第4話 魔界の影響
列車《レム=エクスプレス》は、重々しい唸りを上げながら結界の霧を抜けた。
次の瞬間、車窓に映る景色が一変する。人間界の山並みは途切れ、黒紫の空と赤い稲光が奔る異界の大地が広がった。
「……魔界領域を通り過ぎたな」
アイゼンが低く呟いた。赤い瞳にちらりと憂いが宿る。
不安を煽るのは景色だけではなかった。
車内の時計が、不意に「カチリ」と音を立て、針を逆に回し始めたのだ。
「な……時間が戻ってる……?」
研究者タカハシが声を上げた。
確かに、食堂車に掛けられた時計の針は五分ほど戻り、ぴたりと止まった。
車掌キタムラは慌てて自分の懐中時計を確認する。
「わ、私のも……三分前に戻っている……。こんなことは……!」
異常は時計だけではない。
ウェイトレスのタカダが首をかしげる。
「さっきお出しした紅茶のポット……もう空になったはずなのに、また満たされてますわ」
「俺の手帳もだ!」
冒険家ハセガワが手を挙げた。
「さっきのページに書いたメモが消えてる。ペンのインクも乾いた跡すら残っちゃいない」
ざわめく乗客たち。
「アルおじ……これは一体」
カズヤが険しい表情でアイゼンに視線を送る。
「魔界に入った列車は、人間界の時間と同調しない。
結界を抜けた瞬間、時間は“巻き戻される”ことがあるのだ。……これは古い魔術の影響だな」
「巻き戻された……ってことは……」
「証言の矛盾が生じる理由だ」
アイゼンは重々しく続ける。
「ある者にとっては《死体が発見されたのは二十二時》だが、別の者にとっては《二十一時五十五分》……時間の基準そのものが揺らぐのだ」
カズヤは腕を組んで考え込む。
「……じゃあ、矛盾は嘘じゃなくて、みんな“本当に見た時間”を言っている可能性があるのか」
「そういうことだ」
アイゼンが頷く。
だが“巻き戻り”は必ず一方向ではない。時計は戻ったように見えて、実際には流れを別の道へ導いただけ……。
つまり、そこに誰かが意図を持って仕掛けた可能性もある」
沈黙の中、冒険家ハセガワが窓の外を凝視していた。
黒い霧の向こうに、なにかを確かめるような眼差しで。
彼の指先は震えていたが、その震えは恐怖ではなく、むしろ獲物を追う獣の昂ぶりにも見えた。
「……アルおじ」
「うむ、見ておけ。時間が揺らぐということは、誰かがそれを“利用している”ということだ」
乗客たちの顔に、不安と疑念が交錯する。
フジワラを殺した犯人はまだこの列車にいる。
だが誰が嘘をついているのか、本当に嘘をついている者などいるのかすら分からなくなっていた。




