畜生Impossible part.3
作戦開始から十数分──短いが濃密な時間が経過。
境内では未だ黒人仏がバーリ・トゥードの真っ最中。ウホーの限りを尽くす姿を、幾条ものサーチライトが暴きだす。
鳥目でさえも見渡せる、赤と黒の二色の世界。今や周囲は炎か敵か──相対するは餓鬼に畜生サイボーグ、天狗に河童のUMAの類。無闇矢鱈とバラエティ豊かな信者の一団。
全員喰苦を服用し、恐れも怒りも何もかもを1000光年ばかり彼方の涅槃に置き去りにして、各々銃火器からきゅうりまでめいめい好きな獲物を手に果敢かつ前後不覚と言う独創的な足取りで肉壁を形成、熱烈極まる一斉砲火。夜空を遡る流星群──受け止める猿人的豪腕。それすらかいくぐって飛び込む火線の灼熱。羽毛が焼ける。YAKITORI寸前──委細構わず野生のBUDDAは堂々驀進、手当たり次第に破壊損壊。
あとに残るは屍山血河──残響だけが殷々と染みわたり、境内にはシンと冷たい夜の空気を取り戻す。
血臭漂う漂うモツ山の中心で、ペーチュンはしばしそれを眺めていたが、ソテーの危機をどうにか乗り切りった実感がわいた途端、がっくりと膝をついて大きく息を吐きだした。途端にチンパの叱責が飛ぶ。
『だから言っただろう。慢心、環境の違い……身を滅ぼすのはいつだってそれだ。前線に出るならもう少し引くことを覚えろ』
「るせぇぞ、エテ公。モニタの前なら何とでも言えるぜ。……それよりあの二人はどうしてる? ターゲットは見つけたのか?」
『……いや、まだのようだ。と言うより一向に連絡がつかん。まさかやられたという事はあるまいが……』
歯切れ悪く応じながら、無線機越しにキーボードを叩く音がひっきりなしに聞こえる。どうやら今もキャンプの中でしきりに交信を繰り返しているようだ。その様子を暫く聞き入るペーチュンだったが、ふと、ポツリと呟く。
「……なんだか気がひけるぜ。あいつらを利用したみたいでよ」
その一言が口をついて出た途端、二人の間に冷え冷えとした空気が流れた。触れてはならないものに触れた痛みを、無線機越しに共有した。
ややあって、殊更平静を装ったチンパが咎める。
『……彼らはあくまで応援、必要なことだけを頼んだまでだ。余計な仕事は押し付けるべきではない』
「それと騙すのとと、どこがどう違う? あいつらは純粋に、俺らのために働いてくれてる。仲間と呼ぶなら本当の事を言うべきじゃねえのか?」
『……みなまで言うな。すでに賽は投げられたのだ、せめて我らに出来る事をしよう。まだどこかに喰苦の生産施設が有るはずだ。探しだして叩き潰せ。それが何よりの援護になる』
ペーチュンはなおも渋い顔のまま、鳥肌がむき出しになった翼を見つめていたが、やがて想いを振り切るようにかぶりを振った。確かにチンパの言う通り、今はやるべきことがある。
贖うのはその後──全員無事に帰った後だ。彼らにならローストされたっていい。分かちがたい野生で結ばれた彼らになら。
「……じゃ、とっとと見つけ出して耕そうぜ。この際だ、根こそぎやってやる」
『その意気だが、死んでしまっては元も子もない。なるべく慎重に行こう』
ペーチュンは苦痛をこらえて立ち上がると、己の身体を再度くまなく検めた。ミディアムレアといったところだが、幸い動くに支障はない。
鳥肌を夜風になぶらせながら、ひとまずゲストの二人を追って中門の方へと歩を進めたその時だった。
「盛者必衰」
ただ、一言。
それだけのことで、静謐な湖面に小石を落としたように、周辺の空気が一斉にざわめいた。にわかに強く凍える風。群雲が天を覆い、いっそう夜闇を濃いものとした。
「誰だ!?」
周囲を見渡す。だが目に映るのは残骸ばかり──未だ燻る境内の赤々と燃える火明が、やけに遠くに感じられた。
驢馬軍団に囲まれた時とは比べ物にならない悪寒が生じ、冷たい汗が背筋を流れる。恐るべきプレッシャー。
