悪役令嬢手遅れ物語
「のどかね……」
エリザベスは馬車の中から外を眺めポツリと呟いた。
そこには緑が広がっていた。いや、緑しか広がっていなかった。
見渡すばかり、緑、緑、緑……。
「田舎だわ……本当に。田舎だわ」
今までエリザベスが日々を過ごしてきた煌びやかな王都とは正反対だ。
人もほとんどいない。あるのは緑ばかり……そう緑。
「どうしてこんなことになったのかしら……」
「それはお嬢様。お嬢様がルーテシア様を虐めたからです」
そう返してきたのはエリザベスの前に座る男だ。
執事服に身を包み、白銀の長い髪を後ろにきっちりと結ぶ青年は、眼鏡の奥で誰もが見蕩れるほどの微笑みを見せていた。
エリザベスはその男をギロリと睨む。
「私は悪くないわよっ!少し虐めてやっただけじゃないの!それをあいつらは大袈裟に非難して……」
きーー!と悔しげにエリザベスは声を漏らす。そんな様子をにこやかに彼の執事は見ていた。
●○●○●
たしかに。たしかにとエリザベスは思うのだ。
たしかにエリザベスはルーテシアを虐めたし、まあ?それなりに?やりすぎだったかもとは思っている。
思っているが……これはないではないか。
こんなど田舎に追放だなんてあんまりだ。
エリザベスは公爵家の娘だ。金の髪にエメラルドの瞳。誰もが羨む美しき容貌に、抜群のスタイル。
エリザベスは何もかも持っていた。地位も名誉も美貌もそれから……誰もが憧れる最高の未来も。
エリザベスには婚約者がいた。そしてその婚約者は時期国王という地位を持った男だった。そうエリザベスは未来の王妃になる予定だったのだ。
予定だった……そう、過去形だ。現在エリザベスの婚約は解消され、それどころか、田舎に追放という悲惨な事態になっている。
どうしてこんなことになったのか。その原因はルーテシアという一人の庶民の女が関わっている。
この国にはある決まりがあった。それは魔力のあるものは十六になる時に魔法学校に入学しなくてはならないというものだ。
魔力とは魔法を使うために必要なもので、魔力があれば基本魔法は使える。
また、魔力を持つものは少なく、それ故に魔力保持者は国の宝とも言われている。
そしてそんな魔力保持者は基本貴族に集まる。
魔力は遺伝によって強さが決まるためだ。魔力が強いものは、大体が高位貴族だ。
もちろん公爵家の娘であるエリザベスも莫大な魔力を持ち、魔法学校に入学した。
そして、そこで事件が起こったのだ。
エリザベスが入学した年にある庶民が入学した。
貴族に魔力保持者が集まるといえど、庶民の中に魔力保持者がいない訳ではない。毎年数人は入学してくる。
問題はそこではないのだ。問題はその庶民が……高位貴族に匹敵するほどの魔力を持っていたことである。
その話は学園を駆け巡り。彼女は注目の的になっていた。
正直この時点からエリザベスは気に食わなかった。
庶民のくせに私より目立ってんじゃないわよっ!と。
だが、そこはエリザベスの大きな心で許してやったのだ。
所詮は庶民。私の足元にも及ばないでしょうと。
だが、それは打ち砕かれた。よりにもよってあの女、エリザベスの婚約者シーザー様に手を出したのだ。
庶民のくせにシーザー様に話しかけ、庶民のくせにシーザー様と笑い合い、庶民のくせにシーザー様と常に一緒にいた。
これが許せるであろうか。
公爵家のエリザベスが、庶民のルーテシアに、婚約者を盗られるなんてっ!
