【最終話】 愛と諜報の終わり
噴火寸前の火山島からの脱出艇が、黒煙を裂くように海上へ滑り出す。
背後ではカジノが火柱とともに崩れ落ち、赤黒い火山灰が空を覆っていた。
だがリディアの姿は、そこにはなかった。
船内に残されていたのは、一枚の古びたカード。
表面には彼女の筆跡で、たった一行。
「また別のテーブルで会いましょう」
カードの端には、ルージュの痕が淡く残っている。
アイゼンはそれを指先でなぞりながら、目を閉じた。
不意に胸の奥が重くなる。
勝負には勝った。しかし、彼女という“賭け”にはまだ決着がついていない。
リディアは必ず何処かで、生きている。
だが、次に会うとき、それは敵としてか味方としてか。
■■■
数日後、ロンドン。
MI6本部の無機質なガラス窓越しに、灰色の海が広がっていた。
嵐を孕んだ波が白く砕け、冬の光が水面に冷たく反射する。
作戦報告を終えたアイゼンハワードは、エバグリーンと並んで埠頭近くの小さなバーに入った。
古びた木のカウンター、わずかなジャズ。
彼はグラスに琥珀色の液体を注ぎ、静かに揺らす。
「……で、あの女は結局どこに?」
とエバグリーン。
「さあな。だが、また必ず現れる」
アイゼンは短く答え、グラスを傾ける。
舌の上でウイスキーの熱が広がり、喉を抜ける頃には、表情はもういつもの冷静な諜報員のそれに戻っていた。
カウンターに伏せた手の中には、あのカード。
その裏面に描かれたルーレットの図柄が、淡く笑っているように見えた。
外では冷たい風が灰色の海を渡っていく。
そして、再び火薬と策略の匂いがする別の戦場へと、彼は歩み出すのだった。




