無秩序3
(4)
昼下がりのそよ風がふく小高い丘で、マサオもまたパンデミックの情報をいち早くえて、過去と向き合う為に自分を思い出していた。
父といた八歳までの正夫の人生は{意味のない事}であった。正夫にとって{意味のない事}をする事は時間の無駄であった。宇宙の生命に比べれば人間の命が燃える速度など瞬きほどの時間でしかない。{時間の無駄は命の無駄である}と考えていた正夫は、何をするにも意味を考えた。しかし、正義が目の前に現れた時から正夫の{意味のある}人生が動き始めた。
一九八四年、正夫は行きたくもない学校から、帰りたくもない家路の途中にある大木の下に未来への手紙を埋めた。で正義に出会った。
未来の人へ
今日の午後6時半あなたのいる時代にタイムマシーンが発明されているのなら、ここへ来て僕を未来へ連れて行って下さい。もし、あなたの時代にタイムマシーンがないのならもう一度この手紙を埋めてください。
どうかお願いします。
一九八四年 七月三日
正夫の人生を変えたその日も、正夫は父にサウンドバッグのように殴られていた。父は今まで拳しか使わなかったが、その日は置いてあった金属バッドを手にした。正夫は殺されると思い家の外へ逃げ出した。父は泥酔し足をふら付かせながら追いかけてきた。
正夫は死に物狂いで走った。今日は約束の日だった。時間は五時五十五分。大木が見えた。誰もいない。正夫は死に物狂いで叫んだ。「未来人!助けて!」
正夫は大木の前に立ち尽くした。
父が背後に迫る。
父は笑いながら金属バッドを正夫の頭目がけて振りおろした。
ゴン!と鈍い音がした。しかし、金属バッドは正夫の頭にヒットしていなかった。男が目の前にいて左手の前腕で金属バッドを受けていた。
男は言った。
「私の名前は反田正義。正夫君だね?君を迎えにきた。」
正夫は正義の左手が妙な方向へ向いているのを見て声を震わせて言った。
「未来人さん。腕が!」
正義は皮肉な笑顔を見せ、泥酔状態の正夫の父を右手で殴り、素早く蹴りを腹に入れ一瞬で倒し言った。
「正夫、私はヒーローでも未来人でもない。私と来い。お前は選ばれた。」
正義は右手を差し出した。
正夫は差し出された正義の右手をしっかり握り、そのあたたかさに涙をこぼした。
数日後、児童虐待防止法により正夫は正義の児童施設に委託された。
それから二年後、正義の児童施設での生活に大分慣れてきた正夫に、二度目の人生を変える出来事が起こった。
十歳の正夫は自分と同じ施設の孤児の中に不可解な行動をする人物に興味を持ち話しかけた。
「霧摩くん。何してるの?」
霧摩は目を血走らせ、ニヤニヤしながら言った。
「こうするとスカッとするんだ。お前もやってみろよ。」
正夫は霧摩に言われるがまま行列をなしているアリを二・三匹潰した。正夫には{意味のない事}であったので首を傾げながら言った。
「なんともないよ。」
「ふーん。お前って変な奴だな。こんなにスカッとすること無いのに。」
正夫が他人との価値観の相違を学んだ瞬間だった。霧摩にとってアリを潰すという行為は意味にあるものだが、正夫にとっては時間の無駄であった。
しかし、霧摩とコミュニケーションをとる事で価値観の相違を学ぶ事ができた。これは正夫にとって{意味のある事}であった。つまり、{行動する事}は意味のある事に繋がる可能性がある。正夫は胸に刻んだ。
その数年後、霧摩が潰していたのは、アリから猫の頭へと変わり、人間の頭へと変わっていく事となる。霧摩は正義のいう{第二の環境因子}快楽を求めてキル遺伝子を発動させる者であったという事になる。
それから三年後の一九九0年、正夫は十三歳になっていた。
霧摩との出会いで行動力を手に入れた正夫は、世界中の疑問を唯一尊敬する正義にぶつける事が日課になっていた。正夫にとって正義と話す事は、意味のある最高の時間であった。正義から全てを理解し学ぶ為に、多くの本を読み自らも努力した。その成果もあり学校の成績はトップクラスであった。
優等生の正夫は施設内にあるパソコンの使用を、唯一正義から許されていた。ある日のこと偶然開いたデータの中に施設内の設計図を見つけた。そこに見た事も無い小部屋が施設内に存在していることを発見した。どうしてもそれが気になった正夫は施設内で一番気の弱い同級生の塩田伸之を誘い、次の日の深夜二時に隠し部屋探索を決行した。
正夫は懐中電灯を片手に、設計図に記載してあった小部屋の前まで来て、首を傾げて言った。
「おかしいなぁ。設計図の通りならこの辺りに入り口があるんだけど。」
伸之はキョロキョロ周りを見ながら声を震わせて言った。
「見間違えたんじゃないの?無いなら帰ろうよ。」
「何度も見直したから間違いない。絶対ここなんだ。」と正夫は言ってドアがあるはずの白い壁を懐中電灯で照らしながら考えた。
(封印以外の目的で俺が隠し部屋を作るなら、入口を見つかりにくくするのは当たり前だが、その前に簡単に開けられいつでも入られるものにする。)
正夫はドアがあるはずの壁を軽くコンコンと叩いて呟いた。
「封印?いったい何を?」
正夫が思い出にふけていたその時・・・そよ風が突然強風に変わり、見えていた景色が寂しくも美しいものへと変化した。
「もし、俺があの時それ以上{小部屋}に興味を持たず、それで諦めてしまっていればこんな思いをせずにすんだのかもしれない・・・{キング}{パンデミック}この二つをつなげられる人間はあの小部屋をつくった正義しか考えられない。」
