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赤い寺院

 

 徳川ネオニューギニアBAKUHUを陥落せしめた畜生僧兵──イヌーとヤギィは粛清一揆で得た戦利品をまとめると、あらかじめ島中に設置しておいたC4プラスチック花火の起爆準備にとりかかった。

 本来は追手の陽動のために仕掛けておいた代物だが、徹底して反抗の意思を詰むのに効果的だと判断したのだ……と言うのはただの建前。ほんとうのところ、彼らは単に景気づけがしたかったのだ。


 クールなジョブの締めくくりに相応しい光景を、下から見るか横から見るか──? 

 ひとまずそれは置いといて、脱出前の最後の確認。

 寺院支給の高性能マルチプルチャリンコ、その後ろに括りつけたリヤカーにはぎっしりと詰まった金銀財宝、種もみ、肉、魚、そして紙。しかも昨今では貴重なファクシミリ用の感熱紙まで──上々の戦果。

 特に光り物は、彼らの直属の飼い主(じょうし)の『法師ムドー』への心付けに最適だ。


 忠誠を誓った彼の油っこく生臭い笑顔を想像すると、なんだか妙にむしゃくしゃしてくる。さりとてケツを蹴り飛ばすわけにもいかないから、代わりに島を吹っ飛ばす──その()に起爆スイッチを握ったヤギィが、チャリンコのサドルに跨がりイヌーに声をかけた。


「忘れモンはねえな、イヌー」

「ああ。問題ないさヤギィ」


 二人揃ってティアドロップ型のレイバンを装着。再度視線を交わして頷き合い、着火。

 轟音──彼方此方で炸裂する閃光の嵐/真昼に咲く華焔はどこまでも絢爛。


「TaMa-Yeah」──と、メガサムライの大腿骨を浅ましくしゃぶりながら赤ら顔のイヌー。

「KaGi-Year」──と、噛みごたえ抜群のパルプを転がしながらカミウマ状態のヤギィ。


 轟々と燃え盛る灼華を背に、頭空っぽにして夢詰め込んで、ペダル漕ぎ漕ぎ疾走を開始するする──因業力と誘流エニグマ武術を体得していなければ動かせないこの乗り物は、逆を言えばその二つさえあればあらゆる悪路を走破する。

 例え海であろうと山であろうと。それこそ──空であろうとも。


 十分に加速を付けてFly high──深淵無限の蒼穹に見事な畜生雲を描いて二人は翔ぶ。まさに今、二人はKAZEそのものだ。上下左右ひっきりなしに吹きつける悪戯な気流は、餓島の湿気にべたついた体毛を瞬く間に乾かし、漕ぎ続けてサドルで擦れた股ぐらをぴゅうぴゅうと冷ましていく。

 南洋のギラつく陽光を受けながらひたすらに漕げば、やがて前方にはうず高くそびえる積乱雲。一切構わず突撃観光。暴風と落雷、横殴りの激しい雨にうたれながらも、空中野球要塞テンリを横切りひたすらに直進──領域内への不法侵入の二人へ千本ノックの雨あられ。難なく回避。


 全力疾走の果てに、再びの青空。

 更には見晴かす水平線のあたりに、鬱蒼と広がるコンクリートマングローブの森が見えてくる──いよいよ彼らの領土、カンボジア本願寺の領内だ。ここまでくれば急ぐ必要はない。乳酸で腿ン中パンパンの二人は高度を落とし、赤土を踏み固めただけの街道へと強行着陸(タッチダウン)。見事成功。まったりと漕ぎつつ懐かしの風景を楽しむ。地球(ガイア)の古いゴスペルであるDona-donaを口ずさみながら悠々と進みゆく。

 すると一体どこへ隠れていたのか、土着餓鬼達が彼らとその荷物を遠巻きに眺めてヒソヒソと言葉をかわし始める。ハードなドッグランで喘いでいたイヌーだが、まさに畜生じみた聴力で彼らの声を拾っていた。ニンゲンに換算すれば不惑も近いイヌーは、純粋な戦闘力で言えば後輩のヤギィに一歩譲る。しかし、聴覚や嗅覚を始めとする感覚の鋭さにかけては、己の右に出るものは居ないと自負している。何ならドギーマンに賭けたっていい。


