甘党なゴツい騎士様
ルンタッタと心の中でスキップをしながら、毎週木曜日限定のイートインメニューを食べに菓子店に来ました。
王室御用達のこのお店。以前は質素な焼き菓子がメインでしたが、店主が代替わりしてからというもの、見たこともないようなオシャレなスイーツが並ぶようになりました。
王都に住んでいる令嬢たちはこぞってこの店を訪れていますが、イートインスペースはあまり広さがないので、基本は持ち帰りになります。イートインスペースを利用したい場合は、予約して数ヵ月待ちの状態です。
「あっ……アンジェラお嬢様……」
店に入ると、顔なじみの店員に申し訳なさそうな表情で名前を呼ばれました。この店は席の予約は出来ますが、メニューの予約は出来ないのです。
この反応からすると、私が楽しみにしていた木曜日限定のプリン・ア・ラ・モードは売り切れなのでしょう。
「気にしないでちょうだい。今日は別のものを頼むわね。席に案内してくれる?」
「はい。大変申し訳ございません」
「いいのよ」
私の父が出資者ということもあり、毎週木曜日に必ず一席予約させてもらっているだけで充分なのよね。さて、今日はなにを食べようかしら? なんて考えながら席に着いたところで、隣というか前のテーブルの異様な光景に目を疑いました。
ファンシーかつふわふわなご令嬢たちが溢れている店内に一人、厳しい顔つきのゴツい金髪の騎士様が一人ぽつんと座っています。しかも、可愛らしいプリン・ア・ラ・モードを目の前にして、カッチコチに固まって。
――――食べないのかしら?
とりあえずローズティーを頼んで、観察もとい様子見をすることにしました。
プリン・ア・ラ・モードは、浅く口の広いパフェグラスの真ん中に濃厚なプリンがあり、その上にホイップをたっぷりと絞り、真っ赤なチェリーが乗せられています。プリンの両サイドはスライスしたリンゴやバナナ、キウイやモモなどで飾られ、バニラアイスのトッピングもしっかりと付け加えられていました。
バニラアイスがあるとないのでは美味しさが違うので、その選択には拍手を送ってさしあげたいのですが……なぜスプーンを持ったまま硬直しているのでしょうか?
ローズティーが届いたので、カップをゆっくりと傾けながら観察継続。
騎士様がようやくスプーンを動かして、ほんの僅かな量のプリンとホイップを掬いました。そして恐る恐るといったふうに口に運びました。
――――あ、食べた。
口に含んだ瞬間、騎士様の眉間に盛大なシワが寄り、深い緑の瞳をぎゅむっと閉じられたので、もしかして甘いものが苦手で、克服でもしに来たのかと思っていました。
「………………う、まい」
つい、漏れ出た。そんな感じの『うまい』でした。そして騎士様はゆっくりゆっくりとプリン・ア・ラ・モードを食べ進めていきます。
なぜかちょっと涙目なうえに、頬を染めて。
これはもしかすると、甘いものが好きなほうなのかもしれません。好きというよりは大好き的な。
しかし、なぜあんなにも覚悟を決めたような雰囲気だったのでしょうか。
ゆっくりと咀嚼を続けている騎士様を微笑ましく見つめていました。あまりにもがっつりと見ていたせいで、視線に気付いたのでしょう。プリン・ア・ラ・モードから顔を上げた騎士様と目が合ってしまいました。
「あの……なにか?」
「え……あっ。不躾に見つめて申し訳ございませんでした」
「いえ…………」
流石に失礼すぎたなと思い謝罪したのですが、騎士様がみるみるうちにしょんぼりとしていきます。それはまるで怒られた大型犬のような……可愛らしさで。
「場違いですよね」
「え?」
「友人に急用が出来てしまい、私一人で来る羽目になりまして……」
なるほど、女性と来る予定だったのですね。それは確かに気まずいかもしれませんね。
でもそれなら予約日を変えればいいのでは?
この店のありがたいところは、予約が殺到しているため、前日までに分かっていれば別日に予約している方に連絡を取ってくれ、予約日を入れ替えたりもしてくれます。
そうお伝えすると、騎士様がぶんぶんと首を横に振りました。
「いやだ!」
「え?」
「っ、その……どうしてもこれが食べたくて……これ以上待てなかった…………」
初めの『いやだ』は凄くハッキリと言ったのに、その後からはモゴモゴモゴモゴと尻すぼみ。どうやら騎士様が食べたくて予約していたもよう。
「それならば堂々と食べればよろしいでしょうに」
「……だが、ここは可憐な女性たちばかりで」
「関係ありませんわよ」
食べたいものを食べたらいいのです。
見た目や性別などで、食べていいもの食べてはいけないものを決めるなど言語道断ですわよ。食への冒涜ではありませんか。
「騎士様は、プリン・ア・ラ・モードが恥ずかしい食べ物だとお思いなのですか?」
「そんなことはないっ!」
騎士様がこちらに鋭い視線を送ってこられました。怒らせてしまったのでしょうか?
