畜生 meets 畜生
陽炎揺らめく猛暑の中を、犬畜生を背負った山羊畜生が征く。
一面岩と砂の海を彷徨うのは、言わずと知れた畜生僧兵──イヌーとヤギィ。二人共に旅塵にまみれて酷い姿だ。
「み……水……いや、酒……」
「チッ……! 相棒、しっかりしやがれ……!」
出発から四日目──極限の離脱症状の中にいる二人は、下手な餓鬼よりも余程渇望を感じさせた。特にイヌーの方は深刻だ。全く呑んでいないせいで離脱症状が酷く、更には長毛種なのが災いし、暑さにやられてほぼ逝きかけている。
はてさて今彼が見ている夢は、天国と地獄一体どちらだろうか──譫妄気味にうわ言を繰り返す彼を背負いながら、ヤギィは思う。
やがて見渡すかぎりの砂漠の彼方に、うっすらと見えてくるものがある。二、三度目をこすってみても消えないそれが、段々とハッキリと焦点を結んでいく。
「おい……見ろよイヌー! 見えたぜ! ネバダ鎌倉だ!」
「あぁ……? ありゃ涅槃じゃないのかね? 儂にゃBUDDAが居るようにみえるぞ」
「バカ、ありゃ釈尊だろ。間違いねェって! あそこまで行きゃ酒と紙があるぞ!」
「酒……!?」
途端にイヌーは、ヤギィの背中の上で発条仕掛けの玩具のように起き上がると何度も鼻先をそよがせた。その鋭敏な嗅覚で一体何を捉えたのだろうか。瀕死の中年畜生の身体が、震えた。
じょぼぼぼぼ──破れ袈裟越し、背中に生じる生暖かい感触。
「うぉぉぉい!? ついにやりやがったなッ!!」
ヤギィは慌てて背中から突き落としてブチ切れたが、要介護畜生はどこ吹く風。
「どうしたヤギィ、何をしてる!? フアレスの連中も待ちわびておるぞ!」
すっかり調子を取り戻したイヌーは、しゃばだばと漏れ続けるモノを止めようともせずに一目散に駆けていく。因業力まで使って走ったせいで、後ろ姿はあっという間に豆粒だ。一体どこにそんな力が残っていたのだろう。……あと、水分も。
「あいつの野生っぽいとこ見るの、初めてかもなァ……」
まぁそれはそれとして──相棒の言う通り、現場のチームも痺れを切らしているだろうし、ヤギィ自身も限界が近い。とっとと中で一枚引っ掛けないとおかしくなりそうだった。
背中のお礼を考えるのは後回しにして、彼もまた走りだす──太陽が背中の感触を一刻も早く乾かしてくれるよう祈りながら。
◆
ネバダ鎌倉についた二人は、早速に各々が求める物にありつこうとほうぼうを走り回った。その結果覚えた印象は、この国は豊かではあるが優しくは無いということだ。
「ちくしょう……相州の奴ら、畜生だからって足元見やがって……!」
「韻踏んでまで怒ることか? 寺院以外じゃどこもこんなもんだろうに」
「限度ってもんがあるだろ! なんで紙束一斤で2000万ジンバブ円も取られなきゃいけねえんだ!? しかもこれ羊皮紙だぞ、共食いじゃねーか!」
「共食いぐらいなんだ。儂とてトンスルで我慢しておるワン」
「この駄犬! 食糞野郎! お陰で軍資金ほとんどねーんだぞ? 」
「……うっさいのぅ。そんなら合流地点で稼げばいいじゃろ」
がなる相棒をなだめつつ、イヌーが顎をしゃくって行き先を示す──今二人が歩いている若宮ハイウェイの先にあった。寺院と造りがよく似た、ジンジャ形式の巨大な建物。
無数のネオンサインが刺激的な光の乱舞で人々の目を惹きつけ、鳥居の前で無数のバニー巫女が客を出迎える。まるでその極楽浄土の入り口だ。
眩い店内に一歩足を踏み入れれば、ニンゲン、餓鬼、畜生を問わずに様々な遊興で己の運を試し合っている。あるものは大勝ちして高笑いし、またある者は全ての財を使い果たして嘆きの声を上げている。
今も二人の目の前では、ニンゲンの客と蟹魚人の客がベースボールナックルで熱戦を演じている。やがて数度の攻防の末、愚直にチョキを出し続けた甲殻類が勝った。
餓鬼のディーラーが腕を高々と掲げて自らの勝利を宣言すると、かたや項垂れる敗者の頭に冷たい銃口を突きつける──おまちかねのPayback Time。
──PAM! PAM! PAM!
