第6話 鍵と糸の謎
ユリアンの部屋は、すでに冷気と沈黙に支配されていた。
厚いカーテンは閉ざされ、ランプの灯りも消えたまま。死の痕跡が色濃く漂う。
ベッドの脇には倒れた椅子、散乱したワイングラスの破片。
床に黒く染みついた赤い斑点は、いまだ乾ききっておらず、鉄の匂いが鼻をつく。
カズヤはゆっくりと歩を進め、遺体が横たわっていた場所にしゃがみ込む。
「……倒れた時の姿勢のまま、ほとんど乱れがない。抵抗の形跡もないのに……」
目線を移すと、重々しい扉の鍵は確かに内側からかけられていた。
窓には鉄格子。外部から侵入するのは不可能。
完全な密室。
それでも、何かがおかしい。
カズヤの視線はふと壁際にある換気口で止まった。
指先で縁をなぞると、黒い煤が指先に残った。
「……換気口? ここだけ焦げてる……?」
彼は煤を指先で擦りながら眉を寄せた。
「火を使った痕? でもランプを灯した形跡もないのに」
「ふむ、気づいたか」
重低音の声が、背後から落ちる。
カズヤが振り返ると、扉の陰にアイゼンハワードの姿があった。
ワインレッドのマントを翻し、赤い瞳で換気口を見据えている。
「煤の匂い、焦げの粒子……これは人間の火ではない」
彼は膝を折り、長い指で煤をすくい取ると、唇に皮肉な笑みを浮かべた。
「魔術道具の残滓だ。“罠の種”と呼ばれる品がある」
「罠の種……?」カズヤが首を傾げる。
「火を生むのではない。熱と煙を一瞬だけ放ち、糸や針を操る触媒になる」
そう言うと、アイゼンハワードは懐から細い銀糸を取り出した。
見る者を惑わせるほど透明で、光を受けると僅かに妖しくきらめく。
「伸縮する魔糸」
彼はそれを鍵穴に差し込み、赤い瞳を細める。
次の瞬間、カチャリ、と乾いた音。
内側からしか開けられぬはずの鍵が、あっさりと外れてしまった。
カズヤが息を呑む。
「……じゃあ、密室なんて最初から……!」
「そうだ。我が孫よ」
アイゼンハワードはゆるやかに立ち上がり、煤のついた指を払い落とした。
「犯人は魔糸を用い、外から鍵を操作した。これで“密室”は作り出せる」
カズヤは鋭く言葉を続けた。
「でも……そんな魔具を使えるのは限られてる。この屋敷に自由に出入りできる人間で、魔術の知識もあるやつじゃないと」
「その通りだ」
アイゼンハワードの口元がわずかに歪む。
「密室の謎は破れた。だが――糸を操ったのは誰か。
そこから先は、人間の心を見抜く推理の領域だ」
二人は視線を交わし、静まり返った屋敷の廊下を振り返った。
そこには怯えと疑念に囚われた一族が、今も息を潜めて待っているのだった。




