第9話 プラハ、核開発亡命科学者の影
チェコ共和国 冬のプラハ。
ヴルタヴァ川沿いの街灯は、湿った霧に飲まれて霞んでいた。古都の石畳を踏みしめるたびに、アイゼンの長いコートの裾が冷気に揺れる。
「亡命したはずの科学者が、再びロシア側に協力している。」
セリーヌが低い声で呟いた。
彼女たちが追う標的は、冷戦時代にソ連で核兵器開発に携わった物理学者 アレクセイ・ドラゴミロフ。表向きはチェコに隠遁していたが、レッドウルフが裏で接触し、再び暗黒の計画に引き込んでいるという情報があった。
MI6はこの科学者を「影」と呼び、存在の確認と確保、もしくは排除を命じた。
カレル橋の上でジャスパーはポータブル端末を操作しながら、古い石像の影に身を潜めていた。
「監視ドローンの反応あり。橋の向こうで複数の武装集団が待ち伏せしてるな。……歓迎してくれるらしい」
カテリーナはスカーフを巻き直し、低く笑った。
「プラハでロマンチックな夜を期待してたけど、どうやら血の匂いしかしないようね」
アイゼンは赤い瞳を細め、ゆっくりと首を横に振る。
「気を抜くな。奴らは科学者を餌に、我々を罠へ誘っている」
その瞬間、霧の奥から銃口の閃光が走った。
銃撃戦は石畳の路地に広がり、MI6の一行は入り組んだ旧市街の通りを駆け抜ける。セリーヌが先頭でスナイパーを牽制し、カテリーナが背後の追撃者を正確に撃ち抜く。
ジャスパーは携帯型EMPを起動し、敵の通信機器を一斉に無力化した。
「今だ、北塔へ!」
アイゼンの指示に従い、彼らは旧市街広場を抜け、プラハ城を望む丘へと向かう。
そこには古びた修道院を改造した秘密の研究所が潜んでいた。
扉を破って突入すると、奥の部屋に一人の男がいた。
白髪に伸びた髭、深い皺の中に光る鋭い眼。
アレクセイ・ドラゴミロフ。
しかし彼は椅子に縛られ、額から血を流していた。
「遅かったな……奴らはもう……核の設計図を持ち出した……」
セリーヌが駆け寄り止血を試みるが、男は苦痛に顔を歪めながら口を開いた。
「ゼフィル……あの男は……師よ、お前を待っている……」
アイゼンの瞳に赤い光が宿る。
「ゼフィル……やはりここか」
次の瞬間、建物全体が揺れ、爆発音が轟いた。
窓の外に炎が立ち昇る。
レッドウルフが証拠隠滅を図ったのだ。
薄暗い研究室を抜け、ジャスパーは科学者の残したノートを握りしめた。
「プロジェクト・アルカディア…赤い鍵…第三次世界大戦…」
声に出すだけで、背筋が凍る。セリーヌも隣で息を整え、机の上に散らばった記号を指でなぞった。
「これ…暗号ね。解析すればゼフィルの狙いがわかるはず。」
彼女の声には冷静さがあるが、目は危険を警戒して鋭く光っていた。
背後から、レッドウルフの兵士たちの足音が近づく。
「時間がない…!」
ジャスパーはノートを胸に抱え、廊下を駆け抜けた。
セリーヌも続く。研究室の扉を閉め、電子ロックがかかるまでの一瞬の間、二人は息をひそめた。
廊下の端、巨大な倉庫の扉が彼らを待つ。そこには、核兵器が保管された秘密施設の入口があった。




