第1話 荒廃都市の呼び声
紫の裂け目は脈打つ心臓のように鼓動を刻み、都市全体に震動を与えていた。
そこから這い出てきたのは、地球の生態系ではありえない異形の怪物。
四脚の巨体は鋼鉄のような甲殻に覆われ、節々から溶岩のような赤黒い粘液が滴り落ちている。頭部は獣とも昆虫ともつかない形状で、目に当たる部分は空洞。その奥から絶え間なく紫の炎が揺らめいていた。
開かれた口腔からは無数の牙が螺旋状に並び、咆哮と同時に耳を裂く超音波を放つ。
瓦礫の上に降り立った瞬間、建物の残骸が粉砕され、まるで世界そのものが拒絶されているかのようだった。
セリーヌの喉から息が漏れる。
「……生き物、なの? それとも...兵器?」
ジャスパーの指がタブレットを叩き、ドローンが頭上に舞い上がる。
表示された数値を見て、彼の口角が歪んだ。
「熱源パターン……規則性があるな。自然発生じゃない。
これは“作られた”怪物だ。まるで異界そのものを武器化したみたいに。」
その言葉に、赤い瞳の男は視線を裂け目に移した。
紫の渦の奥、ほんの一瞬、何かが光った。
幾何学的な球体が、重力に逆らうように浮遊している。
禍々しい紋様が表面を走り、内部では恒星のような光が脈動していた。
「……オメガ・スフィア。」
アイゼンハワードの低い声が夜気を震わせる。
「伝承では、世界を“終わらせる種”と呼ばれた禁忌の核。なぜ人間界に……?」
怪物が咆哮を上げた。
言葉など持たぬはずの異形の叫びが、不気味にも人間の悲鳴と重なる。
それは、すでに魂を喰われた存在の残滓なのか。
戦闘開始
SUVがスライドし、セリーヌが怪物の突進を紙一重でかわす。
瓦礫を飛び越えながら、車体が側転するように傾き、タイヤが地面に火花を散らす。
「ジャスパー、今!」
「了解!」
痩せた男のレバー操作に呼応し、金属アームがうなりを上げて怪物の脚に絡みつく。
だが次の瞬間、甲殻の裂け目から放たれた紫の電流がアームを溶断した。
「チッ……! だが弱点は見えた!」
ジャスパーが笑いながらデータを送信し、セリーヌが反射的にハンドルを切る。
アイゼンハワードはSUVの屋根に立ち、マントをはためかせながら銃口を怪物の肩に向けた。
紫の焔を纏った弾丸が甲殻を撃ち抜き、怪物がのたうつ。
その隙に掌を掲げると、黒い稲妻が迸り、巨体の動きを束の間だけ止めた。
「今だ、撃て!」
セリーヌの狙撃弾が怪物の露出した空洞に突き刺さる。
紫の炎が内側から炸裂し、獣は断末魔の咆哮を上げて崩れ落ちた。
瓦礫の中で怪物が黒煙に溶けて消えていく。
だが裂け目は消えず、依然として脈動を続けていた。
ジャスパーが険しい顔でモニターを見つめる。
「裂け目の向こう……まだ複数の熱源反応がある。しかも、何か知的な反応も混じってる。」
セリーヌがハンドルを握る手を強くする。
「知性体……つまり、これは始まりに過ぎないってことね。」
アイゼンハワードは紫の渦を見据え、静かにマントを翻した。
「……オメガ・スフィア。誰かがそれを“起動”させた。
敵はただの怪物ではない。我々と同じ……策を巡らす者だ。」
その時だった。
裂け目の奥、球体の前に人影が立った。
長い髪をなびかせた女性、輪郭は美しく整いながらも、その瞳は冷たく、何も映してはいなかった。
一瞬だけ、視線が交わる。
そして彼女は微笑み、霧のように掻き消えた。
「……今のは?」
「記録には映ってない。まるで、幻のように。」
アイゼンハワードは白髪交じりの頭を振り、深い溜息を漏らした。
「幻か……いや、あれは“選ばれた駒”。」
紫の光が強まり、裂け目が再び脈動する。
世界の終末を告げる鼓動の中、MI6《ブラック・リザレクション》の戦いは幕を開けた。
その名はアリシア。
寝返りの美女が、やがて運命を大きく揺さぶることを、彼らはまだ知らなかった。