耐えかねて、半ば悲鳴に近い声が出た。
「どこだ、どこにいやがる!?」
「ここだよ」
果たしてその声は背後から──無様な様子を嘲笑うでもなく、巌そのものが声になったかのような重苦しい響き。振り返る。骸の前に孤影が一つ。まるで最初からそこに居たと言わんばかりに、当たり前のように。
ボロ布同然の外套姿。フードを目深く被っており、その面貌は奈落の底につながっているかのように判然としない。そして全身にまとう『何か』──ゆらぎとしか現しようのない、世界を殺す空気の渦。とてつもなく不吉な物を周囲に振りまくその姿はさながら歩く『死』そのもの。
「……やれやれだ。ちっとクソして帰ってくりゃ、このザマだ。一体誰が葬式代を払うんだ?」
ただ在るだけで無限に重圧を生み出し続けるそれが、ゆらり悠然と立ち上がった。大きい。のみならず、声と同じく岩くれのような堂々たる体格。その時丁度身を切るような夜風が吹いて、外套の裾をたなびかせた。その隙間から零れたものを見て、鳥肌が一層粟立つ。
丸太と見紛う太い前肢。先の割れた蹄。それで、相手が偶蹄目だと窺い知れた。そこまではいい。気になったのはその前肢に絡みつく物だ。
火明かりに濡れ光る、ニンゲンの頭蓋骨──それを束ねて作られた、何とも禍々しい数珠であった。視線がそれに釘付けになり、全く目が逸らせなくなる。それを察した正体不明の偶蹄目が、フードの奥でふっと小さく鼻で嗤った。
「……ああ、コレか? なに、ただの法師の頭だよ。なかなか洒落てるだろう?」
冗談とも本気ともつかぬ口調でいながら、その実この世の全てに倦んだ声──聞くだけで魂の凍える響き。その瞬間、ペーチュンは問うまでもなく、幾つかの事を理解した。
──ああ、くそ、なんてこった。どうやらババを引いちまった。
──こいつは何にも見ちゃいねえ。夢とか希望の類は特に。
──オマケに法師の頭だと? つまりそりゃ、そんだけ殺ったって事だろうが。
──イカれてるとしか思えねえ。だがあいにく、誠にもって遺憾な事に、こいつは正気そのものだ。
──正気のままで、狂ってやがる。
じっとりとした汗をかきながら、ペーチュンは未だ動けない。羽ばたく事も、嘴をむいて襲いかかることも。仮にもしそうしたところで、次の瞬間つくねになっている──予感ではなく、確信としてそう思った。
今や鳥籠同然の息苦しさ──それを放つ畜生のフードの奥の奈落の底で、炯々とした光が灯る。
「折角だ。MOW少し遊んでいけよ、Mr.チキン」
◆
一方──イヌーとヤギィ。
山頂へと伸びる道に轍とテールライトの光を発見し、即座に追跡を開始。接敵を避け、鬱蒼と茂る森の中を深く静かに進行中──その周囲、山狩りの立てる葉鳴りと悪罵がひっきりなしに飛び交う中、繰り返し訪れる焦燥感。
早く──一刻も早く。
このままでは間に合わない。消えた雌狐の安否も気がかりだ。
今、ヤギィの頭で渦巻いているのは、かつて見たスネークの末路だ。薬で絆され、すっかりとトロけた無惨な姿。音に聞こえた彼でさえ、ああも容易く堕ちるのだ。万一捕らえられでもしたら、彼女とてそうならない保障はない。
ましてや彼女は、客観的に見ても魅力的な雌だ。尋問と称したお楽しみがあったところで何ら不思議はない。否、雄ならば誰だってそーする。山羊だってそーする。
ヒタヒタと押し寄せるNTRの予感。見たい/いや見たくない/というかまだちょっとレベルが高い──ヤギィの心は千々に乱れる。
かたやイヌーは黙念としたまま、鼻翼をそよがせ、わずかに残った雌狐の臭跡を辿る。
目を閉じ、頭を半ば地にこすり付けるようにして、丹念かつ入念なテイスティング──彼方の爆音も流れてくる煤煙もまるで意に介さず、夜の空気に溶け込むかのような徹底的没入。
