【最終話】 鐘の音は、過去を裁く
雪明かりに照らされた鐘楼の足場は、軋みを上げていた。
カズヤとアイゼンハワードは、血の気を失ったギヨームを抱え、螺旋階段を必死に下ろしていた。彼の胸は浅く早い呼吸を繰り返し、意識は闇と光の間を漂っている。
「まだ間に合う、しっかりしろ!」
カズヤの声が木霊する。
一階に降りると、待ち構えていたイザベルとフロランスが、震える手で止血布を押し当てた。
レオンは顔をそらしながらも、医療道具を差し出す。
それぞれの手は必死で、もはや敵味方の区別はなかった。
やがて、長い夜が過ぎ、鐘楼の影が雪面に淡く伸びる頃。
ギヨームはかすかに目を開けた。
暖炉のある客間。
ギヨームは包帯に覆われた体で横たわり、天井の木組みを見つめていた。
窓の外では、朝の鐘を吊るす作業が行われている。
崩れかけた鐘楼は修復のため足場が組まれ、石工たちが黙々と動いていた。
アイゼンハワードが椅子を引き寄せ、低く言った。
「過去の罪を裁くには、今を生きる者の理が必要だ。
お前はまだ、その理の中で償える」
ギヨームは薄く笑みを浮かべた。
「……償いか。俺はずっと、鐘の音を復讐の合図にしようと思っていた。
でも……もう、それも無意味だ」
夕暮れ、修復された鐘楼の頂。
ギヨームは包帯姿のまま、冬の冷気の中に立っていた。
手すり越しに見下ろせば、雪の庭に館の灯が滲んでいる。
彼は鐘の舌に手をかけ、深く息を吸った。
――ゴォォン……。
低く長い響きが空を渡り、遠くの森まで広がっていく。
それは告発の鐘でも、復讐の合図でもなかった。
ただ、凍りついた心を解くような、静かな別れの音だった。
鐘が鳴り終わると、ギヨームは階段を下り、館の門へ向かった。
そこには駐在が待っていた。
「俺がやった。……全部話す」
雪を踏みしめ、ギヨームは手を差し出す。
駐在が無言で手錠を掛けると、彼は一度だけ鐘楼を振り返った。
薄雲の切れ間から最後の夕日が差し、鐘の縁を黄金に染めていた。
残された者たち
塔の頂に残ったカズヤは、雪原を見下ろしながらぽつりと呟く。
「……オルゴールは死を奏でた。だが、鐘はそれを赦しに変えた」
その音は、過去と現在を隔てる境界線をゆっくりと溶かしていった。
■■
鐘の余韻が消え、雪は夜明け前の淡い光の中に静かに降り積もっていた。
ギヨームは病院の医務室に運ばれ、簡易ベッドで眠っている。顔色はまだ悪いが、呼吸は穏やかだった。
カズヤとアイゼンハワードは暖炉の前で、湯気の立つカップを手にしていた。
「……これで終わったのか?」
カズヤが呟く。
「終わったのは“事件”だ。だが、この屋敷の過去は、これから世間に晒される」
アイゼンハワードの声には、いつもより重みがあった。
午前七時過ぎ、外門の方で自動車の音が響いた。
門衛の叫び声と、カメラのシャッター音が混じる。
新聞記者たちが雪を踏みしめながら駆け寄り、玄関前に集まった。
「ヴェルネ邸での殺人事件について、一言お願いします!」
「鐘楼からの落下は事故ですか、それとも──」
執事エドゥアールが慌てて彼らを制止しようとするが、質問の波は止まらない。窓越しにその光景を見たクラウディアは、老いた瞳を細め、何も言わずにカーテンを閉じた。
やがて、地方紙の号外が街に貼り出された。
「名門ヴェルネ家で連続殺人事件」
「修道院の過去と財産争いが動機か」
記事には、ギヨームの名と、修道院時代の隠された歴史、そして塔の鐘の一枚が大きく載っていた。その鐘は、事件の象徴として黒々と雪空に浮かび上がっている。
カズヤは記事を手に取り、吐く息で白く曇る紙面を見つめた。
「世間は“真実”より“物語”を好む……今回も例外じゃないな」
アイゼンハワードは肩をすくめて答える。
「だが物語の中にも、わずかな真実は残る」
暖炉の火が小さく弾け、外では記者たちの声が遠ざかっていった。
『カズヤと魔族のおっさんの事件簿:オルゴールは死を奏でる』
ー完ー