 彼らは後ろの荷物に熱心すぎるほどの視線を注ぎながら、仲間内でどうにか掠め取れないか囁き合っていた。若い女性餓鬼の抱えた幼いベイブの、指を加えた口の端から滂沱の涎が垂れ落ちる。

 無理もない話だった。日頃オールドハイチスタイルの泥団子しか口にしない彼らにとっては、見たこともないようなご馳走の山だ。救世をうたう教団の一員としては哀れを催し、同時に無力さも痛感する。だからついブレーキを踏んで、声をかけてしまった。


「おおい、そこな衆生達」


 先任畜生の独断に、相棒のヤギィが振り向く。急ブレーキで危うくリアカーが横転するところだったのもあるし、イヌーの悪い癖が出たと思ったからだ。それをサングラス越しの目で制し、イヌーはなおも続ける。


「あんまり見つめてくれなさんな。荷物が恋に落ちたら困る」


 小粋なポメラニアンジョークを飛ばしても、彼らの緊張は解けないままだ。ざわわ……ざわわ……風に揺れるC.マングローブに合わせるように、一同がざわめいた。

 イヌーはチャリから颯爽と降りると、荷物の中に無造作に鼻を突っ込んで目当ての物を加えた。そして肉球つきの手で、子連れの母餓鬼をちょいちょいと手招く。

 勇を鼓して近寄る母親の手を取ると、その中に加えたものを落とした。糸をひく涎とともに手渡されたのは烏賊──スルメであった。


「少ないが、これをやろう。噛めば噛むだけ味が出るから、おしゃぶりに最適だ」


 ニッコリと徳の高い微笑──反面、ヤギィの顔が険しく歪む。


「おい、イヌー! 勝手な配給は命令違反……!」

「皆まで言うな、ヤギィ。これもまた奉公よ」


 イヌーは努めて穏やかにゲソの部分をちぎり、少し噛んでから餓鬼ベイブの口の前に差し出してやる。

 母餓鬼はイヌーの行為に凄まじい緊張を見せたが、磯の香りに釣られた子供はたまらずにしゃぶりついた。イヌーの唾液を吸ってほぐされたゲソを、心の底から美味そうに頬張る。子供が微笑んだのを見て、イヌーが相棒に向けて勝ち誇ったように笑った。

 ヤギィは無言で両肩をすくめて『処置なし』をアッピール。だが彼とて悪い気はしない。未だに懸命にしゃぶっている子供に向かって、バツの悪さを誤魔化すように尋ねる。


「ンメェエエか? 坊主?」

「……ンメェ。こんなンメェもの初めて食べた」

「……そうか。よかったな」


 あどけない感想には、さしものヤギィもそう返すしかない。イヌーはその様子を見て嬉ションを催したが、グッとこらえて再びチャリへと跨った。


「またせたな、先を急ごう」




 ◆




 土着餓鬼に見送られてから数時間。

 キィ……キィコ……とノスタルジックな音を立てて車輪が回る。より鬱蒼と茂って陽光遮るジャングルの道なき道。湿気を多くはらんだ風が吹き、木々の葉なりが穏やかだった。


 そこに、異音。


 くっちゃくっちゃ×∞──もはや馴染みの、ヤギィが紙を食む音である。一体何時間くちゃっていれば飽きるというのだ──呆れるイヌーを他所に反芻もせずに飲み込むと、突然にのけぞりエレクトリカルな叫び。


「紙ッ! ンメェェエエwwww マジんメェwwwww」


 ちなみにこれは皮肉であった。もちろん彼が重度の紙中毒なのは間違いないが、先刻のイヌーの独断を詰っているのだ。


 他所の寺ははどうだか知らないが、カンボジア本願寺の畜生僧兵は『法師』の下した命令には絶対服従である。

 当然失敗は許されないし、寺に帰るまでが任務の心意気で速やかに戻らねばならない。ましてや信徒以外に施しを与えるなど言語道断の行いである。にも関わらず、この犬面人は時々、情に流され危ない橋を渡ろうとする。

