序章 ペンションへの招待状と忘れられぬ記憶
雪が静かに降り積もる夜、アイゼン・ハワードの書斎に、ひときわ重みのある封筒が届いた。赤い蝋で封がされたその封筒には、見覚えのある筆跡でこう記されていた。
「山奥のペンション『雪華』、開業10周年に際し、特別な客としてご招待申し上げます。」
アイゼンは一瞬、指先が微かに震えるのを感じた。紅い蝋の光が、書斎のランプの黄昏に揺れる。文字は美しく、しかしどこか冷たく、甘美な匂いとともに潜む影を感じさせた。
「…ただの招待状ではないな」
彼は独りごちた。473年の歳月を経ても、直感は衰えていなかった。何かが、この雪深い森の奥で、静かに待ち構えている。
そんな予感が走る。
そこへ、孫のカズヤが入ってきた。
「アルおじさん、何か変ですか?」
「うむ、何とも言えぬ空気だ。封筒ひとつで、人の心をざわつかせるものは久しいな…」
カズヤは首をかしげる。
「怪しいですね。行くんですか?」
アイゼンは赤い瞳を細め、微笑むように唇を動かした。
「行くさ。だが、用心は怠らぬ。これは…ただの記念日ではない。」
同じ頃、雪深い山道を、宿泊客で新婚の寺田 健一と寺田恵理子が進んでいた。都会の喧騒を離れ、自然に囲まれたこの場所で、穏やかな休日を迎えようとしている。しかし、森は何も語らず、ただ冷たい雪だけが降り積もる。
ペンション「雪華」の中では、オーナーの田中美和が、亡き夫・与志郎との日々を思い出していた。
「あなた、10年経っても、やっぱりこうして二人で夢を形にできていたわね」
かつての笑い声や、小さな喧嘩、二人で描いたペンションの設計図が、彼女の脳裏に淡く浮かぶ。与志郎はもうこの世にはいないが、彼女の胸には、あの頃の温かさと決意が今も息づいていた。
アイゼンが招待状を手にしてペンションの前に立ったとき、雪の冷たさが肌を刺した。だが、心の奥に、田中美和の想いと、亡き与志郎の記憶が微かに揺れるように感じられた。
この場所には、表向きの祝福とは別の、何か深い事情が隠されている。
「…カズヤ、用心するのだ。ここには、人の心を試す何かがある」
カズヤは小さく息を飲み、深く頷いた。
「わかりました、アルおじさん。でも、ちょっとワクワクもしますね」
アイゼンは苦笑いし、雪に染まる森の向こうに、赤い屋根のペンション「雪華」を見つめた。
静寂に包まれた雪の夜。
それは、不可解で恐ろしい事件の幕開けを告げる、静か序章に過ぎなかった。




