第9話 真実の対峙
ロビーの空気は張り詰め、吹雪の唸り声さえ遠のいたように静まり返っていた。カズヤとアイゼンハワードの前で、ペンションのオーナー・田中美和はゆっくりと目を伏せ、押し殺していた感情を滲ませた。
「……そう。私の復讐も終わったのだから、話してあげるわ。」
かすれた声が、闇の底から湧き上がるように響いた。
「私には、愛する人がいた。優しくて、私を大切にしてくれる人だった。あの雪の夜……馬場紀夫に、彼は無残に奪われたの。」
美和の声が震え、宿泊客たちは思わず息を呑んだ。
「私の目の前で……血に染まり、冷たくなっていく彼を抱きしめながら、私は叫んだわ。どうしてこんな理不尽が許されるのかって。どうして神も、法律も、彼を守ってくれなかったのかって……!」
彼女の手が小刻みに震え、まるで当時をなぞるかのように胸を押さえる。
「けれど、馬場は“無期懲役”。死刑にはならなかった……!」
「中村聡。あの男が“更生の余地がある”なんて馬鹿げたことを言って、裁判で弁明したせいよ。奴は、愛する人を殺した男の未来を、まだ信じようとした。私はあの瞬間、すべてが崩れ落ちたの!」
美和の声は涙と怒りに震え、同時に深い憎悪を帯びていく。
「その後よ……鈴木大輔の小説が世に出たのは。
“愛と裏切りの悲劇”だなんて……私の傷を、血を、絶望を、安っぽい紙の上に描き、読者を喜ばせて……!
あの笑みを浮かべてサイン会をしていた彼を見た時、私は心の底から思ったのああ、こいつもまた死刑に値する、と。」
彼女の声は次第に鋭くなり、瞳は氷のように冷たく光る。
「だから私は、この手で刑を執行した。馬場も、中村も、鈴木も……!
法律が裁けないなら、私が裁く。私は“死刑執行人”なのよ!
この手で正義を貫かなければ、誰が愛する者の無念を晴らしてくれるの!?」
ロビーにいた誰もが声を失った。
田中美和の告白は、狂気に彩られてはいたが、その根底にある苦しみと絶望は痛ましいほど生々しく、聞く者の胸を突き刺した。
カズヤは息を呑み、低く答える。
「……あなたの痛みは、本物だ。けれど、美和さん……あなたが選んだのは正義じゃない。ただの復讐だ。」
「復讐で結構よ!」
美和は泣き笑いのような表情で叫ぶ。
「この世界は、不公平で、弱き者を守らない! だから私は、自分の裁きを下したの!」
アイゼンハワードがゆっくりと歩み寄り、静かに言葉を投げかけた。
「その苦しみは、誰かを殺すことで癒えるのか? 愛した人は、もう二度と戻らない。」
美和の表情が一瞬だけ揺らぎ、張り詰めた糸のようにその瞳から涙がこぼれ落ちた。
やがて、遠くでサイレンの音が吹雪を切り裂き、警察が到着する。
美和は抵抗することなく、ただ虚ろな目をしたまま連行されていった。
彼女の背中を見つめながら、カズヤは胸の奥に重い感覚を覚えた。
「……正義と復讐の境界は、こんなにも脆いのか。」
その夜、ペンション「雪華」を覆っていた氷のような空気は解けていくように見えた。だが、誰の心にも、美和の叫びは深い傷となって刻まれたのだった。




