第8話 襲い掛かる殺人モズ
昼の喧騒が嘘のように消えた撮影所。封鎖線の外でファンたちがざわつく一方、内部は人影と緊張で満ちていた。アノールドは留置場へ送り出され、だがスタジオの奥ではまだ、火種が燻っている。
会議室での公開指摘から間もなく、マークは仮面を脱ぎ捨て、飽くなき衝動のまま暴走を始めた。静かな復讐への意思と、舞台的な饒舌さが入り混じったその狂気は、計画性と残虐性を兼ね備えていた。
暗転のセット。人工の廃工場、ガレキの山、斜めに走る鉄骨。マークは舞台裏の通路を駆け抜け、あらかじめ仕込んでおいたトラップを次々に作動させる。
照明のタイマーを狂わせ、非常通路のドアに鎖をかけ、セットのワイヤーを無作為に引き抜く。舞台の機材が不意に落ち、叫び声があちこちで上がる。
「逃げろ! あの扉は開かない!」
スタッフの悲鳴が反響する。
カメラがぶれ、モニターの映像は赤くちらつき、煙が低く漂い始める。観客もいない“劇場”を、マークは自分の舞台に仕立て上げたのだ。
彼は観客の代わりに、スタッフや俳優たちを観客席に並べる。目が合うたびに、顔を歪めて笑う。彼の仕掛ける「見せ場」は残酷だが、冷静に計算された
演出でもあった。人を心理的に追い詰め、逃げ場を奪う。小道具の鎖、舞台照明の落下、滑油が撒かれた床。どれも致命的な事故に繋がりかねない。
ロバートがステージの照明を必死で戻そうとするが、火花が散って足をひるませる。ヘレンは衣装ルームの扉を抑え、震える声でスタッフに指示を出す。ジェシカはマイクを握りしめ、混乱の中で人々を落ち着かせようと叫ぶ。カオスは瞬く間に全体へ広がる。
その時、廊下の影から静かに現れたのがカズヤと、背に長剣を負ったアイゼンハワードだった。二人は一瞬にして状況を把握する。
アイゼンハワードは闇を裂くように叫ぶ。
「奴は舞台を知り尽くしている! 視線も、死角も、出入りのルートも全部計算している!」
そして、魔剣ギロティーナを振るって、ワイヤーを斬り、落下しそうな照明を空中で受け止める。鉄が引き裂かれる音が一瞬スタジオに響き、落ちるはずだった重機がぎりぎりのところで止まる。
カズヤは冷静に周囲を見渡し、無線でスタッフに指示を出す。
「ヘレン、裏口の鍵を開けろ。ロバート、下手側の足場を固めろ。被害を最小限に抑えるんだ」
その合間に、カズヤはマークの動きを追う。彼はセットの中心で、血のように赤い布を振り、まるで観客に向けて最後の決めポーズをしている。
マークの標的は明確だった。
彼は「皆殺し」を口にすることはなかったが、その所作は致命的な結末を企図していた。観客役のスタッフが逃げ惑う中、彼は巨大なワイヤーを引き金に掛け、舞台全体を崩落させようとする。倒壊すれば数十名が巻き込まれるだろう。
アイゼンはその瞬間、真っ直ぐにマークへ飛ぶ。魔剣が火花を上げ、マークの手元のワイヤーを一太刀で切り落とす。金属の断末魔が鳴る。だが同時に、別の方向で床が爆音とともに崩れ、人が転倒する。
カズヤは咄嗟に銃を抜き、マークの動きを封じにかかる。
「動くな、マーク!」
カズヤの声が通る。
だがマークは笑いながらナイフを振り上げ、近くのスタッフに襲いかかる。その刃は血を見せることなく、恐怖の痕跡だけを残す。カズヤは撃つ。狙いは致命部位ではなく、マークの手首。弾が当たり、ナイフが床へ弾かれる。手首を抑えたマークの身体がよろめく。
「まだ終わらないぜ!」
と叫ぶマーク。
マーク、天井に仕込まれたワイヤーをつかみ、一気にスウィングしてセットの中心へと飛翔する。カメラのクレーン上を滑らかに旋回する。背景のライトがフラッシュし、彼のシルエットが幾度も切り返される。
マークが空中で回転する。彼のマントの端が赤い布のように揺れる。周囲のライトがスローでチラつき、火花が散る。アイゼンハワードの掌に伝わる振動、剣の鞘から刃が滑り出る瞬間。金属が空気を引き裂く高音。
魔剣ギロティーナがワイヤーに触れる。刃は光の尾を残し、ワイヤーを引き裂く。金属の断末魔が空間を突き抜ける。
キィィィィン——バチッ!!!