そしてエリザベスは虐めを開始したのだ。
まず彼女を孤立させた。そして次に悪い噂を流した。さらに物を盗み、時には壊した。
だんだんと元気の無くなっていくルーテシアを見て笑いが止まらなかった。
が、その愉快な気持ちも長くは続かなかった。あの女、シーザー様にチクリやがったのだ。
そして、私は公衆の面前で糾弾された。
しかもシーザー様だけではない。学園で人気の男共も共にだ。彼女は学園でハーレムを作っていた。
この公爵家の令嬢であるエリザベスが、庶民のルーテシアをちょっと虐めただけであんな恥辱を与えられた。
許せる筈がなかった。
周りは、学園で地位の高い男共を恐れてだんだんと離れていった。
いつの間にか悪い噂も流れ初め、ルーテシアにしていたのと同じように虐められ始めた。
最後にエリザベスの元に残ったのは執事であるリュクレシオだけになっていた。
そして、あの日だ。
あの日、エリザベスはリュクレシオが用事があるからと一人で歩いていた。
周りからは嘲笑や、非難の声が聞こえてきていたが、公爵令嬢であるエリザベスは下を向くなど、許されないし許せない。
だから、精一杯胸を張って歩いていた。
そして目撃してしまったのだ。あの場面を。
『リュクレシオさん……!我慢しないでください!』
そんな大っ嫌いな女の声が聞こえ私はそちらに視線を向けた。
そしてそこには彼女を慕う男共と、リュクレシオがいたのだ。
信じられなかった。リュクレシオだけは味方だと思っていたのに、今彼の手をルーテシアは両手で握り締めている。
私は声を出すことも動くことも出来なかった。どうして?なぜ?と疑問ばかりが頭を駆け巡る。
『私……知っています。リュクレシオさんはエリザベス様のお家に大きな御恩があるのですよね……。でも、私はそれを利用してあなたを縛り付けているエリザベス様が許せませんっ!』
『っ!』
縛り付けている。たしかにそうかもしれない。リュクレシオは幼い頃にどこからか、父に連れてこられた人間だった。
美しいリュクレシオを気に入ったエリザベスは自分付きの執事にして欲しいと我が儘を言って無理やり自分の執事にしたのだ。
『ねえ?リュクレシオさん。私達と一緒に行きましょう。エリザベス様から解放されましょう。大丈夫です。シーザー様達皆も協力してくれると、おっしゃいました』
『そんなの許さないわっ!』
気付けばエリザベスは叫んでいた。
たしかにエリザベスは彼を縛り付けているかもしれない。
だが、それの何がいけないと言うのか。
リュクレシオはエリザベスの執事だ。なら縛り付けて構わないではないか。
彼は、彼はエリザベスの所有物なのだから。
それなのに、勝手にエリザベスからリュクレシオを取り上げようとする。
地位も名誉も、婚約者もほとんどの物をルーテシアに奪われた。
そしてルーテシアは沢山の物をここで得た。
地位も名誉も、自分の婚約者を含めた沢山の人の心も。
それなのに、まだエリザベスから奪おうとするのか。
もうリュクレシオしかいないエリザベスから、それすらも奪いさろうと。
そんなの許せない!許さない!
突風が吹き荒れる。もちろん自然のものではない。エリザベスの魔力により作られた風だ。
学園では魔力を無闇に使わないようにと魔力を制限する腕輪をはめられる。
だから、ほとんどの者が大きな魔法を使うことは出来なくなっている。
そう、ほとんど。例外もいるのだ。
エリザベスは高い魔力を持つ。それはこの王族を凌ぎ、魔力だけなら国一番の力を保持していた。
そんなエリザベスに腕輪などあってないようなものだ。
エリザベスは怒りのままに風を操った。怒声や悲鳴。名前を呼ぶ声。全てを無視してただただ力を使い続ける。
エリザベスはルーテシアを怒りのままに壁に叩きつけた。
咄嗟にルーテシアは防御の魔法を使ったようだが、半分も力を削げなかったらしい。
悲鳴と共に意識を失っていた。
『エリザベス貴様……!』
シーザー様の怒鳴りつける声がしたけれど、そんなのは全部無視だ。
エリザベスに重要なのは、庶民の女に心を奪われた婚約者などではない。
自分の執事だけだ。
エリザベスは執事に駆け寄る。そして胸元の服を掴み、全力で顔を近づけた。
『ねえ!あなたはどこかに行ったりしないわよね!?私の傍を離れないわよね?!許さないわよ!そんなこと!』
『お嬢様……』
驚いたようにリュクレシオは目を丸くしている。
