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第一話

 ずっと疑問だった。俺の両親は、どんな人だったのだろう。

 婆ちゃんは、俺の両親の話を一切しなかった。

 きっと、幼い俺を捨ててどこかへ行ってしまったことに怒ってるんだろうと思う。

 俺はばあちゃんが大好きだ。ちょっと素っ気ないけれど、両親がいない分、たくさんの愛情をくれた。

 保育園の頃からずっと、入学式の時はたくさん写真を撮ってくれたし、運動会の時は大きな弁当箱に俺の大好きなおかずをたくさん詰めてくれて、卒業式の時は一緒に泣いてくれた。

 両親がいなくても大丈夫、ばあちゃんがいてくれるなら。


「優一、遅れるよ」

「はあい」

 婆ちゃんにせかされて、俺は鞄を背負った。

 今日は高校の入学式。窓から桜の花びらが落ちてきた。近所の公園の桜だ。ふわりと香る花の匂いに、思わず笑みがこぼれる。

「行ってきまーす」

「いってらっしゃい。夕飯は優一の好きなグラタンだからね」

「はーい。ラピス、行ってくるね」

 玄関先の犬小屋にいた老犬のラピスの頭を撫でて、俺は家を出た。しばらく歩いて振り返りラピスを見ると、もう白く濁ってしまった瞳をこちらに向けて、起き上がっていた。そして——

 ……グルル。

 誰もいない所に向かって唸った。ここ一年ほど、ずっと同じ行動をしている。多分ボケてきたのだろう。


「はよー優一」

「あ、やべっち。おはよう」

 やべっちこと、矢部京輔がにっと笑い、白い歯を見せてきた。やべっちは幼なじみである。小学校、中学校も一緒だ。

「今回もクラスが一緒だといいな!」

「そうだね。同じ高校に行けて嬉しいよ」

「そだな! オレの学力がなんとか優一と一緒で良かったぜ……お、見えてきたな」

「わあ……」

 説明会や入試の時に来たことはあるが、やはり迫力のある校舎だ。

 十二支ヶ丘学園高等部。レンガ造りの背の高い建物が、俺たちを見下ろしていた。

 今日から、ここに通うんだ——

 すう、と新しい空気を吸い、俺は背筋を伸ばす。

「あ! 優一見ろ、あの可愛い子! リボンの色からして、同級生っぽいぞ!」

「……あ」

 少しクセのついた黒髪の女子が、友達と思われる女子達と共に通り過ぎていった。

 その雰囲気と、仕草、表情——

「……り、か」

「なんだ、知り合いなのか?」

 その姿には、見覚えがあった。幼い頃の夏、一緒に遊び、とある約束をした女の子だ。

 丑尾田理花。君にはもう、会えないと思っていた。


 ★


 しくじった。ワタシとあろうものが——

 フラフラとする頼りない身体を、ワタシは必死に動かした。四本の足が、もつれ、絡まる。

 十二支ヶ丘の隠された場所にある封印の間で、ワタシは力を奪われてしまった。

 おそらく、封じられていた酒呑童子の仲間だろうか——あんなカラクリごときに、まさか2体もやられてしまうなんて。

 ふと顔を上げると、そこには1体の妖がいた。まがまがしい気を帯びたそれは、とある民家の方をじっとにらみつけていた。

「犬神、か」

「グルル……」

 おや? この声の主は。ワタシは身体に力を入れ、声のする方へ向かって地面を蹴る。

「お前、アレが何か分かるのか?」

「グル……」

 ワタシはそっと、その犬に額を近づけた。言葉を聞くためだ。

『……なんだオマエ。アレの仲間か? ユウイチを殺しにきたのか?』

「違うぞ。ワタシは十二支の「戌」だ」

 白髪交じりの黒い犬の目が見開かれる。

『……そうか。これは失礼。目が見えないから、勘違いした』

 その犬はその場に座り、ワタシに敬意を払った。十二支の「戌」であるワタシに対して、犬は敬意をはらうことが常識なのだ。

『あのよく分からないヤツ、ユウイチを狙ってる。わたしがこうやって見張っていなかったら、いつ牙をむくか分からない』

「なるほど、勇敢な子だ。しかし……」

 ワタシはそっと、自分の前足を見た。足先はもう、消えかかっている。このままでは、この犬の主人を守るどころか、自分の存在を維持することすら危うい。どうしたものか。

『あ』

「ただいまラピス。良い子にしてた?」

 ワタシは声のする方を振り返った。制服に身を包んだ、高校生と思われる背の高い男。

 なるほど、この男がこいつの主人か。

「あれ? ラピス、お友達? こんにちは」

「……ほお、ワタシが見えるのか」

「え?」


 その時、地ならしのような咆哮が響いた。見ると——

 犬神が牙をむき、妖気を刃のような形に変えて、放ってきた。

『ユウイチ、危ない!』

 ラピスが優一に体当たりし、犬神が放った一撃をすんでの所で避けさせた。だが——

「ラピス!?」

 ラピスが血を吐いて、その場に倒れ込んだ。攻撃が当たったのだ。腹のあたりから出血し、ピクピクとけいれんしている。

「まずいぞ……」

 ワタシはそっと前足を伸ばして、生気を確認する。ああなんと言うことだ。命の炎が、消えかかってしまっている。

「ラピス! ラピス!」

 青年が必死にラピスに呼びかける。手がわなわなと震え、その目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。