 法師にバレればヤギィまでもが連座を組まされ厳罰が待っている。ただ死ぬだけならまだ良いが、ソイレントにされて食われるのだけはゴメンである。ヤギィの夢は、功徳を積んで即身剥製になる事なのだから。


「だから、すまなかったと何度も詫びておろうが。それより……そろそろパルプはやめておけ。また消化しきれず腸閉塞を起こすぞ。せめてパピルスか和紙を喰らえ」

「あぁ!? テメェの法具に呑まれて呑んでジョブの半分ぶん投げた奴の仰ることは難しくてわかりませんメェ!? 」


 決して消化できないパルプを丹念に反芻しながら、荒ぶる偶蹄の思い出し怒りは続く。


「柱という柱に片っ端から放尿しやがって! それだけじゃねぇ……よりにもよって、だ! 事もあろうに大の方までSOSOしやがって! テメーはアレか? 俺の忍耐試してやがんのか!? SATORI開けちまうぞオラァ!」

「……仕方なかろう、アレは元々そういう武器なのだ」


 イヌーの愛刀、仏滅法具『般若刀』は、抜刀したその瞬間から超高濃度のアルコールとトルエンをのべつ幕無し垂れ流す。一息吸えばほろ酔いになり、斬りつければ傷口から一瞬のうちに酔いが回って夢幻の内にポックリと逝ける。

 まさに一撃必殺を誇る天下無双の刃だが、問題なのはその効果が遣い手にまで及ぶ事だった。ましてや長年の飼育(しゅぎょう)によって鋭敏な感覚を最大の武器とするイヌーである。酔うな、という方が難しい。

 だったら何故そのような武器を選ぶのか──簡単な話だ。他の法具には既に遣い手がいて、イヌー自身が重度のアル中&酒乱なのであった。


「いいか、この次からはきちんとマスクしやがれ! これ以上汚物を俺に消毒させるんじゃあねーぜッ!! さもなきゃテメーの首にエリザベスカラーつけて、延々そこに焼酎流しこんでやるッ!」

「ああ……適量を心がけるとも」


 早速に酒精が切れ始めているイヌーが震えながら詫びると、ヤギィはそこでようやく溜飲を下げた。彼とて中毒の辛さはわかるのだ。

 それから二人が黙念と漕ぎ続けてしばらくしてこの辺りの主要街道、KEMONO道へと躍り出た。二人の視線の遥か彼方にかすかに見えてくるものこそ──。


「……見えたぞ、故郷だ」



 ◆



 世界各地に支部を置き、無数の餓鬼の信徒を抱える『救世教団・本願寺』──中でも一際有名なのがここ、カンボジア本願寺。

『復活! クメール王国』を焼き討ちして手に入れた広大な土地を丸ごとつかった、超広大な境内には信徒のための様々な施設がある。


 ガダルカナル江戸城とは比べ物にならない規模の水堀は、天然のソイレント湖『ナノ・トレンサップ湖』。そこに架けられたパーフェクト超合金製の跳ね橋を渡って中にはいれば、まず目につくのは二つの巨大な建造物。

 西にはウェアハウス・クラブ『Poltoco』、東にはテラヘルアース最大のスーパーマーケット『Potmart』──餓鬼共のディスカウントな欲望を満たし続ける二大巨頭が城壁よろしくそそり立ち、熾烈な値下げ合戦で美しいデフレスパイラルを描く。

 延々続く値下げの告知に右往左往する餓鬼達の懐を狙って、無数の違法屋台が少しでも客足をかすめ取ろうと悪あがきするのは、ここ赤い寺院の日常的な光景だ。

 ふと、イヌーが視線を送った先ではケータリング花屋の少女が可憐な声を精一杯の声量で振り絞っていた。


「お花は、お花はいりませんか? 摘みたての、きれいなお花はいかがですか?」


 餓鬼にしては中々に可憐な容姿を精一杯にめかしこんで、仕込まれた台詞を健気に繰り返す。その姿はなんとも言えない哀愁と欲情を誘い、少なくない男の餓鬼達が相好を崩してたちまちのうちに少女の方へ流れを変えた。

