第3話 逃亡者たち
地下鉄構内。構内放送の女性の声が響くなか、黒い戦闘服のロシア秘密警察が一斉に飛び込んできた。
銃口が赤い瞳の魔族を狙う。
「……やれやれ、またわし一人に隊列を向けるとは。人気者はつらいもんじゃ」
アイゼンハワードはマントを翻すと、きらめく仕草で手を上げる。
次の瞬間、床に刻んだ小さな魔法陣が爆ぜ、閃光が構内を焼いた。
ロシア兵士たちが一瞬目を潰され、銃声が乱射される。
アイゼンは貴族の舞踏のようなステップで身をひらりとかわし、敵兵の銃をマントで絡め取って地面に叩きつけた。
続けざまに、柱を蹴って宙返り赤い瞳が閃き、拳が兵士の顎を砕く。
だが数が多すぎた。
地下鉄のプラットホームの両側から、さらに増援が押し寄せる。
背後は線路、前方は銃列。
「おっと……これは、どうにも“チェックメイト”かのう」
額に汗がにじむ。471歳の魔族といえど、今の身体は人間でいえば初老。息は上がり、膝もわずかに悲鳴を上げている。
銃口が一斉に火を噴いた。
アイゼンは飛び込むように地下鉄の車両へ。
列車が動き出し、彼は屋根にしがみつく。だが、その屋根の上にも既に数人の秘密警察が待ち構えていた。
風を切り裂く銃声。火花が散る。
アイゼンは片手でマントをはためかせ、もう片手で兵士の襟首を掴むと、そのまま線路へ投げ落とす。
だが、背後から押さえ込まれ。膝蹴りを受け、よろめく。
「……471年生きても、やはり膝は弱点じゃな……!」
アイゼンが呻いたその瞬間、兵士の銃床が彼の後頭部を打ち据える。視界が白く弾ける。
ついに、彼は地面に叩き伏せられ、銃口が額に突きつけられた。
「終わりだ、クソ魔族」
兵士の冷たい声が夜風に溶ける。
その時、頭上から奇妙な機械音が鳴った。
「ボフンッ!」
という間抜けな音とともに、何かが兵士の頭に吸い付き、彼ごと屋根の外へ引きずり落とす。
「な、なんじゃ!?」
アイゼンが目を剥くと、隣の列車に並走する黒塗りのバン。窓から、寝不足顔の男が顔を出していた。
「よぉ、ご老体。間一髪、ジャスパー・クロウリー様の“吸引式人間キャッチャー”のお出ましだ!」
小柄で痩せた男。眼鏡の奥は隈だらけだが、にやけ顔は自信満々。
肩から工具入りバッグをぶら下げ、発明品を操作している。
「……発明のネーミングセンスが絶望的じゃな」
「黙れ。奇抜さは正義だ。実用性は二の次」
「お主の人生設計そのものじゃな……」
続いて運転席から声が飛ぶ。
「アイゼンさん! 早く飛び移って!」
栗色の髪をポニーテールに束ね、緑の瞳を光らせるMI6若きエージェント。セリーヌ・ハートマン。
戦闘スーツ姿でハンドルを操る姿は真剣そのもの。
「いや、わしはおっさんだぞ」
「イケおじです!」
「お主ら、どうしてわしの老いを美化するんじゃ……」
最後の力で跳躍し、アイゼンはバンの中へ飛び込む。
直後、列車の屋根は銃撃で穴だらけになり、火花が散った。
バンは急加速。銃弾を浴びながらも闇に紛れ、三人の逃亡劇が始まる。
「……わしはまた濡れ衣を着せられ、国家に捨てられ、そして今は“人間キャッチャー”で拾われる……」
「ありがたく思え、おっさん」
「はい! 私たちがついてます!」
471歳の魔族のおっさんと、二人の相棒。
世界を敵に回した逃亡劇が、いま幕を開ける。




