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二話「流れ着いた少女」

「あーあ、退屈だぜ。この任務やるんじゃなかったな。」


そう、独りごちて少年、キリは河面に石を投げ込む。


 キリは今年で十二になる。もちろん傭兵団では最年少だ。お陰で誰も彼もがキリを何も出来ないガキ扱いする。だから副長から敵兵の偵察を頼まれたときは嬉しかった。簡単な任務です、と事務的な口調で念を押されはしたが、それでも傭兵になってから初めて任された『らしい』仕事だ。今まで仕事と言えば、カムリの手伝いで汗臭い衣類を洗濯したり、他の団員に混じって炊事当番をしたりと言った裏方仕事ばかりだった。


 キリも男だ。せっかく傭兵になったのだから矢面に立つような仕事がしたいと常思っていた。そんなこんなで冒険心を膨らませて受けたこの任務は、その実河川の観察と言い換えてしまっても良いような代物だった。ただでさえカムーン川の河幅は広く、昼間でも対岸は霞んで見える。さらに今朝は川霧が掛かっていて全体の半分も見渡せない。対岸は真っ白で何も見えませんでした、と報告したら副長はどんな顔をするだろうか。案外、事務的な顔で、では川霧の様子を報告なさいとでも言うかもしれない。


 はぁ〜、と重く溜息をついて今日何個目かの石を投げ込む。石はチョンチョンチョン、とリズミカルに何度か跳ねて水面に吸い込まれていった。


 「んっ?」


 石が消えた辺りをよく見ると先ほどより霧が薄くなっているのが分かった。もうしばらくすれば対岸の様子も伺えるようになるかもしれない。これでも目は悪くない。戦術指南のガライ爺にもそう言って褒められた。キリは河岸のぎりぎりに立ち、よく目を凝らして対岸の様子をじっと見つめた。


 「うおお!よっしゃだんだん見えてくるぞ。―――人影発見!なんか白いのを抱えてんな…。」


 しばらく見つめていると人影は抱えていた白い物体を大きく広げ水平に渡した木の棒にそれを引っ掛けて………。


 そこには敵兵がのどかに屋外でシーツを広げる情景が繰り広げられていた。


 「うおいっ!なに暢気にシーツ干してんだよ!今日は洗濯物が良く渇くわ〜ってか。めでてーなおい!戦争なめてんのか!」


 「ちきしょー。これじゃうちといい勝負のだらけっぷりじゃねえか。…ん?なんだありゃ。」


 キリが立っている川辺からそう遠くないところに、黒く広がった水草のようなものが漂っている。水面の反射で見にくいがその下には白い布のようなもの。


 「―――!あれは、人だ!」


 確認するや否や、キリはすぐさま河に飛び込んだ。ただの水死体かも知れないなんて考えもしなかった。


 この辺りは土地が平らで河の流れは緩やかだ。真っ直ぐ泳げば追いつける。着衣のまま飛び込んだせいで、衣服が水を吸い体にまとわりつく。春先とはいえ、早朝の河の水は未だ冷たかった。冷たい水がキリの手足から急速に体温を奪って行く。キリは感覚の徐々に失われてきた重い腕で、それでも水を掻き分け進む。そしてやがて、キリの腕が溺れている人物の腕を掴んだ。

 思っていたよりも短い時間でたどり着けた。溺れているのが存外小さい人間だったせいで距離の目測を誤っていたのだろう。溺れていたのは女の子だった。それもキリより随分小さい。キリの腕の中でぐったりとしていて顔色も悪いが、伝わってくるわずかな体温がそれが死体ではないことを教えてくれた。


 小さい少女を抱えて元の岸までたどり着くのは苦では無かった。岸に上がってからも息つく暇など無い。急いで少女を背中に負ぶった。背中から感じる少女の鼓動は弱々しく、早く処置しなければ命に関わるだろう。キリは集会所のテントへと一目散に駆けた。