ニンゲンは死んだ。脳漿をまき散らして物言わなくなった彼が、やがてムクリと立ち上がる。引導を渡され、餓鬼になったのだ。
思考能力を奪われた彼が、唯々諾々と支払いに従う。有り金はおろか身ぐるみまでひん剥かれる。だがその表情は晴れやかだ。生命の次元を一段落ちた彼は、飢えの代わりに考えぬ幸福を手に入れたのだった。
なんとも痛快で罰当たりな光景──ここでは外の世界の理屈は通じない。金さえあれば誰もが強者になりうるし、そうでなければ畜生以下の扱いを受ける。
数多の夢と欲望が交錯し、様々なドラマを生み出すこの場所こそ、ネバダ最大のレジャースポット──ラスベガス八幡宮。メキシコ本願寺が指定したランデブーポイントである。
「……本当にここかよ? 人が多すぎるぞ」
「だからこそ畜生でも目立たないし、その分落ち合うまで時間もかかる。先方が我々を見つけるまで、一勝負といこうじゃないか」
そう言って背中を叩いたイヌーは、なけなしの軍資金を全て六文銭に変え、意気揚々と奥へ奥へと向かっていく。
だがヤギィはハッキリと見た──その目はどことなく淀み、背中は心なしか煤けていたのを。
これは嫌な予感しかしメェ──さりとて中に入らない訳にもいかず、ヤギィはしぶしぶ彼の後を追うことにした。
◆
二人が選んだのは、『Kawara』と呼ばれるシンプルなゲームだ。手持ちのチップを石ころに変え、それを延々と積み上げる。制限時間内に他の客よりも高く積み上げれば勝ちというシンプルなルール。上位三着までが配当を得られるが、時折ディーラーが横から蹴倒し全てを台無しにする。
また、制限時間内に積めなければ親の総取りだ。今もまた、餓鬼のディーラーがバナナの皮を踏んで盛大にすっ転び、せっかく積んだ石のタワーをバベルよろしく突き崩したところであった。
「ああくそっ、またかよ!? ……なんだか沼にハマった感じがするぜ」
「そう焦るな。これだけ天井高めなら、当たればきっとデカいはず」
「ヤギィ知ってるよ。それ沈む奴の台詞だって」
うんざりしながら羊皮紙を噛むヤギィ。そろそろ種銭も危ういというのに、相棒は一向に聞く耳を持たない。どうやら酒だけでなく博打にも目がないようだ。有り体に言ってクズである。
彼は顔なじみのゲーム好きの餓鬼、ゴローの顔を思い出す。こんな時彼がいれば……益体もない愚痴が口をつきかけたその時だ。
ごった返す店内の一角から、どよめきが沸き起こる──何ごとかと目を向ければ、そこには牝畜生が一人。バニー巫女さえ霞むような美貌に、布面積のごく小さいカクテルドレス。衆目の視線を一心に集めながら、孤高の牝は物憂げな眼で周囲を見回し、アンニュイなため息をついた。もう長いこと探しものが見つからない──そんな風情。
「ヘイ、見ろイヌー! ありゃ噂のPorn Starって奴じゃねえのか!?」
「馬鹿者、ありゃ恐らくニンゲンが囲った淑女だ。それより勝負に集中せんか。次こそ勝つワン」
窘めるイヌーを他所に、ヤギィは目を逸らせない。去勢済みの相棒はともかく、若さみなぎる彼にとっては刺激的過ぎる格好だった。思わず疼く求愛衝動。辛抱たまらず腰を浮かせかけたその時、図らずも彼女と目があった。
途端、牝畜は微笑を浮かべてするすると近づいて来る──近くで見るとますますソソるいい牝だ。
