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畜生 on the Warter

「……ギィ、おい、ヤギィ!」


 ハッとして瞼を開けると、そこには雲ひとつ無い青空。燦々と太陽が降り注ぎ、目の端で渡りの鳥畜生が悠々と横切っていく。先刻までの風景とはにても似つかない光景。それで、ようやく自分が今何をしているのか思い出した。


 カンボジア本願寺を出発して3日目。メキシコ本願寺からの依頼で請け負った非正規作戦『Operation:FUKUROW CASTLE』の為、ヤギィは相棒のイヌーと共に洋上を旅している途中だった。


 二人が法師ムドーの指令を受けて飛び出したのが三日前。徹底した隠密行動を取らなければならない為、普段足にしている万能自転車は使用許可が降りなかった。


 その為彼らは、足の付かないペットボトルシップをPolmartで調達し、海を渡った遥か東方、相州西海岸への船旅を余儀なくされた。そこまではいい。任務の性質上、不便を被るのは承知の上だ。ただこの時、彼らは実に運に恵まれていなかったのだ。


 僅かな糧食と路銀だけを船に積み込み、出発して二日目──それまで穏やかだった海が突如荒れた。


 やにわに上がる水しぶき──近海を荒らす魚人(サハギン)倭寇の一団だった。手に手に獲物を持って現れた彼らは、問答無用で二人を襲う。今にして思えば、彼らはエラ呼吸だから大気中では喋れないのかもしれない。


 とにかく没交渉の内に戦闘に陥り、アウェーの環境に苦しみながらも何とか戦場を離脱すれば、今度は行く手に立ちはだかる入道雲。背後には未だ倭寇の手が迫っていて、針路の変更はかなわなかった。


 続いてのトラブルは先日無断通過した積乱雲──野球要塞テンリの真下で起こった。荒天に逆巻く波に揺られ、その上空からフライの雨あられが降り注ぐ。これをファインプレーでキャッチしてどうにか切り抜けた頃には、彼らの命綱であるコピー用紙も骨っ子も海の藻屑に成り果てていた。


 おまけにヤギィは不慣れな海戦で、盛大な船酔いに陥る羽目になった。何とか危機を脱したはいいが、相当な時間をロスだ。スネークの身柄のこともある。急がねばならないのに遅々として進まない。船酔いも収まらず、舟の上で身を横たえている内に、いつしか眠ってしまっていたのだ。

 どうやらその間相棒は首輪と船の間にリードを付けて、一心不乱に犬かきで漕いでくれていたらしい。


「悪ィな、兄弟……。何時間寝てた?」

「2、3時間といったところだな。もうじき昼になる」


 ヤギィはムクリと身体を起こすと、二・三度頭を振って懐から気付けの一服──非常用ポケット・ティッシュをまさぐってみる。しかし残った最後の一袋は、既に潮風と湿気にやられて半分液状になっていた。

 残っているのは、本来の用途で使ってコンビニ袋に捨てた、正真正銘のゴミだけ。


 逡巡──誇りを取るか、渇きを取るか。だがそれもわずかの事、少しでも現実の味を噛み締めたくて、なんとも情けない顔付きでもちゃもちゃと噛む。

 しっとりとした青っ洟の感触が、なんというか、つらい。それでも噛まずに居られないのが、悲しき紙中毒の畜生なのだ。こうなれば一刻も早く目的地へついて、新鮮な紙を貪らなければ気がすまなかった。


 一面ただ青と蒼の景色の中、波間に顔を突っ込んで顔を濡らすと、ようやく人心地ついた。それを見計らうようにして、イヌーが再び口を開く。


「……だいぶ(うな)されていたようだが、悪い夢でも見たかね」

「あー……いや、悪夢っつうかおセンチな夢っつうか……。ともかく、らしくもねえ(・・・・・)モンだ」

「……ふむ?」


 イヌーは尚も問いたげな様子であったが、ヤギィとしてはこれ詳しく話す気はない。夢の中でニンゲンだったなどと口にしようものなら、どんな解釈をされるやら──『ようやくニンゲンの素晴らしさに気づいたか』とかなんとか、ぞっとしないことを言い出すに違いない。