「濃厚で蕩けるような舌触りのプリンと、それを柔らかく包み込むようなホイップクリーム。果物たちはどれも主役級なはずなのに、プリンに寄り添い手を取り合っている。こんな素晴らしい食べ物がこの世に存在したのかと神に感謝するほどだぞ!?」
――――え、そこまで?
思っていた数倍の熱量での返答に、ちょっとだけ引いたのは内緒です。
「ですわよね。騎士様の食べているお姿を――――」
「シルヴェストル」
「え……」
「シルヴェストルだ」
騎士様が少してれているのか、耳を赤くして名乗られました。シルヴェストルというお名前で、強面で、騎士様で………………え? いや、まさか? え、でも…………。
この国の騎士団で最も有名でいて、お姿をあまり見せられない英雄的存在の方がいます。いつも国中を駆け回り、時には他国の支援にも向かわれ、各地で伝説のような活躍をする騎士様。
そして、どんな理由で表彰されようとも公式の場に顔を出されない騎士様。
その騎士様も『シルヴェストル』というお名前で、顔面凶器とか言われるほどに強面で、鋭い視線が特徴の…………え? 本当に?
「シル……ヴェストル様?」
「んっ!」
濃い緑の瞳をキュッと閉じ、目元を赤く染めて微笑まれました。なんなのこの可愛い生物は。
「あの……そちらの席に移動しても? あっ、名前を伺ってもいいかな?」
「え、あっ、はい。ペンデルス侯爵家のフェリシアと申します」
「ペンデルス……? フェリシア嬢と呼んでもいいだろうか?」
「え……ええ、どうぞ」
シルヴェストル様がプリン・ア・ラ・モードの器やグラスなどをいそいそとこちらの席に移動させながら、ジッと私の顔を見つめてきます。
お連れ様がいなくて恥ずかしいのか淋しいのか。気持ちはわかりますが、何も見ず知らずの私と同席してまで誤魔化さなくてもいいのではと思ってしまいます。
「ペンデルス侯爵家と言ったが、もしやこちらの店のオーナーの?」
「一応出資者ではありますが、経営は完全に店長に任せておりますわよ」
だから、オーナーというわけでもない。ただ、とてもうまく行きそうな商売があったから、低金利での出資をしているだけなのです。ほぼ、私がスイーツを食べたいという希望で通した案件でした。
だからこそ、毎週木曜日に席をひとつ確保してもらっているのですが。
「っ、貴女がいたから私はこの幸せを味わえているのか。貴女は私の女神だ」
シルヴェストル様の歯の浮くようなセリフに少し驚いて、つい目を見開いてしまいました。
その瞬間、シルヴェストル様がご自身が放った言葉の威力に気が付いたのでしょう、お顔を真っ赤に染め上げて両手で覆い隠し、俯いてしまわれました。
お顔は隠れましたが、お耳が真っ赤なままです。
「っ……すまない…………」
――――天然なの!?