「どうして……何が、どうなって」

 その光景に、ワタシはそっと目を閉じた。

 主を思う犬と、犬を思う主人。その絆……。

 ああ、こういう終わり方もあろう、とワタシは腹をくくる。

「ユウイチ、と言ったか。ワタシが力を貸そう。その犬を助けよう……」

「君は、一体……?」

「ワタシは十二支の「戌」だ。その犬を助けてしまえば、ワタシは消える。その犬はワタシの後継となり、命をつなぐことができる……それには、お前の力が必要だ」

「ど、どういうこと……?」

 また咆哮が響く。もはや猶予はない。

「大丈夫だ、ラピスは必ず助かる!」

「わ、わかった」

 ワタシは頭から尾の先まで力を巡らせ、契約の言葉を唱えた。その言葉はそっと風に乗り、ユウイチとラピスに届く。

「ユウイチ、ラピス。封印を……十二支ヶ丘を、頼んだぞ」


 ☆


「ここは……」

 気がつくと、俺は白い空間にいた。周りを見渡しても、何もない。

 ワン!

 足下には、愛犬のラピスがお座りをしてこちらを見ている。

「さっきの白い犬は?」

 ワン、ワンッ!

 ラピスは老犬とは思えないほど、ぴょんぴょんと跳ね回り、はしゃいでいる。

「ラピス、ケガは大丈夫か?」

 ウ~ッワン!

 俺は屈んでラピスの目を見た。その瞳は、彼女が若いときと同じようにラピスラズリ色に輝いていた。

 ラピスは右前足で俺の胸に触れる。あたたかい——まるで、力を分けられたような感覚だ。

 「戌」の言葉が、心に流れ込んでくる。

「今のお前なら、あの犬神を倒すことができる。頑張るのだぞ——」



 みえる。ラピスを傷つけた、そいつが。

 先ほどの白い空間から一転、現実に戻された俺は眼前の敵を見据える。

 古い本で見たことのある妖怪だ。人型だが、顔や手足は犬のそれだ。まがまがしい雰囲気をまとっている。

「戌が消えたかと思えば……また新しいのが湧いてきやがった。鬱陶しい」

 犬神は眉間にしわを寄せ、にじり寄る。

「ラピスを傷つけるヤツは……」

 俺は地を蹴り、犬神へと駆ける。俺の腕は白い毛で覆われ、大きくて鋭い爪が付いていた。 さっきの「戌」が、俺に力を授けたんだ。

「許さない!」

 俺の爪は犬神の胸をえぐった。犬神はよろめき、後ずさりをする。

「くっ、やるな。だが——」

 犬神が吠えると、禍々しい妖気が立ち上るのを感じた。

「我が力は『呪い』そのもの! じわじわと死に至る呪いを貴様にかけてやろう!」

「ぐっ・・・・・・」

 呪いは俺にかかり、体がぐんと重くなった。吐き気がして、胃がひっくり返りそうだ——

 しかし。

『大丈夫』

 女性の声が頭の中に響いたかと思うと、ふわっと体が軽くなった。

 きっと、この声の主はラピスなのだろう。俺はその優しい声に安心した。

「……呪いを解いただと!? 「戌」になりたてのくせに……!」

「うおおお!」

 両手の爪で思いっきり犬神の体を裂く。

 犬神は断末魔をあげると、煙になって消えてしまった。

「やった……!」

『すごい、勝った! 勝ったよユウイチ!』

 俺は心の中に響くラピスの声に、勝利の味をかみしめた。


「なんだい、騒がしいね」

 振り返ると、婆ちゃんが買い物袋を片手にこちらを見ていた。

「あ、婆ちゃんおかえり」

「……っ!?」

 婆ちゃんの様子が変だ。顔は青ざめ、じりじりと俺と距離をとる。買い物袋が落ちて、中身のリンゴが転がっていった。

「婆ちゃん?」

「寄るんじゃないよ! 寄るんじゃ……あああ!」

 苦痛に顔をゆがめた婆ちゃんの体が、煙になって消えていく。まるで——

「なんで……なんで! さっきの犬神みたいに消えるんだよ!」

『ばあちゃん!』

 ラピスの声も、悲痛に響く。

 俺たちの叫びもむなしく、婆ちゃんは跡形もなく消えてしまった。

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