオを用意してもらった。
自分の魂が化物の身体に宿ってしまったなら、それを自覚しながら、それを最大限に活かせる戦い方がある筈だとボクは思う。
――『いつか、あたし達にも、自分が自分であることを気負わなくて済む時代が来ればいいのにね』
ノイズの混じった映像のように、昔に消えた大切な人――ボクの古い友だちの、困ったような笑顔がフラッシュバックする。
キミの言う通りだったよ。
……愛耶。
ボクはいつだって、自分のすることが正しいものであるという前提で、突っ走ってばかりだった。
その結果として、キミを追い詰めて自死を選ばせてしまった。
ボクはキミが死んでしまった結果だけを嘆いて、恨み続けたけれど。
因果関係が間違っていた。
ボクがキミの自死に加担していたのは明らかだった。
どうして、気づくのがこんなに遅くなってしまったんだろう。
ボクはキミを愛していたと錯覚していて。
その実、ボクはキミを“隣に居させる”ことに恋い焦がれていただけで。
だからボクは、キミを引き止める時に……
――『キミの行いは正しいとは思えない。キミを殴り倒してでも正しさの道へと引き戻してみせる』
売春行為に手を染めざるを得なかったキミが、どれほど思いつめていたのか、確かめる機会は永遠に失われてしまった。
ボクが追い詰めて殺してしまった。
売春を通報して、教師の協力を取り付けて。
キミは反省文提出、それから退学処分を受けてしまった。
あの時、ボクは「もう二度と道を踏み外すなよ」とキミに言った。
――『みんなあたしを鳥籠に閉じ込めようとする。きみも同じになってしまったね……』
……。
ボクはもう、間違えない。
人間の持った薄暗さ、汚さ、弱さ、そのせいでなってしまうものを否定しない。
否定しないまま、手を差し伸べることを考えるよ。
追憶に耽っている暇なんて無い。
ボクは雑念を振り払うように頭を振って、それから仮初の主人へと顔を向けた。
「ナターリヤ。先行試作型ホムンクルス部隊は配備できなかったの?」
「ステイン教授から提供を受けた光線銃も併せて配備は済ませましたぞ」
声のトーンが低い。
ボクが想像していたより、かなりイラついているな。
「正確に言えば、転生者の一人に指揮権を移譲しましたな。我輩の世界の原住民は、転生者や転移者を必要以上に特別視するきらいが――」
ここで、扉が勢いよく開けられる。
「――ボス!」
「何か」
「侵入者です。犬の獣人が、異世界人を連れて現れました。
異世界人の大半は、我が方に雇い入れている者らと同じ、アメリカ人かと。
なお、一部に日本人らしき者も見受けられます」
「ほむ。まとめて連れ戻しにでも来ましたかな……匂いを覚えられたら確かに此処を探し当てられるのも容易。
では、社会のルールを教えて差し上げよう。サイアン、能力使用許可を与えますぞ」
「……はい」
「匂いを覚えられたなら、次はトラウマを記憶に刻み付けてやるのですな。フハーハハハハ!!」
高笑いが響く。
そして、檻が開かれ、クロエが放たれた。
ぐったりと倒れ込む彼女は、股間をくっきりと盛り上がらせている。
「そいつも使うがいい。我輩は別室でくつろぎながら、見物しますぞ」
……きっと、ボクは悪者にしかなれない。
そうして、歪んだ正しさを押し付ける人達を、悪の道へと引きずり込むことで、その歪さを思い知らせてやることしかできない。
でも、それでいいんだ。
それこそが、ボクだけができる、手の差し伸べ方だから。