国の英雄と言っても過言ではないお方の素顔を見てしまいました。嬉しさと、後ろめたさが同時に襲ってきてしまいましたが、このときはなぜなのか分かりませんでした。
シルヴェストル様と妙に仲良くなってしまい、気がつけば翌週もスイーツ店で待ち合わせすることに。
私の予約枠を悪用しているようで後ろめたい気がするとシルヴェストル様は悩まれていたのですが、スイーツ大好き仲間が増えるのはいいことです。
それに、スイーツは決して安いものでもないので、気軽に毎週同行してくださるお友だちがいませんでしたから、正直なところ嬉しくもありました。
「すまない、遅れたね」
「いえ。お仕事は大丈夫なのですか?」
「あぁ」
聞けば、シルヴェストル様は災害時などで各地に向かいはするものの、割と王都にいることが多いのだとか。表に顔を出さないのは、若いころに一度だけ出席した表彰の場で子どもたちに泣き叫ばれ逃げ惑われたからなのだとか。
「その…………当時、隣国とのいざこざを武力で解決させた直後で気が立っていて…………」
シルヴェストル様がどんどんとしょんぼりとしていきます。
この人は見た目はとても厳つい狩猟犬のようなのですが、心がとても優しい穏やかな大型犬のような人なのです。
――――見た目で損してるわよね。
確かに顔はどちらかといえば怖いのですが、話してみるとすぐに人の良さがわかります。
「うふふ」
「っ……何が可笑しい」
「いえ、可愛らしい方だなと」
「かわっ……!?」
シルヴェストル様が訳が分からないといった表情でしたが、それさえも可愛く感じてしまいました。
――――あぁ、これはまずいわね。
スイーツ店を予約して同行してくれるお相手がいるのに、ついついその場の勢いでこのような会い方をしてしまいました。
私には婚約者がいませんので、問題はないのですが。
シルヴェストル様は、可愛いと言われたことがどうやら不服のようで、プチプチと何やら呟いていました。
「私は君より随分と歳上なんだが……? 可愛いは正しい表現なのか?」
「年齢は関係ないと思いますわよ」
シルヴェストル様は三六歳だったはず。確かに、彼から見れば二〇歳の私は子どもと大差ないのでしょう。
あぁ、だから、気兼ねなくこうやって二人で話してくださるのでしょうね。
なにかの棘が緩やかに心臓に刺さったような気がしました。
それからというもの、数ヵ月の間のほぼ毎週木曜日、シルヴェストル様と一緒にスイーツを食べました。
時には遠征などで来れないという連絡があるものの、シルヴェストル様は会うたびに笑顔で挨拶してくださいます。
プリン・ア・ラ・モードがひとつしかない日は、二人で分け合ったりと、まるで恋人かのように過ごしていました。
だからこそ、どんどんとシルヴェストル様の影に見える存在に対し、怯えのようなものを感じてしまいます。
当初から感じていた後ろめたさや、ジクリと刺さる棘は、シルヴェストル様が私を女性としては見ていないだろうということ。婚約者様がいらっしゃるはずだということ。
彼の噂のひとつに、心に決めた相手がいるのだとかいうのもありましたので。
ただ、スイーツ大好き仲間として過ごせばいいのに、いつの間にか贅沢になってしまっていました。
目の前のこの人の可愛さは私だけが知っている。彼も私だけに心を許してくれている。
そんな奢りのようなものが自分の中にあるのだと気付いて、吐き気がしました。
「はぁ。二週連続で来れなくて、本当につらかったよ。フェリシアの顔を見ると、ホッとする」
シルヴェストル様はいつの頃からか、私を『フェリシア』と呼ぶようになっていました。それも、女性として見られていない気がして気が滅入ってしまいます。
「…………おだてても、何も出ませんわよ?」
「ん」
シルヴェストル様が少し曇ったような表情で微笑まれました。もしかしたら遠征でお疲れなのかもしれませんね。
ここ最近、考え抜いて決めたことを伝えたいのですが、どうにもタイミングが掴めません。他愛もない話や、新作スイーツについて話したりしているうちに、二時間も経ってしまっていました。
「あぁ、もうこんな時間か」
「そろそろ帰りましょう」
「ん」
店を出て、私は馬車に。シルヴェストル様はご自身の馬に乗り騎士団へ戻られます。
「フェリシア、また来週」
「…………あの」
「ん?」
「しばらく、お店には顔を出さないと思います」
「なぜだ?」
シルヴェストル様がきょとんとして首を傾げられました。その仕草が可愛くて、胸が締め付けられます。
「そろそろ婚約をしようかと思いまして」
「……相手はいなかったよな?」
シルヴェストル様のお声が妙に低くなりました。
やはり去り際でこのような伝え方は失礼ですわよね。今までも話そうとは思っていたのですが勇気が出ず、こんなタイミングになってしまいました。
また来週に伝えようと引き伸ばせば、きっとそのままズルズルと何回も引き伸ばし続ける気がします。
だから今日、ちゃんとお別れせねばなりません。
「ええ。お父様に見繕っていただきますわ」
「…………そう、か」
