第9話 侍の亡霊
八つ裂き村の広場に、冷たい霧が淀む夜。月の光は厚い雲に遮られ、視界はわずかにぼやけている。
カズヤとアイゼンハワードは、四人の地主、高橋幸子、松本慎二、木下絵里、佐々木修三を目の前にして立っていた。だが、村人たちの表情は異常に硬直しており、まるで誰かの意思に操られているかのようだった。
その中心で、悠子が立っていた。普段の穏やかな図書館員の面影は消え、まるで古の侍の亡霊がその体を借りているかのように、鋭く冷たいオーラを放っている。背筋をピンと伸ばし、手には薄暗い光を帯びた巻物――血判状――を握っている。
伊藤悠子の声が低く、かつ凛と響いた。
「……村の掟に背く者には、死の裁きを――」
その瞬間、霧がうねるように動き、周囲の村人たちが無意識に身を屈め、刀や農具を手に取った。四人の地主は、悠子の指示に従うように円を描くように立ち、恐怖と混乱の入り混じった表情を浮かべている。
伊藤悠子は巻物を開き、男性の声のように低く、しかし鮮明に読み上げ始めた。
### 地の血判###
我々、八つ裂き村の地主たる者は、この血判により以下の誓いを立てる。
一、我々は村の平和と繁栄を守るため、互いに協力し合うことを誓う。
二、我々は村の土地と資源を公正に分け合い、次世代へと継承することを誓う。
三、我々は村に対する忠誠を誓い、外敵から守るために力を尽くすことを誓う。
以上
我々はこの誓いを破る者には、村の掟に従い、死の裁きを下すことを誓う。
この血判は、我々の誓いが永遠に続く証として、代々受け継がれるものである。
地主たちの名において、
(以下、地主たちの血の署名と血の印)
読み上げが終わると、悠子の体から冷気が立ち上り、まるで霧そのものが息をしているかのように広場を覆った。カズヤとアイゼンハワードは思わず後ずさる。背後の村人たちの手が、刀や鎌を握りしめ、静かに二人に迫る。
伊藤悠子は低く微笑んだ。
「不実なるものに死を……!」
声が響くと同時に、操られた村人たちは無意識に膝を折り、悠子に従う。まるで村全体が、血判状の掟の力に縛られているかのようだ。
「地の血判の誓いを……忘れるな!」
叫ぶたびに、霧はうねり、風が凍りつき、空気は重く張りつめる。四人の地主も、悠子の意志に従うかのように動き、顔には恐怖と困惑が入り混じる。だが、目の奥には長年押さえ込まれた何かが、微かに光っていた。
カズヤとアイゼンハワードは思わず後ずさる。目の前の光景は、現実か幻か判別がつかない。悠子の背後の侍の影は、今にも刀を振りかざし、二人を斬りかかろうとするかの迫力を放っていた。
「この村を、外の者には渡さない……」
伊藤悠子の囁きが霧に溶け、しかし全員の意識に深く突き刺さる。
「高橋さん、松本さん、木下さん、佐々木さん!どうか理性を取り戻してください!」カズヤが叫ぶ。
だが四人は、まるで自分の意志では動けないかのように、悠子の周りで円を描くように立ち、静かに刀や農具を握る手に力を込めた。
アイゼンハワードは息を呑む。悠子の力、いや、背後の侍の亡霊の力が、この村を完全に支配していることを直感した。
霧の中、悠子の口元が微かに笑む。彼女の目的
外部の者に天罰を下すこと、そして村を守る掟を絶対化すること――が、まだ全て明らかになってはいないことを、カズヤとアイゼンハワードに知らしめていた。
「……これが、八つ裂き村の真の掟……」
二人は身構え、次の瞬間に来るであろう、悠子の直接攻撃に備えた。霧と影、そして血判状の誓いが交錯するこの夜、生き延びる術は、ただ一つ、伊藤悠子の正体と意志を見極めることだけだった。
その声と同時に、霧の中から村人たちが一斉に迫る。鎌や鋤、農具で武装し、異様なまでの統率力で二人を取り囲む。カズヤとアイゼンハワードは息を呑み、身動きが取れない。
悠子の手が大きく振り上げられ、空気が切り裂かれる音がした。瞬間、霧の中に青白い閃光が走る。刀のように鋭く、不可思議な力を帯びたその一撃は、まるで彼女自身が侍の亡霊そのものと化したかのように、二人のすぐそばまで迫る。
カズヤは反射的に体をひねり、アイゼンハワードとともにその攻撃をかわす。だが、悠子の動きは通常の人間の速度では追えない。霧の向こうから次々と攻撃が繰り出され、逃げ場はほとんどない。
「くっ……奴の動き……!」
アイゼンハワードが歯を食いしばる。
伊藤悠子の声が広場に響く。
「外部の者よ、村の掟を犯した罪を思い知れ!誰も私の意思に背くことはできぬ!」
操られた村人たちが襲い掛かる。カズヤはアイゼンハワードの肩を掴み、二人は体を低くして敵の刃をかわす。だが悠子はその中心に立ち、まるで空気自体を支配するかのように、二人の動きを封じ込めようとする。
そのとき、カズヤは気づいた。悠子の背後に微かな光が集まり、まるで血判状の文字が幽かに揺れているかのようだ。悠子の力の源――血判状に秘められた掟と、村人を操る呪縛のような存在が、彼女を狂気の戦士に変えていたのだ。
「アイゼン!この力……ただの人間じゃない!」
「わかっている……だが、ここで諦めるわけにはいかない!」
伊藤悠子が一歩前に踏み出すと、村人たちがその動きに呼応し、二人を取り囲む円がさらに狭まる。背後の逃げ道は霧に覆われ、月明かりさえも薄暗く沈む。
「村を破壊する外敵を排除せよ……!」
伊藤悠子の声が凍りつくような響きを放ち、村人たちの刃が一斉に振り下ろされる。
カズヤは咄嗟に身をかがめ、アイゼンハワードは盾代わりに杖を差し出す。刃が空気を裂く音、霧を揺らす衝撃……二人は寸でのところで攻撃をかわすが、その迫力は尋常ではなかった。