 

~~~


 「―――団長!大変だ!河から女の子が流れてきた!!!」


 集会所の風防を跳ね除けて、最初にキリの目に入ったのは見慣れた団長の背中で、彼は思わずそう叫んだ。


 ブランが飲んでいた麦酒を吹き出しむせるのと、なぜか入り口を向いていた団員達の目が一様に丸くなるのは同時だった。いや、イールを除いて。彼はいつも通りのニヤケ面だ。


 刹那の硬直の後、最初に動き出したのは氷の副長、アウレリアだった。


 「キリ、任務ご苦労。事情は後で聞きます。その少女をこちらの食卓の上へ。」


 ブランは未だむせている。どうやら気管に入ったらしい。

 アウレリアは卓上に寝かされた少女を慣れた手つきで触診し、鼓動、脈拍、体温、呼吸を手早く確認した。


 「シーシアス、炊事場でお湯の準備を。イバラードは宿舎から出来るだけ清潔な毛布とシーツを。ボレルは備品庫へ。新しい衣服と布を持ってきなさい。皆大至急です。」


 呼ばれた三人は各々短く返事をすると、テントから出て行った。


 団員達に指示を送ると、今度は少女の人工呼吸に取り掛かる。鼓動はあるとはいえ、まだ幼い少女だ。予断を許さない状況である。なにをおいてもまずは肺の中の水を吐き出させる事が先決だ。弱った鼓動に刺激を与えつつ、少女の口に呼気を吹き込んでいく。少女の弱い肋骨を折らないように力を加減しつつ慎重にこれを繰り返す。アウレリアの白い額には薄く汗が浮かんで来ていた。状況を見つめる団員達の間にも重苦しい空気が流れる。


 幾度繰り返した頃だろうか、ピクリともしていなかった少女が大きく体を痙攣させて水を吐き出した。ぜぇぜぇと荒くはあるが、自発的に呼吸している。意識はまだ取り戻さないようだが、一安心といったところか。固唾を飲んで見守っていた周囲の面々も安堵の表情を浮かべている。


 「―良かったぁ」


 キリは肩の力の抜ける思いだった。半人前の自分でも人の命を救うという大仕事を成し遂げることが出来たと思うと、なんだか誇らしい気分で胸が詰まった。ぽんぽん、と大きな手がキリの頭を優しく叩いた。ゾッドがその優しい褐色の瞳を向けてくる。その目が良く頑張ったな、と言っているようでいつもは子ども扱いと嫌うそんな行為も気にならなかった。


 「これでいいでしょう。イバラード、ボレル、戻りましたね。リエッタはその子を着替えさせて、毛布で体を温めてあげなさい。シーシアスが戻ったらお湯で絞った布で体を拭くことも忘れずに。お湯が温くなったら補充しなさい。貴女の治癒の力での治療も並行して行えばすぐ平熱にまで回復するはずです。」


 「はっ、はい。がんばります!あ、でもアウレリアさんそれって全部この場所で?」


 「…なにか問題でも?」


 「あのぅ、だってほら女の子ですし、ここで着替えさせるのはちょっと可哀想かなーなんて…。」


 「彼女は気絶しています。それに幼子ですから、男女の別は関係ないでしょう。」


 「…ふぁい。」


 たとえこの子がいくつであっても、女の子なら見られて恥ずかしいものだとカムリは思うのだが、そう言った機微はアウレリアには伝わらないらしい。


 「…いいですね皆さん!ぜえぇぇっったい見ちゃダメですからね!」


 カムリは周囲の男性陣をねめつけ、強く念を押した。

 さすがに二桁にも達していないような年頃の少女に劣情を催す男性は団員にはいない。カムリの言葉に男性たちは口々に不平を吐くが、それでも素直に少女とカムリから視線を外した。


 そこに不意によく通る大声が響く。他の団員と共に成り行きを見守っていたブランだった。


 「あ〜、どうやら落ち着いたみてぇだな。後の事はカムリに任せるとして、俺たちは俺たちで話し合う必要がある。キリが助けたガキ、そいつは誰か、いったい何処から来たのか、なぜ河に溺れていたのか。奇しくもイールの言葉通り、興味深い厄介ごとってヤツが舞い込んできたみたいだな。」


 「…団長、あんたむせてただけの割りにえらそうだな。―ぶえぇっくしょ!」


 「混ぜっ返すんじゃねぇよキリ。よく考えたらお前さんもびしょ濡れじゃねえか。てめぇもさっさと着替えて寝ちまえ。風邪引くぞ。」


 「おい!おれにだって話し合いに参加する権利はあるだろ!おれが助けたんだぜ…ぇええっくしょん!」


 「あーあー言わんこっちゃねぇ。ほら行った行った。」


 追い立てられしぶしぶ集会所を出て行くキリ、その背中にブランの声が掛かった。


 「おいガキ、――よく頑張ったな。誇っていいぜ。」


 キリの肩がびくんと跳ねる。表情は伺えないが耳が真っ赤になっているのが見える。


 「…ガキじゃねぇっつってんだろおっさん!」


 キリはそう捨て台詞を吐いて、集会所から駆け出して行った。


 「さぁて、素直じゃねぇガキが行ったところで、会議を始めるとしようか。」


 「グレイグ、その前にすべきことがあるでしょう。」


 「なんだアウラ、帳簿なら後回しだぜ。」


 アウレリアは食卓の片一方を目線で示す。少女を寝かせるスペースを空けるために寄せられた食器類が卓上に乱雑に積まれていた。


 「食器の片付けです。さすがにこの状況では会議はできないでしょう。」


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