第9話 犯人の告白
サロンには重苦しい沈黙が落ちていた。
カズヤは卓上に二つの品を静かに置いた。一本の黒い糸――微かに魔力を帯びた伸縮自在の“魔糸”。そして、小瓶に収められた透明な液体の毒。
「これが、ユリアンを殺した凶器だ」
カズヤの声は低く、鋭く響いた。
侯爵家の面々がざわめき立つ。
リヒャルトが眉をひそめ、
「……誰の手によるものだ?」と問う。
カズヤは答えず、ただ視線を一人に向けた。
若い侍女、アンナ。
「アンナ。君は、エリザベートに仕えていた。彼女の筆跡を誰よりも知っていた。だからこそ、“冥界からの手紙”を偽造できた。
そして……晩餐の場で、皆が盃を掲げた瞬間。君は、ユリアンの杯に仕込まれた“二重底”へ、この毒を垂らした。魔糸で遠隔操作しながら」
アンナの肩が震える。
「……そんな、わたしに……できるはずが」
「できたさ」
アイゼンハワードが低く唸るように言った。
「あなたの部屋から、この魔糸の切れ端が見つかった。暖炉の灰に紛れてな。魔灰で偽装するつもりだったのだろうが、痕跡は消せん」
アンナの顔から血の気が引いた。
「……っ」
クラリッサ夫人が蒼ざめ、震える声で侍女を呼ぶ。
「アンナ……まさか、あなたが……」
その言葉に、アンナの瞳から堰を切ったように涙があふれ出した。
「……はい。私です」
小さな声だったが、確かに響いた。
「……憎んでなど、いないと、自分に言い聞かせてきたのです」
アンナは蒼白な頬に涙の跡を残したまま、低く息を吐いた。
「でも、あの方ユリアン様は、エリザベート様の“生”を、少しずつ削っていった。目に見える刃物ではなく、言葉と無関心で」
「エリザベート様が発作で倒れられた日、あの方は笑いました。
『死人に口なしだ、屋敷の醜聞は表に出ぬ』と。
……その言葉が、胸に焼きついたのです。死者に口がないなら、私が与えよう。手紙で。それが、冥界の手紙を思いついた最初でした。
「エリザベート様は音楽だけが救いでした。けれどユリアン様は『女の嗜みなど無用』と、調律も止め、譜面を物置に追いやった。
ピアノに触れる指が震えているのを見ても、“家の格”という鎧を着て、気づかないふりをして」
「エリザベート様には、遠くの療養地から届く友の手紙がありました。
ユリアン様はそれを“弱さを煽る毒”と呼び、目の前で破りました。
泣き崩れるエリザベート様に、私は言いました“約束は果たされます。いつか必ず” と。その言葉を、私は三年かけて刃に研いだのです」
「葬儀の夜、ユリアン様は酒杯を揺らして仰いました。
『結局、家は回る。約束だの、希望だの、女の幻想だ』
その時、私の中で何かが壊れたのです。“約束は果たされる”なら、私が果たす。あなたに一通の手紙を読ませて」
アンナは震える指で胸元の十字を握り、続ける。
「私は姫さまの筆跡を誰より知っていました。古い書簡から“息づかい”を写し取り、封蝋の匂いまで再現した。あなたが鼻で笑った『幻想』で、あなたを現実に引きずり下ろすために」
「晩餐の席で、あなたが“予告の手紙”を嗤ったとき、私は決めました。
ユリアン杯にだけ、静かに落ちる毒を。みんなの目の前で、誰も気づかぬまま、あなたの喉を通り過ぎる一滴を。あなたの言葉どおり、『目に見えぬ毒』で」
アンナは顔を上げた。瞳は濡れ、しかし澄んでいる。
「復讐など、したくはありませんでした。けれど、姫さまの孤独を“なかったこと”にされるのは、もっと耐えられなかった。だから私は、“冥界からの声”を作った。一族に、あなたに、覚えていてほしかった。あの人は、確かに生きて、確かに傷ついて、確かにここで泣いていた、と」
彼女は震える息を吐き、嗚咽を噛み殺す。
「これで……やっと静かに眠っていただけるでしょうか、エリザベート様」
蝋燭の炎がわずかに揺れ、静寂が落ちる。
その静寂の底で、誰も見ていないはずの三通目の手紙が、机上に滑り落ちた。
封を切れば、ただ一行
『真実はまだ隠れている』。
アンナの顔色が蒼白に変わる。
「……これは……ちがう……私じゃない……!」
だが次の瞬間、彼女は決意したように震える手で葡萄酒の瓶を掴んだ。
その中身は、自ら仕込んだ毒薬。
「エリザベート様……今、参ります……」
杯を傾け、甘い液体が喉を焼く。
アンナは泣き笑いの表情で膝を折り、そのまま床に崩れ落ちた。
静まり返るサロンに、彼女の最後の囁きが残る。
「……やっと……あなたのそばへ……」
やがて瞳から光が消え、アンナは動かなくなった。
だが、残された“第三の手紙”は、なお一族を震え上がらせる。
果たして本当に全てが終わったのか、それとも.....




