第4話 消えた元恋人
モスクワ市街を抜け、アイゼンハワードたちはポーランド国境へと車を走らせていた。
古びたバンの車内、エンジン音とジャスパーのぼやきが絶え間なく響く。
「おいアイゼン、あんたのせいで俺ら完全に“国際指名手配リスト”入りだぞ。どう責任とるんだ」
「責任? ふむ……老舗のカフェで紅茶でも奢ろうではないか」
「それで済むかッ!」
隣でハンドルを握るセリーヌは、必死に前を見据えながらも、横で繰り広げられるコントに赤面していた。
「お二人とも! 真剣にしてください! 今は国境を突破するのが最優先なんです!」
「わかっておるよ、セリーヌ嬢。こういうときこそ優雅に振る舞うのが一流の」
その瞬間、後方からロシア秘密警察のパトカーがライトを煌々と光らせて迫ってきた。
「ぎゃああ来やがった!!」
ジャスパーが悲鳴をあげ、バンの床下から謎の装置を引っ張り出す。
「“魔族対応型煙幕ジェネレーターMk.II”だ! たぶん動く!」
「たぶんって言うな!」
黒煙と紫のスパークが一気に後方へ吹き出し、パトカーは次々とスリップして横転。
「よし、計算通り!」
「今のは完全に偶然じゃろ……」
こうして命からがら国境を越えた一行。
ワルシャワ郊外の安全な隠れ家にたどり着いたとき、ジャスパーが古い端末を広げて情報を整理し始めた。
「……出てきたぞ。今回の取引の仲介者の名前だ」
スクリーンに浮かんだのは、一人の女性の姿。
リディア・マルセリーヌ。
「……リディア……」
アイゼンの赤い瞳がわずかに揺らぎ、胸の奥に古傷のような痛みが走る。
「誰です? まさか彼女?」
セリーヌが問いかける。
ジャスパーはニヤリと笑った。
「アイゼンの元カノだよ。伝説のカジノ火山島事件で消息不明になったはずの女さ」
「も、元カノ!? え、ええっ!? アイゼンさん、恋人とか……」
セリーヌは一瞬顔を真っ赤にしてハンドルよりも動揺。
アイゼンは苦々しく咳払いする。
「ゴホン。若気の至りじゃ。もう471歳の身、そんな甘美なものに惑わされる年でも……」
「保湿クリームは毎日塗ってるのに?」
「やかましいぞジャスパー!」
その夜。
アイゼンは一人、隠れ家の窓辺で月を見上げながら、リディアとの日々を思い出す。
■■■過去の回想
煌びやかなカジノフロア。
白いドレスのリディアは、カードを指先で弾きながら微笑んだ。
「あなたって、勝負よりも演出が好きよね」
「貴族たるもの、勝ち方にも美学が必要なのだ」
「でも……愛の勝負だけは、あなたに分がなさそう」
彼女の緑の瞳は、今もアイゼンの心を離さない。
カジノロワイヤルでの噴火寸前の火山島からの脱出艇が、黒煙を裂くように海上へ滑り出す。
そこにリディアはいなかった。
船内に残されていたのは、一枚の古びたカード。
そこには彼女の筆跡で、ただ一行
「また別のテーブルで会いましょう」
カードの端に残るルージュを、アイゼンは指先でそっとなぞる。
勝負には勝った。だが彼女という“賭け”には、まだ決着がついていない。
「リディア……今度こそ、味方として現れるのか、それとも敵か」
魔族のおっさんの胸に、再び苦い炎がともった。




