Nevada Briefing part.2
一同はひとまず会議を中断し、抜け殻と同梱されたVHSの中身を検めることにした。
最初に飛び込んできたのは、無明の闇──。
ついで、ゴソゴソと何かを動かす物音。しばし間があり、照明が点灯。
映し出されたのは一脚の椅子と、そこに縛り付け荒れた一匹の畜生──細長い体躯に生体パーツの義手義足/傷だらけの鱗/虚空を彷徨う黒褐色の瞳孔/チロチロと踊る火先のような舌/満身創痍の蛇畜生。
「スネーク……!」
思わず漏れた雌狐の掠れ声──それが合図であったかのように、部屋の奥から新たな畜生が姿を現す。
その容姿──芦毛の体毛/しなやかなな体躯/荒々しく逆立てた鬣/縦に長い細面/口元に浮かぶニヒルな笑み/その背に背負った迷彩柄の鐙と鞍/同じ柄の下履きの内側、槍と見紛う立派な陽根/威風堂々馬畜生。
一見して只者ではない畜生の登場に、歯を剥きだして唸ったのは畜生僧兵の可愛い方、イヌーである。
「こいつ……! 傭兵ダバディか!」
「なんだ、知ってる畜生か?」
「Fuerzas Armadas Revolutcianarias de Bokujyou──通称、牧場革命軍。こいつはその司令官だ。以前一度やりあったことがある」
「マジかよ……そんな話初めて聞いたぞ?」
「お主はおろか、儂が僧兵になる前の事だ。……古い話だ、忘れろ」
そう言われても、ヤギィとしては気になって仕方がない。彼が俗世にいた事も初耳なら、その目に映る色濃い怒りと警戒を見るのも初めてだった。
あの馬畜生との因縁は、彼の出家と去勢に何か関係があるのだろうか──気になるが、イヌーはもはや口を開こうとはしない。ひとまず諦め、動画へと向き直る。
画面の中では、部下と思しき複数の馬畜生がスネークを取り囲み、歯を剥いて厭らしい笑みを浮かべている。ダバディはその中に分けいると、その蹄でスネークの頬を張り飛ばした。
「Hola、セニョール畜生。お目覚めの気分はどう?」
「……悪くない。頭痛薬はほしいがね」
目覚めた虜囚の存外気丈な軽口。荒馬は不快に目を細め、もう一発張り飛ばす。
「さすが、ウチの庭を単独で荒らすだけの事はあるわねェ。フツーの拷問じゃ音を上げないし、中々大したものだわ。……そのタフさに免じて、ウチの法師が会いたいそうよ」
続けて数発──ひとしきり嬲りおえた馬畜生は股間の一物をパンパンに膨らませ、その瞳を嗜虐の快感に陶然と潤ませる。あらい呼気を収めているうち、遠くに足音、そして光。
「そら、来なすった──」
現れたのは、シルク僧服に黄金の袈裟──成金姿の伊達男。神々しいまでの威光をまとい、足元から吹き出すスモークが彼を雲上の人であるかのよう錯覚させる。何より身体に滲んだ圧倒的なオーラが、彼の存在を何倍も大きく見せていた。
スネークの口から、その名が無意識に紡がれる。
「住職……エスコバル……!」
「いかにも」
応えた法師は厳かな面持ちのまま滑るような足取り。畜生一同、蹄を揃え、居住まいを正して出迎える。その間スネークは、生きた彫像と化している。圧倒的カリスマを誇るの敵の首魁の姿に、息を呑むのも忘れていた。
やがて彼の正面に陣取った法師は、囚われの畜生をみてピクリと眉を震わせた。
「……ダバディ。暴力は控えめにと申し付けておいたでしょう?」
「は……いや、しかし……」
「言い訳無用。そんな事では革命など夢のまた夢です。何事にも愛を持って応えることを学びなさい」
字面だけは法師らしいが、その実表情も声音もなまぐさのそれ──スネークを見下ろす彼の目は、奈落の虚より深い黒。その癖奇妙に澄んでいて、奇妙な引力を感じさせた。
