畜生Impossible part.1
そして彼らは戦場に居る。
遥かな異国の曇天の空の下、山間にまとわりつくようだった霧が晴れ、姿を現した敵地──コロンビア延暦寺。
濃緑の山間を蝕むようにしてぐるり囲った巨大な土塁を、無数の砲門が針山のように飾り立てる。その周囲に絶えず行き交う武装信者。境内からの読経が呪わしく轟き、その光景を一層不気味に際立たせている──たったの五人で立ち向かうには、あまりにも強大な敵。
その威容を遠目に見ながら、即席の厩舎で缶ビールのプルタブをこじ開けたのはくたびれ顔のイヌーである。
溢れだす白い泡を慌てて啜り、半分ほども飲み干して、満足気なおくびを一つ。胃の腑にしみるほろ苦さが二日酔いを和らげる。眉間の間を肉球でもみほぐしていると、俯いた視界に白いもの──相棒の怪訝な顔が上目遣いで覗きこんだ。
「何呑んだくれてる。仕事の前だろ」
「……迎え酒だよ。昨晩のが後を引いてる。お前の方こそ偉そうに言えたクチか」
「……余計な世話だぜ」
弱々しく反論しつつも、とっさにヤギィは目をそらした。今の彼は畜生本来の4足歩行。その足腰はカクカクと笑っている。昨晩ちょいとめくるめき過ぎたせいで、足腰に力が入らないのだ。
「生まれたてじゃあるまいし、しっかり立たんか」
「そっちこそ雑巾みてぇな臭いじゃねえか。野良かと思ったぜ」
呑んだくれと卒業したての青い畜生──にわかに険悪な空気が漂い始め、二人して威嚇の唸りを上げる。今しもその牙と角が交錯せんとしたその時、厩舎に現れたのは連絡役のチンパだ。その手に持った通信機からノイズ──二人の耳目がそちらに集まる。
モニタの中に現れたのは変装したタマーモとペーチュン──先発隊の二人。彼らは作戦前の下準備のため、早朝から入信希望者を装って境内への潜入を果たしていたのだ。
艶やかなGEISYA姿に扮したタマーモは一瞬で状況を悟ったのか、うんざりと嘆息する。
『二人とも、大事の前よ』
そそくさと離れる二人──イヌーは憮然と酒を啜り、ヤギィはおもねるような笑顔。
「違うんだベイビー、俺らにとっちゃ挨拶見てェなモンだよ」
『そう? ならいいけど……』
どうもちぐはぐな二人を少し疲れたように交互に見てから、雌狐は気を取り直すように先を続けた。
『それより本題。ターゲットがこちらの網にかかった。今夜にでも始められる』
「……随分と手際がいいな」──スッと目を細めてイヌー。何やら幸先の良さをひどく怪しむ。突然の難癖にヤギィの方は不穏なモノを嗅ぎとったが、画面の雌狐は涼しい顔だ。
『運が良かったってのもあるけど……ま、お偉いさんなんてどこも一緒って事よ。金と力が有り余ってたら、次は『女』って相場が決まってるもの。そちらの法師だってそうでしょう?』
言われて二人は己の飼い主、ムドーの姿を思い浮かべた。彼女の指摘はまったくもってその通り──成金であるばかりか絶倫なのが彼の凄さであり碌でもなさだ。何なら穴さえあればいいんじゃないか──納得したのか、イヌーは一つ頷き押し黙る。取りなすようにヤギィが続ける。
「それでペーチュン。仕込みと下見は?」
『どっちもとっくに済んでる。苦労したんだ、きちんと目を通してくれよな』
小男の餓鬼に扮した鳥畜生が合図を送ると、モニタ上に最新の見取り図が浮かび上がった。建物の見取り図や罠の位置、警備の巡回経路に幹部たちの行動日程──そこから逆算した二人の突入ルートまで。この短時間によくぞここまで──諜報部隊の面目躍如。
二人はその全てに目を通し、頭の中で道筋を組み立てる。最後に二、三の事柄を再確認し、タマーモが締めくくった。
『ゴーサインは私が出す。それまで無線は封鎖、ゼロ・アワーまで各自待機』
「ワン」「メェ」──鳴き声を交わして通信終了。モニターから二人が消える。チンパはさっさと奥へ引き上げ、思う様バナナを食らう。
イヌーもまた彼に倣い、厩舎の片隅でもう一杯と腰を下ろす──だが相棒は、素知らぬ顔で端末を持ち出すと、厩舎の柵をひょいと乗り越えた。
「そんなもん持ってどこへいく? 待機と言われたろうに」
「あーいや、ちょっと糞だ、糞」
「何? おい待て、一人は危険だ! ここでしろ!」
そんな相棒の制止も聞かず、ヤギィは厩舎を抜けだした。
数百メートル離れてから改めて誰も居ないことを確認すると、チャンネルをプライベートに設定。緊張しながら呼びかける。