常に笑顔を浮かべて余裕の表情を崩さない彼のこんな姿は初めてだった。
だから、不安になった。彼までも消えてしまうのではないかと思って。
だが、リュクレシオは優しげな微笑みを浮かべてくれた。そして
『大丈夫ですよ。お嬢様。私はいつだってあなたのお傍におります』
と優しく言ってくれた。
その言葉に周りの喧騒など聞こえなくなった。
●○●○●
その後。校内で魔法を使い、故意的に人を傷つけたとして、エリザベスは学校を退学になった。
家では見放され、勘当まではされないながらもど田舎の領地へと追放される事となった。
その際、ついて来てくれた使用人はリュクレシオだけで、向こうでは二人で暮らさなくてはならなくなった。
ちなみに当然婚約は破棄され、たしか庶民であるルーテシアと婚約を結んでいた。
どうして、こんなことに……。と追放先へ向かう馬車の中で黄昏てみる。
たしかにやり過ぎたのはわかるが、もう少し情状酌量してくれてもいいではないか。
身分の高い者が下の者を虐げるなどよくある話だ。しかも今回は、それなりに理由もあるのだし。
そう考えていたところで、唐突に思い出したことがあった。
そして絶望した。あ、これ乙女ゲームだ、と。
今更、記憶が溢れて来た。それは前世の記憶だった。
前世は魔法などない世界で、そこでは科学が発展していて、その科学の力によりエリザベスの前世は乙女ゲームという擬似恋愛を楽しむことのできるゲームにはまっていた。
その中の一つのゲームがこの世界と全く同じだった。
そのゲームの舞台は魔法学校で、主人公は貴族ばかりの学校に入学する。そこで数人のイケメンと出会い恋に落ちる。
とまあ、こんな内容だ。
そして、エリザベスはそのゲームの中で、悪役令嬢の役だった。主人公の恋を邪魔だてする役である。
そして、その悪役令嬢は最終的にど田舎へと追放されていく……あ、これ自分だ。と気づくのに時間はかからなかった。
ああ。いまさらだ。本当にいまさら。いまさら思い出した所で何にもならない。手遅れだ。
もういっそ思い出さなくてもよかった。あの時こうしてればと後悔ばかりが募る。
「私って本当な馬鹿だわ……」
エリザベスは馬車の中でしみじみと呟いた。
●○●○●
「お嬢様は本当に馬鹿ですねぇ」
窓から差し込む月明かりに照らされているエリザベスの頬をリュクレシオは愛しげに撫でた。
エリザベスは完全に寝入っており、目を覚ます気配はない。
王都にある屋敷を出て、このど田舎にある屋敷に来て数日がたった。
近くに住む者に管理を頼んであったので、壊れたりなどはしていないが、やはり今まで暮らしていたところと比べると大分煌びやかさに欠けた。
そのことにエリザベスは文句を言っていたが、酷く嘆くことはなかった。それどころか今まで暮らしていたところよりも随分小さくなったとはいえ、それなりに大きい屋敷の管理に苦労していたリュクレシオをエリザベスは手伝い始めていた。
掃除などしたこともないと思っていたのに、思っていた以上に掃除をしっかりとしている。
そのことに驚きながらも、有り難く行為を受けることにした。
毎日、せっせと家事を手伝っていくエリザベスはその反動か夜にはぐっすりだ。
まあ、普段あまり動かないお嬢様であったのだから仕方ない。
リュクレシオは深く寝入っている、エリザベスを見つめる。
既に何十分か経過しているが、飽きることはない。
「ふふ……」
笑いが漏れる。
愉快で仕方なかった。
この寝顔を見れるのはもはや自分だけなのだ。これが愉快にならないはずがない。
「馬鹿なお嬢様はきっとお気づきではないんでしょうね?私がこうなるように誘導したなんて」
公爵令嬢であるエリザベスがこんな地で、リュクレシオと二人っきりで生活することを余儀なくされるように仕向けたのは何を隠そうリュクレシオだった。
「ずっと羨ましく、妬ましかったんですよ」
最愛のエリザベスに想いを寄せられ、最愛のエリザベスと最後には結ばれる運命を持っていたあの男。この国の王となる予定の……双子の兄、シーザー。
リュクレシオとシーザーは実は双子の兄弟だ。
それを知っているのは、自分と公爵。それから両親だけ。
この国には双子を忌む風習があり、王家に双子が生まれた場合、後に生まれた方を殺さなくてはいけない。
そして、その風習通りリュクレシオも殺されるはずだったのだ。しかし、リュクレシオは今もこうして生きている。