「さて、お客人。当寺院のものが大変なSOSOをしました。彼らに代わって、このエスコバルが改めてお詫び申し上げる」
「詫びよりも、早いとここの拘束を解いてくれると嬉しいね。家に帰って頭痛薬を飲みたいんだ」
「そう焦らず。私は貴方と友人になりたいのですよ。後ろの彼らと同じようにね。その為にも、お互いの事をよく知る必要があるとは思いませんか?」
言いながら頬を撫でられ、スネークは頭を振って拒絶する。吐き捨てた唾が足元に染みを作ると、護衛畜生がにわかに殺気立つ。それをやはり目と手で制すると、やれやれと肩をすくめて立ち上がった。
「誰か、アレをお持ちしなさい」
ダバディが顎をしゃくって部下の一人をつかいに出す。程なく戻った畜生が手にしたもの──それが『喰苦』だと気づいた時、スネークの顔はにわかに強張った。
「当寺自慢のこの一品、頭痛薬などよりはるかに霊験あらたかですぞ。是非たっぷりと味わっていただきたい」
エスコバルはいっそう朗らかに頬を緩ませ、ダバディとその部下に命じてスネークの体を押さえつけさせた。
そうして懐から注射器を取り出し、砕いた喰苦と水をその中に注いだ。かざした針からプクリと水滴が生じ、ぽたぽたと地面に滴り落ちる。それを魅せつけるかのように虜囚の目元に持って行き、やがてそれは彼の人造の足元へ。
その時スネークは、一体何を思っただろう──喰苦なんかに負けない、だろうか。それとも絶対に耐えてみせるという決意だろうか。いずれにせよその瞳は自信に燃え、修羅場を楽しむ節さえあった。
足裏に怜悧な針の感触。ついで体内に液体が注がれる──なんとも言えない不快感。食いしばる歯の根から、かすかな吐息が漏れる。が、その効果は思ったほどの物でもない。さてはハッタリ、あるいは己の意思の勝利か──。
だが──しかし。彼はまだ知らなかったのだ。いかなる経験も、断固たる決意も凌駕する、至高の高みがあることを。
──んホォォォォォォォおおおおッ!!
あられもない絶叫が、虚空を引き裂きこだました。視界が急速にぼやけては鮮やかになり、その中で無数の光が乱舞した。全身の血流が驚くほどハッキリと感じ取れ、凄まじい爽快感が電流となって神経を駆け巡る。その快感は大きくうねってスネークの心を津波のように飲み込みつつある。苦痛が悦楽に溶けていき、己と世界ががイコールで結ばれる。夢とうつつを彷徨う中で、確かなモノはただ一つ──足裏からの妙なる調べ、奏でるは邪悪の法師。しっかりと握った畜生の足裏を、その分厚い手で弄っていたのだ。
「──いかがです?」
「いい! 足裏! 足裏きもちいいれしゅ!」
その答えに満足気に頷きながら、足裏をぐいぐいと押すエスコバル。手練の手管につぎつぎとツボは刺激され、血行がほぐれてぽかぽかと身体が温まる──くなくなと身を捩り、激烈な快感を目一杯に訴えた。法師は凪いだ面持ちのまま、畜生に問う。
「最高ですか?」
「最高です!」
「最高ですか?」
「最高でーす!」
「もっと足裏に喰苦ほしいか?」
「欲しい! 何でもすりゅから! りゃからお願いもっほひへえええええ!」
身も世もなく身悶えるその姿に、先刻の気丈な姿の面影はない。今や彼は、畜生ですら無い。喰苦という糸に操られ、至上の法悦に酔うただの傀儡だ。
「では、貴方の素性と目的を正直に答えなさい。さすればもっと最高になれますよ」
逡巡──わずかに残った使命感が、彼の意識をギリギリの所で繋ごうとする。だがそれもつかの間、おかわりの喰苦が打ち込まれ、いよいよ彼の覚悟はあっけなく崩壊した。