正夫はそう呟きながら拳を握りしめた。
(5)
二〇一三年キングとの約束の日、清原達はなす術も無く手をこまねいていた。
「清原警部!警部!」篠原警部補が叫びながらオフィスに飛び込んできた。
清原は落ち着いた口調で言った。
「キングか?」
篠原は頭を横に振って言った。
「違います!マサオです!マサオと名のる男が現れました。」
「何!マサオってあのマサオか!何処にいる!?」
篠原はオフィスのドアを指差し言った。
「すぐそこにいます。」
「早く通せ!」
マサオは篠原に呼ばれてオフィスへ入ってきた。
清原は頭の先から足元までの動きを逃さず観察しながら言った。
「本人か?」
マサオは頷き言った。
「はい。本名は前田正夫と言います。」
「歳は?」
「三十二歳。」
これだけの会話で清原の観察眼は目の前の男が本人である事を確信した。
「なぜ来た?」
「キングの情報を得た。奴を止められるのは俺しかいない。」
清原は大きく溜息をつき言った。
「どうすればいい?八方ふさがりだ。」
「あのウィルスのワクチンが後一週間で完成する。時間をかせいでくれ。」
清原は正夫が何故状況を全て把握しているかを訊ねる事も無く言った。
「ワクチンが一週間で完成したとしても、現実にワクチンを生産し、人々に摂取するまでに時間が必要だ。そんなに時間はかせげない。」
正夫は自信に満ちた目で言った。
「大丈夫だ。ワクチンは生産する必要も摂取する必要もない。一週間だけかせいでくれ。」
清原は大きく頷きながら「分かった。命に代えてでも一週間かせいでやる。」と言った。
正夫はそれを見てオフィスを去る前に「キングの名前は反田正義、元大学病院の遺伝子研究者だ。」と言って踵を返した。
後を追おうとした篠原を清原は制止し言った。
「やめとけ。今は信用するしかない。それより反田正義について情報を集めろ!」
篠原は「はい。」と頷きオフィスを出て行った。
その二時間後、キングから連絡があった。
キングは「やあ警部。結果を聞かせてもらおうか。」と受話器の向こうから近畿圏のイントネーションで言った。
清原は警察陣の全員に目配せで合図し、低い声でゆっくりとした口調で言った。
「すまない。どうやらお偉方はこの非常事態が把握できないらしい。日本のトップはアドリブがきかないんだ。もう少し待ってくれないか反田正義。」
キングは少し黙って言った。
「驚いた。よくこんなにも早く私の本名が分かったな。警察の情報網はインターネットで素晴らしく発展したようだ。だったら分かるだろう?私が言っている事が、はったりじゃない事が。」
清原は二時間の間に少しだが正義の情報を集めていた。
「確かに遺伝子研究の権威であったお前ならパンデミックを起こす事も簡単だ。しかし、我々もお前のような奴に簡単に屈するわけにはいけない。」
「そうか残念だ。では私の手でパンデミックを発動する。」
「仕方ないな。俺達の代表が選んだ道だ。その前に聞きたい事がある。お前達の目的は何なんだ?総理大臣を退陣させ米軍を日本から追い出していったい何になるんだ。」
「無秩序だ。交渉で我々は一度チャンスを与えたがどうやら無駄だったようだ。やはり日本のトップ達は弱者を守るつもりはないようだ。我々は弱い者を守れないくだらない秩序を壊し、新しい秩序を創造する。」
「復讐のつもりか?五十二年前確かにお前達家族は、兄のせいで社会から非難を浴び酷い仕打ちを受けた。でも、そんな事をしていったい何になる?復讐なんて馬鹿げている。」
「復讐?貴様こそは何を言っている。私達がそんな小さな事の為に動いているとでも思っているのか?今はそんな事はどうでもいい。復讐は関係ない。」
清原はこれを聞いて恐怖を覚えた。金や怨恨によって動いている集団なら、交渉する事も可能であると考えていたが、正義達は名誉と志で動いていた。その場合、交渉は不可能に近い。
しかし、清原は多くの命の為に諦める訳にはいかなかった。
「お前がただのレジスタンスではない事は分かった。どうやら我々は、お前達を軽く見ていたようだ。もう一度上層部に交渉したい。一週間猶予をくれないか?」
「駄目だ。」
「ただでとは言わない。お前達を軽く見て報告したのは俺のミスだ。だから俺が責任を取る。」
「どうする?」
「確かお前達が使用したウィルスは感染してから数日で発病し、数時間で死に至る飛沫感染性ウィルスだったよな。」
「そうだ。名前は{スパイラル・バース}この遺伝子操作する事でつくった空気感染性のウィルスが{スパイラル・ライフ}。これを使用すると数日のうちにパンデミックが完成する。」
「スパイラル・バースに俺が感染する。おそらく今日感染すると、俺は一週間以内に命を落とす。俺が死ぬまでの間、パンデミックを延期してくれないか?」
「そんな事をして何になる?駄目だ。しかし、お前のその志に免じて、最初にスパイラル・ライフを使用する場所を教える。一週間はそれ以外使用しない。情報を公開し、地区を隔離するなりの措置を取ればパンデミックは防げるはずだ。それが国の覚悟ってもんだろ。お前個人の命など何の意味も持たない。」
「どうしても駄目か?」
「駄目だ。明日1時に四国の都万子市で使用する。もう止められない。国の覚悟を見せろ。では健闘を祈る。」
電話が切れた。
清原とこれらのやりとりを聞いていた警察陣達は驚愕の事実にしばらく言葉を失っていたが、その沈黙を壊すように若い篠原が言った。
「早く!上層部に連絡し公開しましょう。」