それは両親と公爵のおかげだった。
両親は自分の息子を殺すことが出来なかったのだ。だから、両親は息子を殺したことにして、王の親友でもあった公爵に託した。
そうして数年は身を隠して暮らし、七歳の時に公爵邸へと移り住んだ。
その時に出会ったのが五歳のエリザベスだった。
エリザベスはリュクレシオを気に入り、自分の執事に!と望んだ。公爵は渋ったが、カモフラージュのために使用人の子供としておきたかった公爵はリュクレシオの了承を聞くとそれを許可した。
執事と言っても、まだお互い子供で、ただの遊び相手みたいなものだった。
エリザベスは我が儘な令嬢だった。馬鹿だなぁと思うほどに愚かな所も短絡的な所もあった。だが、不思議なものでそんな面が日々を過ごすうちに可愛らしく見えて来るようになった。
自分でも今だに不思議なのだが、気づけば自分はどういう訳かエリザベスを愛するようになっていた。
だが、エリザベスとリュクレシオが結ばれる事はない。
リュクレシオの生まれがどんなに高貴でも、今はただの執事だ。公爵令嬢である彼女と結ばれることなどありえない。
そう実感し、シーザーを酷く羨んだ。
同じ兄弟であるはずなのに、しかも二卵生とはいえ双子であるのに、シーザーはエリザベスの婚約者なのに対し自分はただの執事。
それが悔しくて仕方なかった。
だが、転機が訪れた。 それは魔法学校に通っている時のことだ。
シーザーがただの庶民の女に恋をしたのだ。しかもエリザベスに隠す様子もなく。
これは好機だと思い、実行に移した。
エリザベスにルーテシアを虐めるように誘導し、また気づかれないように手も加えた。
そして、最後にはあえてエリザベスに非難が行くように仕向けた。
そして、あともうひと押しというところで、ルーテシアに呼び出された。
いったい何の用事なのかと訝しみながらも、もしかして全てバレたのではと不安を抱えつつ呼び出しに応じると、ルーテシアがよく分からないことを口にし初めたのだ。
彼女はいったい何を言っているのだろうか。
自分が我慢している?エリザベスと共にいることに?意味が分からない。
しかも、ルーテシアはエリザベスが自分を縛り付けていると言ったが、残念なことにそれは違う。縛り付けていてくれるなら嬉しいが、特にそう言う事はない。
しかもこの女さり気なく自分の手に触れてきている。
白手袋をしており直接ではないため耐えているが、いい加減に離して欲しい。
どうやってここから立ち去ろうか考えている時に、突然エリザベスの声がした。
そしてエリザベスは魔法を使い、ルーテシアを壁に打ちつけると自分の元に駆け寄り、自分の元を離れるなんて許さないと言った。
その瞬間嬉しさのあまり惚けてしまったのはしょうがないことだと思う。
その後、この事件のことで密かに旦那様に呼ばれた。
旦那様には流石にリュクレシオがしたことは全てお見通しだった。
旦那様は疲れたようにため息をついた後に驚くべきことを口にする。
『こうなっては仕方ない。エリザベスをお前にくれてやる』
と。
今回の事件によりエリザベスは結構な大物を敵に回してしまった。
その大物というのはシーザーを含めた彼女のハーレム要員達だ。
エリザベスが順風満帆に社交の世界を生きていくのは難しくなってしまった。
まあ。それを見越してリュクレシオが手引きしたのだから当然だが。
エリザベス様のことが可愛くて仕方のない旦那様は本来ならば屋敷から出したくなどないが、王都で暮らすのはエリザベスには酷だろうと、遠くのどかな田舎の屋敷へとお嬢様を向かわせた。……まあ、少し田舎すぎやしないかとは思ったが。
その際、他の使用人はこちらから拒否させていただいた。
せっかくエリザベスにリュクレシオしかいないと思わせたのに邪魔はしないでもらいたかったので。
と、こうして二人だけの生活が始まったのだ。
「まぁ、こんなに上手くいくなんて思いませんでしたが」
ルーテシアには感謝してもしきれない。エリザベスをこうして自分だけの物にしてくれたのだから。
エリザベスの髪を一房とり、唇にあてる。
美しく、艶やかな金の髪。
「お嬢様?覚悟してくださいね?」
沢山待たされたのだ。もう我慢など出来るはずもない。
エリザベスはもう、シーザーの物ではない。リュクレシオの物だ。
「愛していますよ。これまでも。そしてこれからも……」