己の名をはじめ、所属する組織、その構成に拠点の位置──当代随一の畜生斥候の口からうたわれる、門外不出の機密の数々。この信じがたい光景を、残された者達はただ見届けるより他はない。
やがて全てを吐き出した時、蛇畜生は文字通りの骨抜きに。汗だくの身体からズルリと皮が剥がれ落ち、新たな鱗がテラテラと濡れ光る。生まれ変わった蛇畜生の表情は赤子のように無垢だった。
「よく言えましたね、スネーク。でも、信じて送り出した元お仲間にはごめんなさいしないといけないよね? 一人で出来るかな?」
すっかりとトロピカルにされた腰砕けの蛇畜生は、何度も大きく頷くと、縛めをとかれて力なく倒れこむ。それでも何とかカメラの前で跪き、とろけきった足裏を無防備にさらけ出す。のそりとあげたその面貌──法悦の彼方に視線を遊ばせ、だらしなく緩んだ口元からは涎としたがはみ出ている。精一杯の気力を絞り、別れの為に作った表情──アヘ顔&Wピース。
「ふあれしゅのみんな、ごめんなひゃい……しゅねーくはぁ……堕ちちゃいまひたぁ……はへぇ……足裏診断、気持ちいいろぉ……」
言い終えるとスネークはとうとう力尽き、荷台に載せられ闇の中へと連れられていく。意識は彼岸を渡ったまま──恐らく二度とは戻るまい。
それが、かつて世界最高峰とうたわれた畜生の末路だった。
◆
映像はそこで途切れ、スクリーンには砂嵐。店内に明かりが灯る。しかし空気は淀み、重苦しい。
衝撃冷めやらぬ中で口火を切ったのは、やはり牝畜──タマーモだった。
「……説明が一つ省けたわね」
深い嘆息をつき、一同を見回すタマーモ。手櫛でブロンドをかきあげながら、言葉を続ける。
「さっきの話の続きよ。ターゲットは今の二人──法師エスコバルとゲリラ畜生ダバディ。彼らさえどうにかできれば、状況は打破できる。ただし敵にこちらの素性がバレてる以上、もはや一刻猶予もないわ。連中が動き始める前に、こちらから仕掛けるしか無い」
そこで、タマーモはもう一度助っ人の二人に目を向ける。
「お願い、力を貸して。もう私達だけじゃどうにもならないの」
彼女は形振り構わず縋り付き、二人の手をぎゅっと強く握りこんだ。ひんやりとした手は細かい震えを隠しきれず、僅かな時間でその美貌は随分とやつれている。
ヤギィには、この嫋やかな手を振り払うことなど到底出来そうにない。では相棒はどうだろうか──チラと横目で盗み見れば、イヌーもまたこちらを見つめていた。お互いに頷きを交わす。
「……ま、やるしかあるメェよ」
「明日は我が身というやつだワン」
決然とした二人の言葉に、タマーモは打たれたように顔を覆った。感謝の言葉が涙でにじむが、再び面を上げたそこには、気丈な顔を取り戻していた。
「私達も現地へ向かい、あなた達二人をサポートします。ここの武器も好きに使ってくれて構わない」
指し示したのは、店の一角、陳列された武器の数々──ちょっとした軍隊並みの充実ぶり。
これだけあれば餓鬼達だけならなんとかなる。だが、問題はあの畜生──ダバディと牧場革命軍の連中だ。余剰戦力の可能性も考慮すれば、状況を決定づける確実な手段が必要だった。
「表のでかい釈尊はどうなんだ? アレが使えるなら相当楽になるんだが」
「……ごめんなさい。アレは事情があって動かせないの。整備の方は済ませてあるんだけど……」
「お前やっぱ馬鹿だろ? あんなでかい物で乗り込んで、バレねー訳ねえだろうが」
またぞろ鼻で笑う鳥畜生に、ヤギィの眉間に皺が寄る。だが彼の言うとおりだ。こちらは寡兵、相手は大軍。奇襲でなければ効果は薄い。だがそれでも、ここは譲れない線だった。