アイゼンハワードが叫ぶ
「奴は舞台の支配者だ。ワイヤーを断つ!」
カズヤの目は微動だにせず、標的を捉えていた。指先に伝わる銃の冷たさが、血の流れのように神経を駆け抜ける。
銃口から火花が弾ける瞬間、乾いた爆裂音がスタジオ中に響き渡る。
「バァンッ――!」
その一発で空気が震え、埃が舞い上がる。フレームが衝撃で揺れ、壁や天井の金属パイプが微かに鳴る。銃声は鋭く、重低音の振動が胸に響き、耳の奥まで振動が伝わる。
弾丸は弧を描き、ワイヤーの結び目に命中。金属が摩擦でキーンと悲鳴をあげ、火花が飛び散る。ワイヤーのテンションが解け、セットの崩落連鎖は寸止めされる。
カズヤの指先は冷静そのもの。銃口の煙がゆっくりと立ち昇る中、彼の目は次の瞬間の動きへと切り替わる。乾いた銃声が止まった瞬間、スタジオ全体に静寂が訪れる。
マークは床に叩きつけられ、反動でよろめきながら壁へ激突する。壁板が軋み、彼の肩が硬い金属にぶつかって跳ねる。粉塵が舞う。
壁を弾かれ、マークは廃材の山を転がり落ちる。彼の体がスタジオセットの隙間をかすめる様を追う。近くのライトが割れ、スパークが散る。彼のコートが床に擦れる音。
マークの顔面が壁に激突するスローモーション。唇が裂け血が滴る描写は最小限に留め、衝撃の表情と目の虚ろさを重視する。音は一瞬で消え、静寂が訪れる。
アイゼンハワードが素早く近づき、剣先で最後のワイヤーを切り落とす。刃が金属に触れる瞬間、鋭い鈍音。
パチッ
カズヤは身体を低くしてマークに詰め寄る。周囲に散らばった機材と小道具が、不気味な静けさの中で脈打つように見える。
カズヤ(冷静に)「動くな。もう舞台は終わりだ」
マークは笑いを止めず、口を引きつらせながら手を伸ばすが、カズヤの速い一手でナイフが地面に弾かれる。肉体の動きが鈍る。手首に残る痛みが彼を現実に引き戻す。
混乱の中で、数名が負傷し救急の手当てを受ける。重篤な致命傷は出なかった幸いにも、大惨事には至らなかったのだ。
だが、スタジオは血の匂いと悲鳴で満ち、仮面の本性を現した男の声だけが、なおも響いていた。
警察がようやく到着し、マークは拘束される。彼は震えながらも満面の笑みを浮かべていた。口笛のような、どこか儀式めいた調子で呟く。
「やっと俺の舞台ができた……これが、俺の芸術だ」
スタッフは呆然とし、ジェシカは膝を落として泣き崩れる。トーマスは椅子を掴み、床に額をつけた。カズヤはマークを見下ろし、静かに言った。
「演技と現実の境目を誤った。だが、これで終わりではない」
アイゼンは魔剣を鞘に収め、冷たい目でマークを見据える。
「人の心は舞台より残酷だ。お前のやったことは許されん」
ニュースのヘリが上空を旋回する。撮影所の門は封鎖され、現場検証が始まる。だが誰もが知っていた.
この夜の爪痕は深く、仮面を被った者たちの傷は簡単には癒えない。
登場人物一覧(スタジオ関係者)
◆俳優陣
アノールド
人気俳優。「仮面の忍者剣伝 ケン」で正義のヒーローを演じる看板スター。表向きは無邪気でファンを魅了するが、その裏の素顔は誰も知らない。
ジェシカ
ヒロイン役の女優。アノールドとの関係は親密にも見えるが、裏では不仲説も絶えない。嫉妬心や野心を抱いている。
マーク
ライバル役の若手俳優。役柄の影響で「第二のスター」と持ち上げられているが、本人はプレッシャーに苛まれている。
◆製作スタッフ
トーマス
映画プロデューサー。資金繰りに苦しんでおり、撮影中断は死活問題。事件を早期解決しようと焦っている。
ウィリアム監督(犠牲者)
撮影の総指揮を執っていた人物。アノールドと意見が対立することも多かった。殺害現場には「ケンのマスクの切れ端」が残される。
ヘレン
衣装担当。ケンのマスクや衣装を一から仕立てた。繊維や布の扱いに詳しく、彼女の手を通さずに衣装を改ざんすることは困難。
サム
小道具係。倉庫の管理や舞台用武器を作る職人でもある。だが事件現場に似た凶器の記録は存在しない。
ロバート
スタントコーディネーター。アクションシーンの動線を熟知しており、照明やカメラの死角も把握している。夜間にセットを自由に歩ける数少ない人物。
◆ファンクラブ・外部関係者
リサ
アノールドの熱狂的ファン。撮影所に出入りすることもあり、時に暴走する行動が問題視されていた。模倣犯の疑惑をかけられるが、証拠不十分。
ジョージ
ファンクラブ幹部。モズの犠牲者となる。木に磔のように串刺しされるという凄惨な手口で発見される。