『俺だ。タマーモ、少し話が』
待つこと数秒──やや硬質な、突き放すような声が返ってくる。
『……無線封鎖中よ』
『なぁ……本当にその……あの坊主の所へ?』
『当然よ。任務ですもの。その事については何度も話しあったじゃない』
『けどよ……ちょっと大胆すぎるんじゃないのか?』
『ヤギィ。しっかりして。貴方の仕事は何? 速やかに連中を始末することでしょう? 駄々をこねる事じゃない』
『それはそうだが……』
『心配しないで。上手くやるし、危ない時にはちゃんと言うから』
『……わかった。ならとっとと片付けて迎えに行くさ』
『ええ。頼りにしてる』
今度こそ通信終了。ヤギィはたちまち相好を崩した。目を閉じればいつでも浮かぶ昨晩の情熱のプレイ。かつて古代の歌人オングは歌った──女は海だと。
ヤギィの雑感──まさしくそうだ。濃い闇の中で踊るNaughty body、瑞々しいシリコン製のBig Tits、角さえ蕩かすHand job──まるで津波のようだった。
(……よし、決めた)
この任務を無事終えたら、還俗して番になろう。なに、心配はいらない。お互いが畜生同士なのだ。きっと上手くやれるはず。
眩い未来を描くたび、全身に因業力が漲ってくる。漲りすぎて、いけない角まで漲ってきた。
『もう、困った愚僧ね』──妄想の中で新妻(仮)が微笑む。辛抱たまらず股間のマストに蹄を添える。出港準備は全て完了、両舷全速 Yo 早漏──船出の瞬間、背後に何者かの気配。とっさに振り向く。すっかり素面な相棒が居た。
「……お主なぁ」
「なんだよ」
心底からの呆れ顔に、若い畜生はたじろいだ。昨晩ナニがあったかまでは知らないはずだが、青臭い慕情は既に見抜かれている。またぞろ抹香臭い説教かと身構えたが、しかし放たれた言葉は一瞬耳を疑うものだった。
「あの牝に……フアレスにあまり気を許すでない。何かが妙だ──」
「妙って、何がだよ。つーかオメェ、あいつらを嗅いだのか?」
「う……む。まあ、少しばかりな」
瞬間、ヤギィの顔がにわかに怒りで強張った。洗ってない蹄で朋輩の胸ぐらをつかみあげ、咎めるような敵意の眼差し──だがイヌーの方にも言い分はある。
忠勇なる法師の下僕はいかなる時でも油断はない。ましてやこの異国の地である。確かに信用は大事だが、それも行き過ぎれば仇となる。握手を求める指先が、突如爪を立てる事もありうるのだから。
だが結果を言えば、彼らから一切嘘の臭いはしなかった。では何が引っかかるのか? それは言葉遣いだ。ヤギィが入れ込む雌狐や、あの姦しい雀畜生の言葉の中に、時折奇妙な違和感があった事を思い出していた。
例えば『ローカルの畜生』。例えば『プッシー知らず』などの婉曲的な表現の数々。はじめはこちらの独特の方言の類かと思ったが、かつてどこかで聞いた覚えがある気がしたのだ。さて、それはいつの日だったか──懸命に記憶の意図を手繰るイヌーだったが、余程に古い記憶なのか、容易には思い出せない。
「するってぇと、何か? 根拠はオメェの勘だけか? それでよくまあ偉そうにいえたもんだな」
「しかしだな、万が一ということも……」
「くどいぜ相棒。そっちこそ酒で頭が沸いてんじゃねーのか? 仲間を疑う前に自分の調子を管理しやがれ」
相棒はそれきり背を向け、口を利こうともしない。
(……マズいな)
イヌーは唸った。今の連れは冷静ではない。為すべきことを取り違えている。
今この場で最も大事な事柄は、何をおいてもまず疑うことだ。置かれた環境、与えられた情報、自らの心理状態。一つでも盲信したその時こそが最も危うい。
ともに飽きるほどに繰り返してきた、生き残るために必要なプロセス。それが、今の相棒からはごっそりと抜け落ちている。これではただの畜生ではないか──全く、恋は盲目とはよく言ったものだ。
だが既に事態は動いている今、これ以上の疑念は自殺行為でしかあり得ない。イヌーは一旦矛先を納めざるを得なかった。
仄かな不安をはらみながら、畜生達は静かにその時を待つ。
◆
瞬く間に時は流れ、時刻は草木も眠る丑三つ時。
相変わらずの曇天、加えて新月。再び霧も立ち込めつつあり、幾ら灯りに工夫をこらしても見通しは悪い──即ち、潜入には絶好の夜。
そして待ちかねていた一報が、ついに彼らに訪れた。