「もっと小型のヤツでもいい、何とかならんか?」
そこで一同の注目を集めたのが、これまでほぼ無言を通した狒々畜生のチンパだ。
彼の女ボスは、面通しで彼の事をこう紹介した──釈尊のエキスパート、仏師であると。
ひょっとして彼なら、霊長類ならなんとかしてくれる──まだ慌てる時間じゃなかったかと、イヌーとヤギィの期待が高まった。
それを尻目に一人バナナる狒々畜生は、新たな一本を選びながら淡々と口にする。
「まぁ……一晩もありゃやってやれん事もないし、個人的には一向に構わんのだが……」
「だが?」
「……交渉と資材の管理はペーチュンの仕事だ。釈尊が欲しけりゃ彼と話してくれ。私は人と話すのが苦手でね」
チンパはそれきり、再びお口にチャックした。だがその口元は微かに面白そうな笑み。気づいたイヌーと、ちらり目が合う。同時にお互い肩をすくめる。それだけで伝わる無言のやりとり──『お互い、相棒には苦労しますな』。
当然、タマーモも気づいていたが、あえて口は出さない。腕を組み、何かを推し量るかのようにじっと目を凝らす。
試されている──とヤギィは直感した。ここで団結できないようなら、信頼をかいたまま任務に臨むことになる。二人はまだいい。所詮は応援、身元さえ隠し通せばいつだって尻尾を巻いて逃げられる。
そして残った三人は、延暦寺はおろかフアレスからも追われる身となる。結果、行き着く先はあの世だけ。悪くすれば、二人が追手の役を任されることさえ──否、間違いなくそうなる。法師ムドーは禍いの種を決して見逃さない。
正味の話、タマーモはともかく、この鳥畜生は虫が好かない。フンについての落とし前もまだ済んでいない。だが彼が野垂れ死ねばいいのかというと、それもまた違っていた。
こんな時に浮かんだのは、あの夢の中の光景だった。あの雄々しく清々しい畜生なら、この状況でどうするだろう──瞑目して考える。
再び目を見開いた時、ヤギィの身体は自然と動いた。未だ憮然とした鳥畜生──その足元に跪き、無言のうちに仰向けに地面に転がり、その白い腹を無防備にさらしてみせたのだ。
あらゆる畜生にとって最も屈辱的とされる、屈服の姿勢である。これに慌てたのはペーチュンだ。音に聞こえた赤い寺院の畜生僧兵、その片割れが折れたのだから。
「……何のつもりだ、この畜生!」
「何って、そりゃ詫びだよ。……俺らがもう少し早くついてりゃ、もっとマシな手がうてた。おメェが怒るのも無理メェ。さ、気が済むまでフンしてくれ……さぁ!」
ヤギィは尚も憚ることなく、腹を晒して鳥畜生の目を見据える。ペーチュンは言葉も無く、ただオロオロとあたりを見回した。だが誰もが応えない。特に上司のタマーモなど、ニヤニヤと笑みを浮かべて追い詰めるのだ。
「どうするの、ペーチュン?」
「分かった……わかったよ! いいからその角あげやがれ! っつーか頼むから上げてくれ!」
悲鳴じみた囀り──そこでようやくヤギィは立ち上がり、ペーチュンは照れくさそうに羽ばたいた。もうどうにも居た堪れず、そっぽを向いて裏口へと向かう。
「2時間で仕入れて来る。ボス、そこのバナナ野郎にも準備を急がせてくれ」
「ええ。任せて」
鳥目の彼は夜間用のゴーグルを被ると、裏口のドアを開けた所で振り返る。
「頼りにしてるぜ、畜生僧兵」
それだけを言い残し、彼は砂漠の夜へと飛び立った。ヤギィは慌てて追いかけ、日暮れの空へ『メェ』と一鳴き──その声が届いたか、鳥畜生は大きく旋回。その矮躯で弧を描く。それだけでもう、彼らの絆は確かであった。
赤い寺院とフアレスのN.U.E──二つの寺の畜生達は、今ここに一つになったのだ。




