序章 人形の館
夜の霧が、郊外の古びた屋敷を白く包み込む。街灯の光は届かず、屋根瓦や塗装の剥がれた外壁が幽霊のように浮かび上がる。
庭には、苔むした石像や古びたベンチが不規則に置かれ、風に揺れる樹木の影が壁に這い上がる。
扉を開けると、重い空気と木材のかびた匂いが迎える。内部は想像以上に広く、複雑な廊下が絡み合い、暗がりに人形が無数に並んでいた。
目玉のない木製のコケシ、人間そっくりに作られたビスクドール、顔の半分を欠いた陶製人形、そのどれもが、無言のままこちらを見つめているようだった。
床には、踏み鳴らすたびにぎしぎしと軋む古い木板。天井からは、埃をかぶったシャンデリアが吊るされ、揺れるたびに薄暗い光を散らす。
壁には、黄ばんだ古写真や奇怪な肖像画が掛かり、視線が交錯するたび、背筋に寒気が走る。
奥の部屋には、円形に並べられたコケシの群れ。その中心には、血のように赤い布が敷かれ、何かの儀式が行われたかのような痕跡が残る。
ドアの向こう、階段の隙間、窓際のカーテンの影……何かが潜んでいる気配が、屋敷全体に張り付いていた。
静寂は異様なほど重く、息をするたびに音が反響する。足音、板のきしみ、そして時折、何者かの低い唸り声。そ
れは人間の声とも、風の音とも区別がつかない。しかし、確かに「誰か」がここにいると告げていた。
遠くから、古い振り子時計の針が12時を刻む音が響いた。振り子の影が揺れるたび、屋敷中の人形たちの目がわずかに光ったように見える。まるで屋敷自体が、呼吸し、観察しているかのようだった。
その夜、誰も知らなかった。この屋敷に踏み込んだ者は、単なる迷子では済まされないことを。恐怖と狂気、そして人間の欲望が絡み合う、呪われた舞台が静かに始まろうとしていたのだ。