 確かにニンゲンは、自分達畜生の飼い主だ。中には主を持たないものも居るが、基本的に畜生というのは本能的に彼らを慕う。彼らに師事を乞うことで人語を解し、因業力を身につけることができるからだ。


 だが同時に、ニンゲンは彼らを縛る。糧を得る為に手段を与え、彼らの期待にこたえる事こそ至上の幸福と教えを説く。でも本当に、それが畜生の幸福なのだろうか? たとえ貧しくとも、厳しくとも、思うがままに生きるほうが遥かにずっと尊いのではないのだろうか? あの夢の牛畜生のように。


 繰り返す自問に答えは出ない。イヌーなら、それが調教(しゅぎょう)不足からくる煩悩だと喝破するだろう。ヤギィはそう思わない。何度も引っかかる内は、素直に教えに従い切ることが出来ないのだった。

 たとえ輪廻が巡ってきたとて、今のところ彼はもう一度畜生に生まれることを望んでいた。


「……にしても、とことんクソッタレな扱いだな。非正規戦(イレギュラー)なんざ二度とやらねェ」

「そうボヤくな。法具の使用許可が降りただけでも儲けものだワン」


 精一杯に虚勢を張るイヌーだが、彼とて無傷で魚人の手を免れたわけではない。それでも山育ちで遠泳経験皆無のヤギィはペットボトルシップに寝かせ、途中から少しでも距離を稼ごうと犬かきでさんざん泳いできたのだ。いかに屈強な畜生とはいえ、その疲労は生半可なものではないだろう。ましてや相棒は、盛りを過ぎて衰え始めた年頃だ。それを補う因業力とて無尽蔵のものではない。


 それでも愚痴一つこぼさないのは、忍耐力と忠誠心にあふれる犬畜生であるが故だ。日頃はその様を見て『野生が足りない』だの『愛玩畜生』だのと口さがなく揶揄するヤギィだが、過酷な環境でもひたすらに忠義を果たす先任畜生にはいつだって敬意の念を抱かされる。

 夢の中で見た牛とは違う魅力──『理性』を芯にした渋い魅力が彼にはあった。


「……でっけぇ借りが出来ちまったな。陸についたら休んでな。箱根ロッキーを超えるぐれェまでは、陸路は俺が運ぶよ」

「ああ。悪いがそうさせて貰おう。だがあまり無理はするなよ」


 イヌーはハッハッといつもの息だけの笑いを漏らすと、再び黙々と犬かきを始める。ヤギィはこの際徹底的に体を休めることに決め込んで、Nice boatに身を沈めた。

 空は快晴、穏やかな波。典型的オーシャンパシフィックピースの午後。


 ──ぎゅるるるるおおおお。ぐおごごご。


 不意に、腹の虫が切なそうに鳴き出した。登場2コマで瞬殺されそうな、弱々しい響き。


 あまりにも長閑で静かなものだから、いやでも空腹を意識してしまう。

 だが未だ道半ば──二人が普段口にするようなものはどこにもない。苦り切った表情のヤギィ。イヌーは水面で苦笑すると、振り返って後方を指さす。


「こんな事もあろうかと、後ろのキャビネットに食えそうなものを拾っておいた」

「おっマジか? さすがは忠犬、いや猟犬だな」


 途端にテンションの上がったヤギィは、褒めてるのか貶してるのかわからないコメントを残して早速に後ろ甲板に飛びついた。巨体がはねたせいでざんぶと船が揺れ、危うくリードで繋がれたイヌーの首が締まりかける。

 ウキウキと引っ張り出してみれば、そこには乱雑に巻かれた濃緑の海藻。


「昆布かよ……」

「そう嫌そうな顔をするでない。儂なんか魚人(サハギン)だぞ? 骨に歯ごたえがなさすぎるわい」


 見れば傍らの餌皿には、エラの当たりをバッサリとやられたイワシ型の魚人が、まるまる一匹うち捨てられている。炎天下にさらされてひどい悪臭を放つそれに比べれば、ずいぶんとマシなものだろう。


