第8話 夢術の戦場
石壁が軋み、霧が濃くなった。
ヴァルド・ノクスは笑みを浮かべ、手にした黒い水晶を掲げる。
「さあ――夢を見よう。
血塗られた誓いも、裏切りの記憶も、すべてを溶かす甘美な幻をな」
瞬間、回廊の空気がねじれた。
カズヤとアイゼンの足元が割れ、底知れぬ深淵に吸い込まれていく。
目を開けた時、二人は荒れ果てた大地に立っていた。
頭上には赤黒い月。地平線の果てまで、鎧を纏った亡霊たちが剣を掲げて並んでいる。
「……ここは……」
カズヤの声が震える。
「あのころの戦場だ」
アイゼンハワードは低く呟く。
「かつて我と騎士団が戦った、あの夜を……奴が再現している」
亡霊たちの行進は、まるで時間が巻き戻されたかのように正確。
アイゼンの目には、死んだはずの部下たちの顔が映っていた。
「お前たち……」
その声に応えるように、鎧の列が一斉に剣を振り下ろした。
轟音。大地が震え、炎が走る。
だが、その熱も痛みも妙に曖昧だった。
「……これは夢だ、幻だ……!」
カズヤは気づく。だが、幻に過ぎないはずの刃が彼の頬をかすめ、赤い血を流した。
「現実と幻の境界を、奴が歪めている」
アイゼンの剣が亡霊を薙ぎ払う。だが切り裂かれたはずの影は、すぐに形を取り戻して襲いかかってきた。
「無限に続く……これは、心を折るための戦場だ」
空から声が降り注ぐ。
「どうだ、アイゼンハワード。死んだ部下の幻影に囲まれ、剣を振るう気分は?忠義に縛られた彼らの亡霊を前にして、貴様は己の罪から逃げられるか?」
アイゼンの目が怒りで赤く光る。
「……奴らを殺したのは私ではない。だが――その罪を背負うのは私だ」
亡霊の群れが迫る中、彼は叫んだ。
「カズヤ! 幻に飲まれるな! これは心の戦いだ!」
刹那、カズヤの手にする剣が光を放った。
セリスの声が、頭の奥に響く。
「……恐れるな。幻はお前を裂けぬ。お前が選んだ“誓い”を信じろ」
カズヤは息を吸い、剣を握り直す。
「俺は……俺はもう迷わない!」
剣を振り抜いた瞬間、迫りくる亡霊の群れが霧となって消えた。
だがすぐにまた、炎の影が立ち現れる。
終わりなき幻影。
その中央で、ヴァルドの影が薄笑いを浮かべていた。
「いいぞ……その苦悩、その決意……」
ヴァルドの声は甘く絡みつく。
「絶望の果てにこそ、封印は解かれるのだ。
もっと夢に溺れろ……カズヤ、そしてアイゼンハワード」
赤黒い月の下、現実か幻か分からぬ戦場が、なお二人を飲み込んでいった。