 引きつった笑いの少女は、ケータリングワゴンの運転手──おそらく母親であろう小太りの中年女性に助けを乞うように視線を向ける。しかし中年餓鬼女性は苛立たしげにステアリングをトントンと叩き、窓外へ向けてぺっと唾を吐き捨てた。『甘ったれるな』と言いたいのだろう。未だ青い果実と言えど決して甘やかさない、教育熱心な母親である。


 母の愛をしっかと受け止め、娘は意を決してワンピースの裾を嫋やかな手できゅっと摘んだ。やがて上目遣いのまま媚を含んだ微笑を浮かべ、するするとたくし上げていく。

 なるほど、これは確かに摘みたて……いや、まだ誰にも摘まれたことのない密やかな花園なのだろう。滅多にありつけない初物に、男達の怒号が飛び交う──「買うぞ! 幾らだ!」「いや俺だ! 俺が詰む!」「ふざくんな! 俺が先に見つけたんだ!」


 当然、争奪戦が巻き起こる。浅ましい餓鬼同士、こういったことは日常茶飯事。ニンゲンの尺度では信じがたいが、これは彼らのコミュニケーションの一つである。いわゆるフリだ。


「まあ待てお前ら、まだ慌てる時間じゃない」


 一人の餓鬼が予定通りなだめると、たちまち同調して他の餓鬼達も静まり返る。よく訓練された同調圧力だった。視線の威圧に耐えかねた少女餓鬼が、再度母へと視線を送る。

 母親餓鬼は仕方なしに溜息をつくと、ふてぶてしさ極まる声で娘の値段を告げた。


「5000万ジンバブ円。ビタイチまからないよ」


 阿婆擦れから請求されたあまりに法外な金額に、餓鬼達の一気に熱狂が冷めていく──それまで盛っていた餓鬼達は「はい解散」「ボッタクリ乙」「しね」などと罵声が飛んだ。

 皆が興味をなくして散り散りになる中、あえて悠然と歩を進める者があった。


 古代地球様式のアルマーニスーツで身を固めた、ロマンスグレーの男──驚いたことにニンゲン。この寺院の重鎮の一人、ゼント・チジだった。まさかの大物の登場に周囲がどよめく。


「お嬢さん、もう一度よく花をみせてはくれないか」

「はい、ニンゲンの旦那様」


 少女は精一杯の笑みを浮かべながら、ゼントを艶かしい手つきで手招く。ゼントは悠々と彼女の前にたつと、屈みこんで彼女の花を検分する。


「これは素敵な花だな。まるで障子紙のようだ」


 納得のいったゼントはそんな感想を述べ、指先をパチンと打ち鳴らす──するとどこに潜んでいたのか線虫SPが現れ、彼に手荷物を渡す。パンパンの黒い鞄だった。


「フフ……では一つ貰おうか」

「……はい、悦んで」


 運転席の母餓鬼が、偽造たばこをふかしながら口笛を吹く。予想外の大物釣りに内心の喜びが抑えきれない様子だった。

 うつろな目で娘がワゴンの奥へと客を連れて行く。薄暗がりの店内からは密やかな獣のうめき声と、芳しい花の匂い。しばらくしてツヤッツヤに光る額を撫で上げ、着衣を整えるニンゲンの紳士が車内から出てきた。


「いや、素敵な花だった。また摘ませてもらおう」


 ゼントは5000万ジンバブ円を詰めたパンパンの鞄を少女の足元に投げ捨てると、餓鬼達の羨望の視線を引きずり何処かへと立ち去った。

 見送る餓鬼少女の顔は盛大に咲きほころび、その肌はは未だしっとりと汗で濡れている。そこにいるのはもはや青い果実などではなく、既に一匹の女豹であった。




 ◆




 少女が無事大人の階段を登ったことを見届けた二人は、再び先を急ぐ。

 ディスカウントストリートを抜けた先にある僧院の入り口でリヤカーを丁稚に手渡すと、二人は徒歩で中へと入る。拝殿の中には信者御用達の炊き出し居酒屋が軒を連ねていた。


 その内の一軒、居酒屋『アンコールWATAMI』に入ると、機械敵かつ大変威勢のいい調子で響いてくる──「イラッシャッセー・コンバンワー!」

 餓鬼に過ぎぬ客達を神と崇めて優越感を提供し、代わりに「ありがとう」をいただく尊い商売だ。この笑顔さえあれば24時間戦える。超過勤務はもちろん無償。非正規雇用の餓鬼達の功徳は積まれ、晴れて来世はジンドーへ。