やがて戛然と見開いたその目はダンディズムに満ちた黒真珠の輝き──完全に素面。心中で思わず突っ込む──『誰だコイツ』。
「だいたい分かった」
振り返るや何ともアバウトな、しかし確信に満ち満ちた断言とともに矢のようにまっしぐら──ノンストップの畜生疾走。追従するヤギィには電波的直感としか思えぬ奇怪な足取りがひたすらに続く。程なくその理由が明確に。山狩りの信者に監視カメラ、ブービートラップ、対畜生地雷etcetc──追っても罠も機械じかけの殺意すらことごとく嗅ぎ当てる猟犬の本領発揮。もう一生断酒してろと頼みたくなる。
数度の蛇行/駆け登る/駆け下りる/茂みをかき分け視界が開けた。眼下20メートルほどにのたくる山道。下りは境内へ、そして登りの道の先に、『それ』はあった。
本堂からは真裏の位置の断崖絶壁──その周囲の鬱蒼とした森をぐるりと封鎖線が取り囲み、何十何百という砲身が突き出し周囲を威嚇。まさしく要塞──呆れんばかりのスケールに、畜生二人は目をみはった。
「なんてこった。あんな場所は情報にないぜ」
「……なるほど、崖そのものを利用した施設か。どうやらアレが噂の『舎利殿』らしいな」
改めて目を凝らす。封鎖線には検問。主の命令なしには泣いたり笑ったりしそうにない、精鋭と思しき信者たちが馬防柵をおったてて『何もかも暴いておいたててやるぞ』と言わんばかりの目つきで周辺を警戒。
そこへ向けてひた走る小さな光──テールライト。見る間に検問を通り過ぎ、暫く徐行した後、消えた。
思わず舌打ち──苛立ちの加速。
「どうする?突撃すんのか?」──全身を疼かせてヤギィ。確認というよりそうさせろと主張。
「さっきのRIKISHIをもう忘れたか? 押し通った所で増援が来るだけだ。迂回するぞ」──即座に却下の犬畜生。言うが早いか音もなく転身、より鬱蒼とした森の中へと突っ込み、道無き道を征く。
景色の変転──ぐるぐると。
やがて辿り着いたその先で、渾身のココホレワンワン──ビンゴの合図。
はたして二人の正面には闇深い森と、それを圧するように聳え立つ巨壁が近づいていた。
◆
コロンビア延暦寺の裏手、断崖を利用した要塞の一角──古参の信者以外には存在すら明かされていないそこは、『舎利殿』と呼ばれる幹部専用の施設である。
元は高弟の修行の場であり、また弾圧を免れるためのシェルターでもあった。
その入り口を守護するということは、即ちそれなりの古強者ということになる訳だが、かといって待遇がいいわけでもないらしいという事は、門扉の前で小銃を抱える信者の二人を見ていればつぶさに分かる。
「ああ、ちくしょう。やってらんねえ、やってらんねえよ兄貴」
もう何度目かもわからない、聞くほうがやってられない嘆きを聞き流しながら、兄と呼ばれた男の片割れはうんざりしながらも尋ね返した。
「どうした、一体何がやってられねえってんだ?」
「何が? 何がだって? 決まってるだろ、俺達の境遇だよ! くそっ、なんだって毎日毎日こんな事してなきゃならねえ!」
「……おい、もう少し声を落とせ。誰に聞かれるかわからんぞ」
だが弟は止まらない。今までくすぶり続けた怒りをぶつけるように、思いの丈をぶちまける。
「俺達は長年この寺に仕えてきた! 何故だ!? 救世のためだろ!? 懸命に働いた! 功徳だって積んだ! それがどうだ! あの成り上がりの住職があの馬野郎どもとつるみ始めてからというもの、俺達ゃ連中の言いなりだ! テロ屋の新入りなんざにこき使われる為に入信した訳じゃねえ!」
「お前の怒りは尤もだ。 だが連中が来てからというもの、ウチの寺は向かう所敵なし。今や立派な稼ぎ頭だ。……大きな声で文句は言えんよ」
「でもよぅ、俺は悔しい、悔しいんだよ兄貴! 酒池とか! 肉林とか! 俺だってあやかりてぇよ!」