『皆、おまたせ。ダバディと部下が迎えに来たわ』
『オーライ畜生。本堂に向かう』
報告を受け、イヌーとヤギィはすぐさま厩舎を発つ。残るチンパは中継役としてこの場に残る。
◆
ついに動き出した非正規作戦『Operation:FUKUROW CASTLE』──概要はこうだ。
GEISYAとして潜り込んだタマーモがエスコバルの元へ向かい、一夜のアバンチュールを演出して油断を誘って隙あらばその場で討つ。その間に畜生僧兵の二人は既定のルートから潜入し、F.A.R.Bの面子を奇襲しダバディを仕留めてタマーモのフォローへ。
その後ペーチュンが仕掛けた爆薬で境内全域に騒ぎを起こし、脱出をサポート。チンパが手配した脱出手段で国外へと脱出する。
そのための第一段階──法師との接触までが最大の難所であったが、フアレスの面子は難なくやってのけた。なれば今度は二人の番だ。白と黒の無明の山中を、二人の畜生がひたすらに征く。
一方、その頃境内──信者が起居するパドックの一角。
タマーモは何食わぬ顔で敵方の幹部を迎え入れ、次なる準備にとりかかっていた。深夜の誘いに驚いた芝居をしつつ、『仕事』に向けて身支度を整え始めた。あえてゆっくり、焦らすように──オフェンス二人が潜入するまでの時間稼ぎ。
仕上げに帯に懐剣を仕込み、カプセル状の小型発信機を飲み込んだ。この発信機の信号を元に、チンパのナビを経由して畜生僧兵の二人はターゲットを目指す事になる。
そうして完成した彼女の装いは、古式ゆかしいage嬢スタイル──高々と結い上げた昇天ペガサスMIX盛りに、大きくはだけた花魁振り袖。成金相手にふさわしい、実にかぶいたド派手な衣装。
これには待ちぼうけの荒馬達も、ほうと感嘆のため息をついた。
「やっぱりU.S.Sの芸者は一味違うわねェ。住職もきっとお喜びくださるわ。……ところでアンタ、畜生の客は取らないのン?」
「金額しだいね。どのみち法師様のお相手が先。早く案内して」
「つれないのねェ。……まあいいワ、ついてきなさい」
ダバディはつまらなそうに面長の顔をしゃくり、雌狐を左右に挟みこんで元きた道を引き返し始めた。丁度その時、イヌーとヤギィも山門を乗り越え終える。
夜陰に乗じて素早く、かつ物音を立てずに進んでいく──各所に設置された監視カメラやセンサー類は、チンパがハッキングして欺いてくれる。だが歩哨の方はそうはいかない。
時折出くわす見張りの信者をやり過ごし、あるいは迂回するうち、霧の彼方にかすかに揺れる灯火が見る見るうちに霞んでいく。すかさず厩舎からチンパの指示が飛ぶ。
『イヌー、ヤギィ、目標と距離が離れて来ている。少し急いだほうがいい』
『そりゃ分かっとる。だが思ったより敵の哨戒が厳しい。代替ルートはないか?』──今まさに武装信者を昏倒させたイヌーの応答。落ち着いてはいるが、かすかに焦りが滲む。
『無いことはないが……ああ、ちょっと待ってくれ。様子がおかしい』
無線の声がにわかに緊迫──刺すような空気。小さなケチが、何かとてつもない事の前触れのように感じられる。
『マズい。ターゲットが行き先を変えた。連中、本堂には向かわないぞ』
『じゃあどこだよ? もったいぶらずに教えてくれ』
沈黙──判決の前触れのように。はたして紡がれた答えは、一同を正しく絶望へたたき落とした。
『中門……『裸生門』だ』
よりにもよって──二人の間に戦慄が走る。
裸生門──過日スネークが忍び込み、ついに帰る事が叶わなかった因縁の場所。
その警備の物々しさは本堂に勝るとも劣らず、その奥に何があるのか依然として不明のまま──これはいよいよ良くない流れだ。
顔色をなくしたヤギィが無言の疾走。イヌーもその後を追う──二人が追いついたその時には、ターゲットの一行が丁度門をくぐる所だった。再び門扉は固く閉ざされ、そして──。
『くそっ、霊圧が消えた! どうなってやがる!?』──喚くチンパの声を他所に、イヌーとヤギィは顔を見合す。全くの偶然か、それとも敵の罠だろうか? ……考えている暇はない。
『とりあえず突っ込む。考えるのは後からだ』
『……わかった。すぐにペーチュンをフォローに回す』
苦しげな呻きを聞きながら、得物を手に先を急ぐ──この時二人の畜生は、待ち受ける戦禍の苛烈さをひしひしと肌で感じていた。




