第12話 ラストハンド
大魔導ルーレット《ルーレット・オブ・フェイト》が、轟音とともに魔力の奔流を放ちながら回転を続けていた。
赤黒い炎の輪が縁を走り、中央には古代文字が浮かび上がる。
勝者には莫大な資金と、敗者には確実な死が約束される――そんな狂気のゲーム。
対面するのはアイゼンハワードと、ヴェール・キングことゼフィル・カイン。
そしてその横で、鎖に繋がれたリディアが沈黙のまま二人を見つめている。
「終わらせるぞ、師匠……俺の手でな」
ゼフィルは静かにカードを指先で弾き、手元の魔封剣を卓に突き立てた。
魔剣から放たれる冷たい光が、空気そのものを凍りつかせる。
アイゼンはわずかに口元を歪めた。
「お前が勝てると思うか? ゼフィル。勝ち急ぐ者ほど、足元をすくわれる」
ルーレットが回り、魔導の矢が刻々と落ち着き始める。
ゼフィルの視線がわずかに逸れた――その瞬間を、アイゼンは見逃さなかった。
(あの癖……リディアと同じだ。数字を読むとき、無意識に左の指先を震わせる)
「数字の17に再度……全ベットだ」
アイゼンは静かに宣言し、全資金を賭けた。
会場がざわめき、魔力の光が卓上に渦を巻く。
「無謀だな、師匠。だがその賭け……受けてやる」
ゼフィルもまた全資金を賭け、勝負は一瞬の心理戦へ。
針は、回転を減速させながら、炎の縁取りを持つ二つのマスの間で危険な舞を始めた。
片方は、アイゼンが賭けた「17」深い翡翠色の輝きを放つ勝利の数字。
もう片方は、漆黒に血のような紅が脈打つ「死の刻印」。触れた瞬間、全てを焼き尽くす絶対の破滅。
カチ…カチ…
金属の擦れる乾いた音が、耳の奥で地鳴りのように響く。
針は一瞬、死の刻印側へ傾き、赤黒い魔力の閃光が牙を剥くように走った。観客席から思わず押し殺した悲鳴が漏れる。
次の瞬間、針は17の方向へと揺り戻り、翡翠色の光が細い救いの道となって走る。しかし勢いは弱く、再び重力に引きずられるように死の刻印の深淵へと傾く。
「……持っていかれる!」
リディアが鎖を鳴らして叫ぶ。
ゼフィルの義眼が紅く灼け、剣から送り込む術式が針を死の刻印へと押しやろうとする。
空気が震え、盤面の数字たちが幻影のように揺らぐ。
だがアイゼンは動じない。
掌に宿した魔族の冷気が卓の縁を走り、針の揺れの“支点”を見抜く。
「――止まれ。」
低い声が放たれた瞬間、死の刻印から吹き出す赤黒い光が凍りつくように鈍り、針の揺れがわずかに収まった。
それでも勝敗は、わずか数ミリの世界。
針は死と勝利の境界線で、まるで命綱を引き合うように、左右へ、左右へと揺れ続ける。
時間が引き延ばされ、観客の呼吸も止まる。
火山の地鳴りさえ、この瞬間だけは遠くへかすんでいく。
そして
カチリ。
わずかな沈黙を破る音とともに、針は死の刻印の縁をかすめ、翡翠の「17」に
静かに吸い込まれた。
場内に爆発のような歓声が上がり、ゼフィルの義眼が悔しげに光を失った。
その瞬間、ゼフィルの資金が霧散し、アイゼンの元へ流れ込む。
「……まだだ!」
ゼフィルが立ち上がるが、会場の外から轟音が響く。
ヴェール残党の仕掛けた爆薬がカジノを揺らし、天井から火山灰が降り始めた。
「噴火警報……ッ、時間がない!」
アイゼンはリディアの鎖を魔力で断ち切り、彼女を抱き寄せた。
エバグリーンが入口から駆け込み、叫ぶ。
「脱出艇は桟橋に! 早く!」
三人は炎と崩落する瓦礫の中を走り抜ける。
背後でカジノが爆発し、火山の咆哮が大地を裂く。
赤黒い溶岩が地表を走り、熱風が肌を焼く。
桟橋に飛び出し、脱出艇に飛び乗ると、アイゼンは振り返らずにエンジンを起動させた。火山島が遠ざかる中、彼の耳にはまだゼフィルの声が残響のように響いていた。
「師よ……俺はまだ終わっていない……」
炎獄の火山島 ヴルカーノ連邦共和国。
魔族と人間の観光客が集うリゾート国家はカジノ爆発炎上と共に溶岩に吞み込まれていった。