とうとうさめざめと泣き出した弟を見て、兄の脳裏にはピンとくるものがあった。つい先程、ダバディが直々に連れてきた雌狐のGEISYAだ。
確かにあれはいい牝だった。彼女が中へと案内されて、もうかれこれ20分ほども経つ。今頃は住職の居室でマンマミーアの真っ最中だろう。全く法師というのはボロい商売だ。放っておいても向うの方から擦り寄ってくる。それに引き換え、二人は寒空ン中でアホ面下げて警戒待機である。せめて側仕えでもしていれば、どうにか言い寄るチャンスもあっただろうが、住職エスコバルは自らの手駒の畜生以外、その身の回りに近づけさせない。
「……どうせ住職の事だ。どれほど可愛がってても、飽きたらポイに決まってる。そうなりゃ、ダバディの旦那もおこぼれぐらいはくれるだろうよ」
「そん時にゃ、もう大体ぶっ壊れてるだろ。たまにはまともな女が抱きてぇよ」
とめどない愚痴をダラダラと垂れ流す弟に、兄は慰めに喰苦を一本差し出した。胸いっぱいに紫煙を吸いこめば、途端に頭の中が痺れたようになる。繰り返し訪れる酩酊と覚醒。そのうちに何もかもがどうでも良くなる。苦痛も嘆きも夢幻に溶けて、ただハイになる──これにまさる救いはない。コイツをくれると言うその一点においては、まったく法師様様だ。
そうして二人で見事な手のひら返しを決めながら、おざなりに見張り仕事に戻る。境内の方では何やら大きな騒ぎがあったようだが、此処にはまるで関係がない。いつもと同じ冴え冴えとした、しかし退屈な夜──このまま夜明けまで、ダラダラと過ごすつもりだった。
そんな時だ。鬱蒼たる森の奥から、茂みを激しく揺らす物音がはっきりと聞こえてきたのは。
すわ、敵襲か──にわかに空気が張り詰める。慌てて小銃を腰だめに構え、息を潜めて周囲を伺う。だが次に聞こえてきたのは、驚くべき報告だった。
「女豹だ、女豹が出たぞーッ」
「女豹!?」
いやに断定的な報告に、二人は顔を見合わせる。だが訝る兄とは裏腹に、弟の双瞳は俄然やる気に満ちていた。
「こうしちゃあいらんねえ、行こうぜ兄貴!」
「おい、持ち場を離れるな! 罠かもしれないんだぞ!」
「表の騒ぎの連中だってか? 無理無理、どうせココまで来やしねえって。んーな事より女豹だぞ? とっ捕まえて俺らもお楽しみと行こうじゃねえか」
弟はそれ以上は取り合わず、一目散に声の方へと駈け出した。なんといっても女豹である。Naughty bodyは間違いない。脳裏にボディスーツに身を包んだ見つめるキャッツアイ牝畜の姿をありありと思い描きながら、恐れも知らずに茂みの奥へとずんずん押し入る。するとどうだ、確かに聞こえて来るではないか。
「ニャーン!」──露骨なまでの蠱惑的な鳴き声。
「ニャーン!」──間違いない、誘ってやがる。もはや躊躇う必要はない。
「ニャーン!」──ごちそうしてやる。俺のキノコをたっぷりごちそうしてやる。たけのこなんか目じゃねえってことを思い知らせてやらにゃあ、収まりなんかつきやしねえ。
先刻までの憂鬱は消え去り、弟の全身は火照りに火照っていた。もはや居てもたっても居られず、鳴き声のする方へと歩みながら自らの衣服に一枚一枚手をかける。長らく癒やされる事のなかった渇きがそうさせた。するとどうだろう、これまで経験したことのなかった尊いものを覚えた。
雄大な煉獄惑星の大自然、生まれたままで過ごすことの危なっかしさ、そして解放感。ひんやりとした夜気に包まれどこもかしこもスースーする。なのにますます身体は滾る。何か一つ魂の階梯を登り終えた実感を抱きながら振り返る。兄の『オメェ頭大丈夫か』と訴える無言の視線が突き刺さる。だが彼は一切動ぜず、むしろ生暖かな眼差しで見つめ返した──おいおい兄貴、一体何にビビってやがる? 服なんてのはな、ママのスカートの中みたいなもんだ。いつまでそこに隠れるつもりだい?