シルヴェストル様のお顔が、出逢ったころのような厳つい強面になっていました。
眉間に刻まれた深いシワが彼の不機嫌さを表しているようで、せっかく仲良くなれたのに友情を裏切るような伝え方をした自分に嫌気が差します。
シルヴェストル様は不機嫌そうではあるものの、私をエスコートして馬車に乗せてくださいました。
とても優しい方です。
――――さようなら、貴方が好きでした。
お父様に婚約者を探して欲しいこと、相手は誰でもいいこと、家の繋がりで決めていいことを伝えました。そして、婚約者が決まっても、しばらくは相手のことを聞きたくないとも。
私の心にはまだ彼がいるのです。諦めても、諦めきれないほど、いつの間にか好きになっていました。
きっと婚約者様のことを知れば、彼と比べてしまいます。そんなのは失礼すぎます。
私の気持ちが落ち着くまでの少しの間だから、とお願いしていました。
「本当に進めていいのかい?」
「ええ」
「相手を知りたくないならなぜ……」
お父様に婚約者の件を話した翌日には、婚約の申し込みがあったと教えられました。
「数人に話しただけだったんだがね……フェリシアにうってつけの相手がいると勧められてね」
「そう……ですか」
「来月末に顔合わせをしたいそうだが、いいかい?」
「はい……」
相手の方はとても忙しいらしく、時間がそこでしか取れないとのことでした。その日はくしくも木曜日で、もう心の中でさえお名前を呼ぶ勇気も出ない彼との思い出の曜日でした。
婚約者様との顔合わせまでの一ヵ月半の間、どうやって過ごしたのか記憶にないほどに、心が死んでいました。忘れたいのに忘れられない。
ふわりと揺れる金色の髪、深い森に抱かれているような気持ちになる瞳。
鮮明に脳裏に浮かび上がる柔らかな笑顔。
――――逢いたい。
婚約者様が顔合わせに指定したのは、あの菓子店でした。
我が家が出資しているので、そういった気遣いなのでしょうが、今その気遣いは酷く苛ついてしまいます。婚約者様は何も悪くないのに。
「フェリシア!」
「っ!?」
菓子店に到着し、憂鬱な気分で馬車を降りると、シルヴェストル様が店の前に立っていました。
いつもの騎士様の姿ではなく、ブラックスーツの準礼装姿で。
今は、今だけは逢いたくありませんでした。なぜ今なの? なんでそんな恰好なの? まるで誰か大切な人とデートするみたいな。
「フェリシア!?」
気付けば、瞳からぽたりと雫が落ちていました。次々に落ちていく雫をみて、それが涙なのだとやっと理解しました。
シルヴェストル様にとりあえず中に入ろうと言われましたが、拒否しました。
私は婚約者様と待ち合わせをしていますので、別の男性と中に入るわけにはいきません。
「……フェリシア、いいから来るんだ」
シルヴェストル様に左手首を掴まれ、ぐいっと抱き寄せられました。そして、その格好のまま店内に連れ込まれてしまい、お店のお客様たちに見られ、婚約者様にも見られて、あらぬ噂が立てられてしまうのだろうと覚悟しました。
「すまない、人払いを」
「かしこまりました」
――――人払い?
そんなことができるわけがないと顔を上げ、菓子店の中を見ると、お客様が誰一人としていませんでした。そして、中にいた店員たちがササッと移動し、従業員たちの控室のようなところに入って行きました。
顔なじみの店員が飲み物だけ置いておきますと言い、礼をして控室に下がって行きます。
「…………あの……なんで、誰もいないの」
「貸し切りにした」
「ここを?」
「ん」
――――え?
数ヵ月予約待ちが当たり前なのに。いったいなぜ。というか、どうやって? いつから?
それよりも……。
「あの、貸し切りにしているなんて知らなくて……ごめんなさい、出ていきます」
「君のため…………いや、私のために貸し切りにした。出ていかないでくれ」
「あの、意味がよく――――」
シルヴェストル様がなにを言っているのか分からずに困惑していると、とりあえず座ってくれと言われました。
久しぶりにシルヴェストル様と向き合って座ると、捨てたはずの想いがふわりふわりと湧き出て来てしまいます。
困ったように微笑むシルヴェストル様は、あの日お別れした時より少し痩せているような気がしました。
体を常に鍛えている騎士様がそんなことあるはずないのに。
「久しぶりだな」
「はい。あの、私、待ち合わせを……」
「知っている」
「え?」
――――知っているって、なぜ?
「君と待ち合わせしていたのは私だ」
「シルヴェストル様が……私と?」
「ん」
淋しそうに微笑まれてしまいました。そのお顔は心臓が締め付けられるのでつらいです。
「フェリシア…………誰でもいいのなら、私でいいだろう?」
「っ――――!」
シルヴェストル様の怒りを含んだような声と表情に、体が勝手に震えてしまいました。
怒っている。優しいシルヴェストル様が、本気で。
「君と婚約した。覆させはしない」
「……なんで」
「分からないか?」
分からない。
なんでシルヴェストル様が私と婚約するの? 噂の人は? 菓子店に一緒に来るはずだった人は?
