終章 下山する宿泊客たち
雪に包まれたペンション「雪華」。
事件の全容が明らかになり、警察の車両が玄関前に止まった。
静まり返る朝の空気を裂くように、田中美和は手錠をかけられ、警官に両腕を取られて姿を現す。
田中美和の護送
彼女の表情は蒼白で、しかしどこか吹っ切れたように見えた。
「これで、やっと……終わるのね」
小さな声が雪に吸い込まれる。
彼女にとって、この山荘は復讐を果たす舞台であり、また愛と憎しみの記憶を閉じ込めた檻でもあった。
パトカーに乗せられる直前、彼女は一度だけ宿泊客たちの方を振り返る。
その瞳には悔恨も憎悪もなく、ただ虚ろな光だけが揺れていた。
寺田健一は、新妻の手を強く握りしめた。
「彼女も……愛する人を失った犠牲者だったのかもしれないな」
だが、それでも命を奪った罪は消えない。守るべき人が隣にいるからこそ、その思いはより深く胸を締めつけた。
寺田恵理子は記者としての血が騒いでいた。
だが、ペンションの女将として笑顔を見せていた彼女と、復讐者としての「死刑執行人」の顔が、どうしても重なりきらない。
「真実を記事にできるだろうか……彼女の苦しみまで、伝えられるのだろうか」
その葛藤に、彼女は自分自身の限界を思い知らされていた。
伊藤誠一は、無意識に拳を握った。
「理屈じゃ説明できない。けど、俺だって……もし愛する人を奪われたら……」
答えのない問いが頭を巡り、ただ静かに雪を見つめるしかなかった。
小林花は、涙を浮かべながらスケッチブックを開いた。
震える手で、雪の中に立つ田中美和の姿を描き写す。
「これは……忘れちゃいけない」
絵に残すことでしか、彼女は自分の感情を整理できなかった。
山本拓也は、カメラを構えることをできなかった。
「シャッターを切る勇気が……出ない」
彼にとって、この場面は記録ではなく、心に焼き付けるしかない光景だった。
山崎理沙は、田中美和の背中を見つめながら震えていた。
「伝承や歴史の影には、こうして人の怨念が潜んでいるのかもしれない……」
学問の興味と、人間としての恐怖が交錯する。彼女はその感覚を一生忘れないだろう。
高橋和也は、唇をかみしめた。
「山は、ただ静かで美しいはずなのに……」
この場所が復讐の舞台となった事実が、山を愛する者として耐え難かった。
エンジン音が鳴り響き、パトカーがゆっくりと雪道を下り始める。
田中美和を乗せた車はやがて森に消え、残されたのは吐く息と深い静寂だけだった。
やがて、宿泊客たちを迎えるバスが到着する。
彼らは互いに無言のまま乗り込み、座席に腰を下ろした。
バスが山を下り始めると、窓の外には雪景色が広がり、彼らの胸に焼き付いた数日間が重くのしかかる。
それぞれが抱く思いは違った。
怒り、恐怖、憐れみ、そして悔恨。
だが全員が同じものを胸に刻んでいた。
「この事件が忘れられない」という事実。
こうして、山奥ペンション連続殺人事件【死刑執行人】は幕を閉じた。
だがその記憶は、誰の心からも決して消えることはなかった。
『カズヤと魔族のおっさんの事件簿:死刑執行人』
ー完ー




