第5話
‡第五話‡
トンナムの任された部隊は、国境の山岳地帯に駐留することになっていた。
そこまでは、サイに乗って一時間もかからない。
「ビェービビッビェ〜〜♪ ビェァァァアッビビェー♪」
最近エルナンで流行している歌(♪アオザイのあなた:作詞作曲チャンパーズ)を口ずさむトンナムを、チャプラが不思議そうに眺めた。
「何か良いことでもあったのかぁ?」
「ビィィィッビェ……っや、べ、別に……」
まるで自分が浮かれていることに初めて気付いたように、慌ててしかめっ面をしてみせるトンナム。
(ははぁ〜ん、こりゃトンマニュとなんかあったな……わかりやすいヤツ)
普段からそんなにテンションが高いわけではないこの王子が、たまに陽気になるとしたらそれは、父と何かしら触れ合い(たいしたものでなくとも)があったときだ。
「俺はただ……う、初陣だから気が高ぶってるんだ!!」
(素直じゃねぇ王子さまだねぇ……)
まるで、父を好きになるのを、恐れているみたいだ。
宿営地であるトンクィン山のふもとに着くと、さっそくトンナム達はテントを張り、食料や治療道具を搬入した。
先程まであんなに晴れていた空は今、黒い雲に覆われている。
「一雨きそうだな」
季節風の影響で、この季節はやたらと雨が多い。
強くなってきた風に体を震わせると、トンナムは薬と包帯が入った壺を持ち上げた。
トンナムの的確な指示により、宿営の設置と荷物の搬入は順調に進んだ。
(実はこーゆー仕事向いてんのかな、俺……)
戦場で活躍できればなお喜ばしいのだが、こう言う場面で部隊を指揮するのも悪くない。
もしかして、父はこのことを思ってここに配属してくれたのかもしれない。
朝の一件があってから、トンナムはなんとなく浮かれていた。もちろん父を嫌いなことに変わりはないが……
(一人の戦士として、俺のことを見てくれたんだよな)
そうやって自分を納得させたトンナムは、壺を搬入しようと近くのテントの入り口に近づいた。
「……でも、……トンナム様の……」
「……が……素晴らし……」
(ドン少尉と……レイ軍曹?)
テントの中で何やらひそひそと会話しているのは、この隊のリーダー格の二人だった。
しかもこれは、自分のことを誉めているのでは?!
(後でチャプラに自慢してやろう!)
そう言う軽い気持ちで、トンナムはこっそりと聞き耳を立てた。
「でも、いくら不仲とはいえ、こんな部隊に配属するとは、陛下はどう言うお考えなんでしょうね?王子殿下の実力なら、前線に出ても大丈夫なはずなのに」
「なんだお前、知らんのか?殿下と陛下のこと……」
「いや、仲がよろしくないのは知っていますが?」
「やはり知らんか……実は、これは絶対秘密なんだが……トンナム様は、陛下の実のお子様ではないんだ」
その瞬間、まるで氷塊を飲み込んでしまったかのごとく、トンナムの全身の血が凍った。
(……え、今、なんて……?)
「なんでも、亡き王妃に御子がいなくて困っていたところ、丁度トンナム様がメンコン川に流されていたのを拾ったとかで」
ドン軍曹の説明は、派手な破砕音にさえぎられた。
「「?!」」
何かの割れる音に驚きテントから顔を出した二人の目に、走り去るトンナムの背中が見えた。
「しまったっ! 王子殿下ぁぁっ!!」
……背後から少尉の声が聞こえた気がしたが、そんなのどうでもいい。
「はぁっ、はぁっ……」
「おぃ、トンナム?!」
トンナムは走った。途中で、兵の配備から戻ったチャプラにぶつかったが、それでも足を止めなかった。どこに向かうかも考えずに、ただひたすら走った。
「はぁっ、はぁっ……」
いつの間にかトンナムは、川辺に辿り着いていた。国境沿いに流れる、メンコン川の支流――トンナムの、生れ故郷。
「俺、は……」
呼吸が乱れ、頭の中は真っ白で、何も考えられない。
本当の息子ではない――どうして今までその考えに至らなかったのだろう。
あんなに冷たくされて、あんなに嫌い合って、それでもそんな事微塵も考えなかった理由……今なら自分でもはっきり分かる。
本当は……
「トンナムっ!!」
息を切らして走ってきたのは、いつでも自分の傍にいてくれた男だ。友、と思っていた。ついさっきまでは。
「チャプラ……お前、知ってたのか」
驚くほど冷たい声が出た。
「トンナム……その……」
暫らくためらった後、友と呼んだ男は静かに頷いた。
「そうか。じゃぁ俺は、父上にも、お前にも裏切られたんだな」
「ち、違うんだトンナム、俺は」
「黙れっ!! もう何も聞きたくない!!」
「話を聞いてくれ!」
「嫌だ!!」
急に熱いものがせりあがってきて、自分が泣いていることに気が付く。
「俺は! どんなに冷たくされても父上が好きだったんだ!! 父上に認められたくて、だから耐えてきたんだ! お前のことだって……なのに、なのに!! 何でだよ! 俺はただ王朝を継ぐための道具だったのかよ!!」
「それは違う!! トンマニュは……おい、トンナム、やめろ!!」
背後の川に飛び込もうとしていたトンナムの手を、慌ててチャプラが掴む。
「離せっ……?!」
この川が自分を運んできたというならば、この川に還るのも悪くない……そう思って振り向いた川の向こうに、何か人だかりが見えた気がして、トンナムは抵抗をやめた。
「……! トンナム、この話は後回しだ……戻るぞ!!」
メンコン川の対岸には、完全武装した全身タイツの集団がこちらに向けて歩きだしていた――。
[続く]