「………………シルヴェストル様には心に決めた相手がいるって……」
そう言うと、シルヴェストル様が片眉を上げて首を傾げました。
「あぁ、そんな噂があったな。デマだ」
「デマ」
「なぜ私に聞かない? ずっと君の目の前にいたのに」
「だって――――」
国の英雄で、歳上で、優しくて、可愛くて、皆に好かれてて……凄く凄く格好良くて、素敵な人だから。
私みたいな小娘なんて相手にする必要ない。
「私の好きな人を落とさないでもらいたいな」
「すき……?」
「あぁ。君が、好きだ」
――――すき。
その言葉が全身に駆け巡り、心臓を忙しなく動かし、喉を締め付けてきます。苦しくて口を開けるのに、息ができません。
「フェリシア、落ち着け。息をするんだ」
「っ…………あ……は、い」
シルヴェストル様の優しい声で、急に呼吸が出来るようになりました。
ゆっくりと深呼吸していると、シルヴェストル様がお茶を飲むよう、ティーカップを差し出してこられました。
慌てて受け取ろうとして、シルヴェストル様の指に自身の指が僅かに触れ、ティーカップを落としそうになりました。
「あっ……ごめんなさいっ」
「フェリシア、触れても?」
こくりと頷くと、シルヴェストル様が私の左手にそっと指を絡めてこられました。
彼の親指が私の親指の側面を撫でた瞬間、背中にゾクゾクとした痺れが走り「んっ」と変な声が出てしまいました。
「……その反応は狡い」
何がどう狡いのか分からないし、恥ずかしすぎて涙目になっていると、シルヴェストル様がハァと大きなため息を吐き出されました。
「フェリシアは分かってない。中年の拗らせた恋を」
「中年……なの?」
「いやまぁ、そこに言及されるとちょっとへこむが。まぁ、そうだな――――」
シルヴェストル様が、私と初めて出逢った日のことを話されました。
菓子店に一人でいる恥ずかしさを、私が一蹴したこと。美味しいものは美味しいと言っていい、好きなものは好きだと言っていいと言われて、目から鱗が落ちたこと。全てが新しい感覚で、もっと話したいと思ったこと。
「初めは興味本位の方が大きかったとは思う。二回、三回と逢う内に、フェリシアと過ごす時間が何よりも心休まるのだと気付いた」
そこで、絡められていたシルヴェストル様の手にギチリと力が入りました。
「ゆっくりだが、君と関係を進められていると思っていた。恋人のように過ごせていると思っていた。君は違った?」
ふるふると首を振ると、シルヴェストル様が瞳を悲しそうに細められました。
「フェリシア、なぜ逃げた」
「だって……」
「こんなふうに縛り付けたくなかった。すまない。だが、逃さない」
そう言うと、シルヴェストル様が立ち上がり私の真横まで移動してこられました。
彼の左手が私の首の後ろに添えられ、少し引き寄せられた次の瞬間、唇同士がふにゅりと触れ合いました。
シルヴェストル様のお顔が目の前にあって、深緑の鋭い瞳がジッと私を覗っています。
「口を開けて?」
「んっ…………しるべす……とる……んっ」
「鼻で息を」
触れ合っていただけの唇が、どんどんと深く絡まっていきます。
鼻で息をと言われても、よく分からずどんどんと苦しくなってしまい、震え出したところでシルヴェストル様が仕方なさそうに笑いながら唇を解放してくださいました。
「フェリシア、本当に誰でもいいのか?」
「っ…………誰でもは嫌です………………シルヴェストル様がいいです」
「ん。よくできました」
にこりと微笑んだシルヴェストル様が、優しく甘いキスをくださいました。
そして、無理やり唇を奪ってすまなかったとも。
確かに、彼の行動は紳士としては駄目なのでしょうが、意固地になっていた私には的確な対応だったなと思えました。
◇◇◇◇◇
「フェリシア、来週は行けそうだよ」
「本当!? プリン・ア・ラ・モードあるといいわね」
「ん」
シルヴェストル様と結婚して一年。今もできる限りあの菓子店に足を運び、二人でプリン・ア・ラ・モードを分け合って食べています。
それが私たちの原点だから。
―― fin ――
読んでいただいてありがとうございました!
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