 いいことづくめのライフサイクル。思いついた者はかなりの慧眼の持ち主である。


 ごった返す店内を突き進む畜生二人。大型の畜生がずんずん徒歩を進めれば、体臭とクチャ音で客達が振り向く。畜生僧兵の満を持しての帰還に、周囲は圧倒されて束の間静寂が満ちる。が、それも一瞬。

 喜色満面の甲高い声が彼ら二人を出迎えた。


「イヌーのおっちゃん! ヤギィの兄貴!!」

「おう、ムツんトコのゴローじゃねぇか。元気にしてたか?」


 顔見知りの餓鬼の子供、ゴローだった。彼は今時珍しいぐらいの熱心な信徒だ。その為法師の覚えもよく、こうしてたまに僧院近くで門前の小僧の真似事をしている。


 ゴローは先程まで、煤けた背中をこちらに向けて、大人の博徒と卓を囲んでいたようだった。

 そこで行われていたのはマー・ジャンという古から続く遊戯。彼の腰の高さまで煙る偽造タバコの紫煙に目を瞬かせながらも、しかし一人勝ちを重ねているようだ。トバされた男が「ギブアップ」を宣言して立ち去る。

 残り二人は店内の消費者相談センターで夢を応援されている。どうやら彼らはやる気のようだ。


「ゴローは相変わらずゲーム強ェな」

「それだけじゃねえよ。こういうことも出来るんだぜ」

「あっ」


 ゴローはやおら椅子の上に立ち上がると、育ち盛りの手を件名に伸ばして犬ヤギの体毛を荒々しくかき回す。


「よぉぉぉぉしよしよしよしよし」


 愛情をたっぷり込めた不意打ちのスキンシップに、畜生二人は驚きつつも抗わない。それほど見事なふれあい空間だった。


「……驚れェた。お前、俺達を飼うつもりか?」


「いつか俺も解脱して、それから立派な法師になって、おっちゃんや兄貴みたいな畜生僧兵を沢山飼うのが夢なんだ!!」


 屈託の無い言葉を投げかけられ、畜生二人の獣欲がときめく。人でもなく、さりとて畜生でもない彼らにとって『飼い主』志望のこの少年は眩しく映る。

 ただしそれは、餓鬼には決してかなわぬ見果てぬ夢だ。生半可な功徳では、餓鬼がジンドーに戻ることはない。彼の前途を思うと胸が痛いが、二人は懸命に押し殺した。


「ああ……ゴローなら出来ると思うぜ」──と、ヤギィ。

「ところで法師はどこに?」──と、イヌー。


 はにかむゴローは鼻をこすって椅子を降り、厨房の方を指し示す。

「法師なら、いつものように本殿の奥にいるよ。二人の帰りが遅いって苛ついて、女呼んでたみたいだけどもう帰ったみたい」

「左様か。お努めご苦労」


 二人はゴローにそっと心づけを渡すと、まめまめしく働く従業員の蠢く厨房の奥へと引っ込み、業務用冷蔵庫に偽装された扉を開く。彼らの体毛がなければ瞬く間に凍え死ぬであろうコキュートス回廊をまっすぐに突き進んだ。

 定期的に罠が更新されるこの回廊は、敵への罠であると同時に畜生達の訓練施設である。イヌーが畜生の五感で罠を見破り、ヤギィの身体能力で乗り越える。そうして小一時間も突き進めば、いよいよ『赤い寺院』本殿中枢──。


 薄暗くだだっ広い板敷の間の奥には御簾がかかっており、一つの影が読経をあげていた。いっそ大げさなほどに身振り手振りを交えたエキサイティングな調べに、自然二人は心を打たれる。悔しい! でも、聞き入っちゃう──! 魔的とも言える因業力を持つからこそ、彼はここの住職なのだ。

 やがて読経を終えた人影はスンスンと鼻を鳴らし、そこでようやく振り向いた。御簾を上げ、厳しい顔つきを露わにしたニンゲンが口を開く。


「──戻ったか、畜生共」


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