それでも兄は戸惑いを隠せずにいた──何を言う弟よ。服ってのはつまり、節度の証だ。今どきは畜生だって着ているもんだ。そいつを脱ぐってことはな、そりゃつまり、畜生以下に成り下がる行いだ。
これみよがしに肩をすくめ、大げさなため息をつく。だが弟は見逃さなかった。僅かに──ほんの僅かに、兄の目に好奇の色が宿ったことを。
「裸だったら何が悪い」
思いがけない力強い問いに、兄の方はハッとなった。
言われてみればその通りだ。それのどこが悪いのだろう。この深遠な問いに答える為に、彼は思案を巡らせた。だが考えれば考えるほど、答えはどんどん遠ざかる。
そもそも生類はみな、裸で生まれてくるのだ。それが年経ることに余計なしがらみや世間的、良識といったものを押し着せられて生きていく。窮屈な事この上ない。
それに引き換え、ありのままでいる今の弟の姿のなんと尊い事だろう──今や己の不明に、徐々に恥じらいがこみ上げてくる。
そんな兄の様子を見て、弟は『躊躇う必要はない』という思いを込めて、ゆっくりと頷いてみせた。
そんなにも熱く、清々しい目で見つめられたら試したくなるのが人情だ。しぶしぶ一枚、ハッとなって二枚。やめられない止まらない。気づけば夢中で脱ぎながら、兄もまた正しく一つのSATORIを得ていた。レリゴー──ありのままに生きると。
もう何も怖くない──二挺の銃と二本のキノコをぶら下げながら、二人は夜の狩人は最高の気分だった。遠く近く、ガサガサと茂みを揺らす音と、愛くるしい鳴き声が甘く誘う。いよいよ目前、二人は頷き、意気揚々と茂みをかき分け──はたしてそれが現れた。
「ニャーン!」──女豹のポーズでキメ顔の、猟犬がそこに居た。硬直する見張りの二人。三対の視線が正面衝突を引き起こし、元よりゆるゆると流れていた時間に大きな間隙が生まれた。
「ニャーン!」──どう見てもイヌの、しかもオスのそいつが鳴いた。とても可愛い声だった。二人は混乱する頭で必死に考える。問うべき事、為すべき仕事。そう言うものがあるはずだった。だが問わずには居られなかった。それほどまでに、期待したのだ。
「め……女豹は?」
「オメェの頭の中だよ、クソ野郎」
背後からその言葉が耳孔を滑り、脳が理解するかしないかのうちに、重く鈍い衝撃が見張りの二人の意識を遙か涅槃まで飛び立たせた。
◆
舎利殿の重い鉄扉が押し開かれ、隙間から人工の灯りが眩く漏れる。その光を満身にあびて、信者のおべべをまとった女豹改め犬畜生がドヤ顔を浮かべていた。
「どうだ、上手くいっただろう」
「上手くいったっつうかなんつーか……」
釈然としないながらも、ヤギィもまた男が脱ぎ散らかした着衣を拾って身につけていた。敵の目を欺くための変装だ。効果の程はたかが知れるが、何もしないよりははるかにマシだ。ついでに武器も奪っておく。信者の二人は地中に埋めた。りっぱなキノコに育つといい。
「……にしてもたまげたぜ。なんて声出しやがる」
「何、昔とった杵柄みたいなもんだ。気にするな」
そんなとぼけた答えを返しながら、イヌーは少し先を行く。
一体どんな経歴があれば、そんな真似が出来るのか──甚だ気になるヤギィであったが、ノイズまみれの通信が軽口を遮った。
『二人共、今どこにいる!? ターゲットはどうした!? うちのボスはどうしてる!?』
気づけば久しいチンパの声。そういやずっと無視してたな──苦笑しつつも状況を告げるべく、ヤギィはスロートマイクに手を伸ばした。が、言葉を紡ぐ一瞬前にイヌーがそれを押しとどめ、自分と相棒、二人分の通信機を素早く抜き取った。
そのまま踏みつけ粉々にする。あまりにも唐突で、ヤギィが口を挟たのは全てが終わった後だった。
「……何しやがる。これじゃ連携が取れねえだろうが」
「盗聴されている」
あまりに自然に出てきた答えに、ヤギィは危うく大声を上げかけた。意識して深呼吸。戦慄を隠せぬままになおも問う。
「何でそう思う?」
「裸生門では待ち伏せを受けた。だが本丸に乗り込んでみればそれが無い。不自然だ」
ハッとなったヤギィは、とっさに周囲を見渡した。敵影も罠の様子も見当たらない──その事実にむしろゾッとした。それでも反論を試みたのは、相棒の推理を疑うというより、単純に信じたくなかったからだ。
「……たまたまじゃねえのか? ペーチュンの陽動がうまく行ってるとかよ」
「では連中が出汁まで取っておったのはどう説明する? どこの誰が来るかまで分かっとたんじゃあ無いのか?」
確かにそうだ。ただ迎撃するだけならお鍋もお出汁も必要ない。あの相撲部は、お肉が来ると分かっていたから出てきたのだ。
『Operation:Fukurow Castle』は奇襲が大前提の作戦だ。その前提が最初から崩れていたとするなら、今や五人は敵の罠にどっぷり漬かっていることになる。
戦慄に痺れるヤギィをよそに、イヌーは歩を進めつつ尚も囁く。
「思えば、この任務は最初から何か妙だ。……思い出してみろ、儂らが依頼を受けた日のことだ」
言われてヤギィは思い起こす──あれはそう、偽りのピクニックでの出来事だ。彼らを襲った餓鬼の一団、そのうち一人が聞き捨てならない台詞を吐いていた──『あ、あいづらの情報通りなんだな』。当然浮かび上がる疑問──ではそれを、どこの誰から手に入れた?