程なくして、その牝畜生はヤギィの側に腰を下ろした。大量の六文銭をディーラーに見せびらかし、ゲームへの参加を宣言。
ディーラーが銭を預かり、準備にとりかかったその直後──二人にしか聞こえない声で囁く。
「合言葉を?」
「「!!」」
二人は一瞬そちらに目を向けかけ、寸前で何とか堪える。どこに延暦寺の目があるかわからない。配られた石を吟味する振りをしながら、正気に戻ったイヌーがやはりかすれた声で囁いた。
「我ら畜生、結束は固い」
符牒を確認し、コクリ頷く牝畜。
ほぼ同時に、ゲーム開始の合図。三者三様に石を積み上げ始める。他にも客は居たが、俄然注目を浴びているのは畜生3人。ディーラーも彼らをマーク。気にせず黙々と、しかし素早く確実に積み上げる。うず高く積まれていく石の塔。ディーラーはまだ動かない。時間ギリギリを狙ってカットをするのは明白だった。3人共目を合わせず、互いの手元だけでコンタクトを交わす。本願寺同士で通用するハンドサインで雌狐が主張──『我に秘策あり』。男二人は了承を示す。そしてついにディーラーが行動開始。トーストを口に咥え、鞄を持って猛烈なスタートダッシュ。片っ端から積まれた石をなぎ倒していく。ついに畜生3人にロックオン。もはや意図を隠そうともしない。激突の分水嶺──牝畜生が動く。嫋やかな指先を己の豊かな胸元へ。胸元を覆う布地がチラリまくりあげられた。刹那に満たないサービスシーン──見えそで見えない絶妙なフィッシング。その瞬間、ディーラーは使命を忘れて欲望の充足に走った。よそ見で駆け抜けギャラリーと激突。不興を買ってリンチに合う。
タイムアップ──勝負の結果は雌狐がトップ、イヌーとヤギィがほぼ同着。完全無欠のJack Pot。アップセットに巻き起こる大歓声。それに応えながら、改めてお互いの素性を交わしあう。
「フアレスのタマーモよ。来てくれて感謝してるわ」
「やぁ、これはまた妖艶な牝畜だ。儂は『赤い寺院』のイヌー。こっちが相棒のヤギィ」
「ハイ、ヤギィ。とってもウタマロな角ね?」
「あ、ああ……。アンタも、その、すげえBig Titsだな。何食ったらそんなになるんだ?」
「馬鹿者、初対面で聞くことか!」
「いいのよ、自慢の武器だもの。……それより彼、草食なのにとってもワイルドね。ステキ」
タマーモと名乗った牝畜生は艶然と微笑むと、突然ヤギィの首に両腕を巻き付け、強引に唇同士を押し付けた──瞠目する山羊畜生に、周囲の羨望の声と視線が集まる。
暫くの間奏してから身をはがすと、抱えきれぬチップを適当にばらまいて席を立った。
「目立ち過ぎちゃったみたいだし、裏口の方でまた落ちあいましょう。隠れ家で仲間を紹介するわ」
現れた時と同様、颯爽と去りゆく彼女の背を呆然と見送るヤギィ。生まれてこのかた寺院ぐらしで、これまで牝と出会ったこともなければ恋したこともない。
なのにいきなりコレは、いささかシゲキが強すぎる──小悪魔KITUNEのスキンシップにすっかり魂を抜かれた様子に、相棒がニヤけながら言う。
「……お主、わっかりやすいのぅ」
「っせェ犬コロ。絡んで無ェでとっと換金してこい」
憮然として相棒のケツを蹴りあげ、一人立ち去る山羊畜生。
だが高鳴る鼓動と下の愚僧が収まるまでに、もう暫くの時間を要するのだった。