第5話 偽りの事故、隠された殺意
夜明けの光が、塔の石壁を鈍く照らしていた。
中庭の雪はまだ踏み荒らされておらず、ただ一点だけ、深く抉られた赤黒い染みがある。
カズヤはその跡にしゃがみ込み、雪を指先で掬った。
「……落ちた衝撃で骨が折れたのは、首と片腕だけ。他はほとんど損傷がない。生きて落ちた人間の壊れ方じゃない。」
アイゼンハワードが目を細める。
「つまり、先に殺され、死体を落としたと。」
カズヤは無言でうなずいた。
「首の痣は絞殺の痕だ。これは事故じゃない。」
二人は塔に向かう。
扉は固く施錠され、鍵は室内の机に置かれていた。
「この通路しかない」という前提に違和感を覚えたカズヤは、壁を叩きながら歩く。
古い修道院時代の図面を脳裏で組み合わせると、ある一点で足が止まった。
「……壁の奥に空洞がある。修道女たちが使っていた隠し回廊だ。」
その瞬間、頭に浮かんだのはマルク・ラグナスの顔だった。
塔の修復を担当し、内部構造を熟知している時計技師。
「彼なら、この通路を知っていてもおかしくない……」
カズヤとアイゼンハワードは、マルクの部屋の扉を叩いた。
返事はない。
扉の隙間から、油と鉄と――わずかに甘い金属臭が漏れ出している。
嫌な予感を覚え、静かに扉を押し開けた。
部屋の中は薄暗く、時計の振り子の音だけが規則的に響いていた。
その中央、椅子に腰掛けたままのマルクがいた。
頭は少し後ろに傾き、片手は机の上に置かれたまま動かない。
首筋には赤黒い線。
刃物ではなく、細い鋼線の締め跡。
机の上には一枚の設計図と、一通の封書。
封を切ると、中から出てきたのは震える文字で書かれた一文だった。
【すべては私がやりました。】
カズヤは眉をひそめる。
「……おかしい。筆跡はマルクのものに似せてあるが、違う。何より、彼は“やりました”なんて言葉を使わない。」
アイゼンハワードが封書の端を指でつまむ。
「つまりこれは……彼を犯人に仕立て上げるための偽造品だ。」
設計図の端には小さな歯車が置かれていた。
表面には擦れた跡と、かすかに血の染み。
「……マルクは最後まで抵抗したんだ。これが、俺たちへのメッセージだ。」
カズヤが歯車を光にかざすと、外では塔の鐘が午前を告げて鳴り始めた。
その音は、なぜか一回だけ、妙に遅れていた。