「法師の態度も妙だった。……考えても見ろ、あの利益にうるさいお人が『共同作戦』だぞ? 喰苦の秘密を暴いた所で、仲良く利益を半分こなんてタマじゃないわい。このヤマには何かがある」
「……そう言や、最初は乗り気じゃねえ様子だったなぁ。じゃあ、その何かってのは何だ?」
「具体的にはわからんよ。だが実際、フアレスは法師ムドーを動かす事に成功した。……動かされたと言い換えてもいい。そう考えると見えてくるものがある」
「……何が言いてえ」
にわかにきな臭くなりつつある推理に、自分でも驚くほど険しい声が出た。振り返る猟犬の眼差しが真向からぶつかる。が、すぐにイヌーの両目がフッと緩んだ。
「今のは言い方が悪かったな。……要するに、視点を少し変えてみろと言いたい訳だ。利益が目的でないのなら、それに等しい不利益があるんじゃないかね?」
「不利益……」
「『赤い寺院』、あるいは法師個人にとっての致命的な『何か』……出来れば触れたくないような禁忌。それを握るのが延暦寺かフアレスかは知らないが、捨て置くことだけは出来なかった。だから儂らを寄越さずに居られなかった。そう考えれば辻褄は合う」
何とそこまで考えていたのか──半ば関心、半ば呆れながらも、ヤギィは唸らざるを得なかった。推論につぐ推論ばかりだが筋は通っている。自分がいかにこの一件で思考を放棄していたのかを突きつけられた思いだった。
「……参ったな。オメェの話を聞いてると、疑わしくないものなんかこの世には何一つ無いって気分にさせられるぜ」
「であるからこそ、この先は我々だけで事をなすべきだと思うがね。生き残るにはそれが最も確実だ」
淡々とした、だが到底曲げられそうにない主張。二人だけで事をなす、それ自体に異存は無い。一方で再び浮かび上がる疑念──『なぁ相棒、ひょっとしてフアレスも敵だと思ってんのか?』
聞けなかった──その答えを知りたくなくて。かわって口をついたのは、自分でも情けないほど遠回しな妥協の一言だった。
「……オメェの意見はわかったぜ。だがなるべく急ぎてェ。何か戦闘を避ける方法を考えねぇと──」
「それについては、フアレスの偉大な先達のやり方にあやかるとしよう」
そう言ってイヌーが指さしたのは、仄白い明かりを落とす天井の一角、格子がはまった通気口だった。かと思えば跳躍からの抜刀一閃──抜く手も見せずに瞬斬し、鉄片と化した格子が散らばり乾いた音を響かせた。納刀と同時に酔気が淡く鼻孔をくすぐる。
「生類が使う施設である以上、こう言った『穴』は必ず有る。馬鹿正直に正面から行くよりはマシだろう」
「なるほどな。上手くすりゃあ、敵の懐まで一直線って事もある訳か。……ちったぁ光が見えてきたぜ」
「油断はするな。昔から言うだろう? 『この門をくぐるもの、一切の希望は捨てよ』だ。この先何が起きても不思議はない」
一足先に通気口へ潜り込む背に向かって、いかにも自分らしく聞こえるよう言った。自分自身に言い聞かせるためにも。
「そん時はもうアレだ、なるようになれだ」