「……ま、しゃあねえやな」


 諦めて生臭い海藻を口の中に放り込み、ごぎゅりごぎゅりと臼で引くようにして噛みしめる。ヌメヌメとした感触が口内に充満して気持ち悪い。だが噛めば噛むほど出汁が出てきて、段々とその味が癖になってくる。意外と悪くはないかもしれない。


 相棒の様子が落ち着いた頃を見計らって、イヌーも船に上がって魚人の頭にかぶりついた。あまりの臭みに鼻をつまんで咀嚼してみたが……意外なことに、これが美味い。どうやらキャビネットに密閉されていたおかげで程よく発酵し、アミノ酸と核酸豊富な旨味成分が染み出してきているらしかった。特に目玉がいい。ゼラチン質の水晶体が程よく魚醤となった体液と混ざり合い、なんとも言えない妙味を口の中に広げさせる。猫畜生がまっしぐらになるのも無理は無い。


 二人して腹がくちくなったところで、いい風が吹いた。己の体毛を乾かしがてら、イヌーが行き先の話題を振る。


相州(ステイツ)は世界屈指の豊かな土地だと聞く。そこでの食事に期待するとしよう。……特に酒」

「俺ァ紙と女だ。あっちは発育がいいって聞くからなァ。……知ってるか、イヌー? あっちじゃPorn Starっつうのが居て、大勢の前でBig titsやらKan-nonをおっぴろげたりしてるらしいぜ」

「あいにく儂はそちらには興味はない。去勢(げだつ)は済んでいるからな」

「ケッ、そーかい。お硬いこった」


 軽口を叩き合いながら笑みを交わすと、二人はせめて少しでも早くつけるよう、放り出していたオールを手に取る。因業力を燃やして一心不乱に漕ぎまくる。これまでの苦難が嘘のように順調だった。



 やがて彼方にうっすらと見える大地──ゆっくりと近づくに連れ、その威容がまざまざと目に焼きつく。

 BAKUHUとも寺院とも違う、圧倒的な豊かさで満ちた幸福の国の光景に、二人はオールを漕ぐ手を止めて、驚きで固まった。


 まず目を引いたのが巨大な人型兵器──『釈尊』だ。


 先日のBAKUHU粛清一揆の際には出くわすことはなかったが、アレを将軍家が保持し続けていれば、あんなにあっさり年貢をせしめることは出来なかっただろう。

 それが、3つ。どれも見たことのない形式ばかり。その直上を、BOΦWYイングのジャンボジェットが幾つも飛行機雲を描いて飛んで行く。もう少し北側に行けば高級住宅街ビバリー葉山や、SHOWNANNGロングビーチが続くはずだ。


 二人はひとまず港湾の方に船を寄せていく。港湾には幾つもの軍艦が停泊し、今も二人のボートの前を一隻の原子力蒸気船が通過していく最中だった。そこから少し離れたところで相州のランドマーク『Die-Kan乱マニ車』が重々しい功徳の響きを立ててゆっくりと廻る。


 安易かつ少しでも徳を積みたい餓鬼達が一心不乱に群がり、その様を遠目に見つめるニンゲンたちが指をさしてあざ笑う。

 上空から蜘蛛の糸を束ねて作った釣り糸をたらし、時折彼らを釣り上げては叩き落とすのがセレブの間での流行らしい。


 今も壮年のニンゲンが、爆釣した無数の餓鬼達を誇らしげに高々と掲げているところだった。一斉に沸き起こる『マグロ』コール。『ご期待ください』と繰り返しながら十分にギャラリーの注目を集めるやいなや、男はやおら取り出したショットガンで次々と釣り上げた餓鬼達を撃ち落とし始めた。


 ダブルオーバック弾が霧雨のように降り注ぐ中、手足や頭をもぎ取られた餓鬼達が落下し、地面に落ちて血の花を咲かせる。マニ車を回していた餓鬼達は突然のごちそうに手を止め、喜び勇んで貪り食う。奇跡的かつ感動的な匠の技にベイエリアの興奮は最高潮──まさにヒトと餓鬼の、種族を超えた坩堝のような風景。そこはまさに死ャングリ・ラであった。



 これこそが相州最大の海岸リゾートにして軍港基地──L.A横浜。



 U.S.S.──ユナイテッド・ステイツ・オブ・相州の西の玄関口である。


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