第1話 双剣のリンゼル
血の神殿が崩れ落ちたその夜、魔界の深部、黒雷の塔では異様な気配が渦巻いていた。重傷を負いながらも這うようにして帰還した闇の司祭カザールが、魔王司令部の玉座の間へと入ってくる。
「……お戻りか、カザール。貴様がこのような姿とは、珍しいものだな」
重く響く声で、悪魔王ガイアスがつぶやいた。
カザールは片膝をつき、血に染まったローブを引きずりながら答えた。
「……申し訳ございません、ガイアス様。血の神殿……陥落いたしました」
「……ほう?勇者が来たのか」
「はい。勇者アルベルトとその仲間たちが……。しかし、それだけではありません。村人による“影武者かくらん戦法”により、こちらは戦力を読み違え、被害は甚大。わたくしも……この有様でございます」
ガイアスの双眸が赤く燃え上がる。
「ゼロの能力者はどうした?その者の姿はあったか」
「見受けられませんでした。だが……マーリン、あの黒魔術師は、うまく立ち回っております」
ガイアスは唸るように言った。
「反逆のバルドル……。ふん、バカめ、裏切るのは時間の問題だと思っていたわ。」
カザールはすかさずひれ伏し、声を低くした。
「ガイアス様……願わくば、あの者の“死体”を、わたくしに貸し与えていただけますでしょうか」
玉座の奥に座すガイアスは、興味深げに顔を上げる。
「あの男か。勇者アルベルトの兄……かつて双剣を持ち、我の首に迫った愚か者」
「はい。かの名は……リンゼル」
「奴の死体は、保管してある。忌々しいほどに美しく死にやがって……だが、よかろう。カザール、貴様の術であれを蘇らせてみせよ」
「はっ。今度こそ、失敗はいたしません」
両脇から、重々しく運ばれてくる棺。その中には、静かに眠るように死んだ男――リンゼル。
血に染まった双剣、顔には未練のない穏やかな表情。そしてその手には、恋人の髪飾りが握られていた。
カザールが杖を掲げ、禍々しい呪文を唱え始める。
「暗き虚無より、魂を捻じ曲げ、命を歪めよ。
禁術詠唱……この者に、再び生を!」
黒い炎が巻き起こり、棺の中でリンゼルの体が痙攣をはじめる。
目を閉じていた顔が、ゆっくりと……紅い光を宿したまま、開いた。
「……う……あ……あああああ」
凄絶な呻きと共に、リンゼルはゾンビ族の魔族として、蘇った。
「ようこそ、リンゼル。今の貴様は、“かつての貴様”ではない。貴様の双剣は、いまや我らのために振るわれるのだ」
リンゼルはうつろな表情のまま、しかし双剣を握りしめたその指には、未だ力が宿っている。
「勇者アルベルトを探し出せ」
「ユ・ウ・シ・ャアア、アルベルト……」
カザールは不気味に笑いながら命じた。
「そうだ。貴様の弟、勇者アルベルトを。抹殺するのだ!」
そのとき、玉座よりガイアスが不意につぶやく。
「……村人?……なんでいるの?……まさか……ゼロの能力者ではあるまいな。」
その疑念は、やがて一つの確信となり、魔王軍の内側に新たな警戒の種を植えつけることとなる。