第9話 二つの正義、剣で語れ
夜の勇者学園 校長室から屋上へと移動した。
白い月が、石造りの屋上を照らしている。
“校長室に呼び出された転校生”アイゼンハワードは、無言でそこに立っていた。
風が吹くたび、彼の学ランの裾がひらりと舞う。
胸元には“学籍番号666”の刺繍。だが、その姿勢と眼差しは老練な剣士のそれだった。
反対側の扉が、きぃ、と静かに開いた。
現れたのは、白銀の聖剣を携えた男。
人間界の英雄、そして現在の学園長
ガレス・ランディール。
彼はゆっくりと歩み寄り、屋上の真ん中で立ち止まる。
「……アル。君が“転校生”として現れるとはな。老いぼれた魔族が学生服に袖を通すなど、茶番にも程がある。」
アイゼンハワードは、鼻で笑った。
「制服が似合っておろうが似合ってなかろうが、貴様に教育者の資格があると思う方が茶番じゃろう、ガレス。」
沈黙。
そして、一歩。
二人の間の空気が、変わった。
ガレスが剣を抜く。
刃は青銀に輝き、まるで夜空を裂く彗星のようだ。
「聖剣。正義の名を冠す刃だ。だが正義とは、数と制度によって決まる。我々の世代が、そう証明してきたはずだ。」
アイゼンハワードも、魔剣の柄に手をかける。
だが、彼の“魔剣”はもう砕け、折れ、柄と破片だけを包帯で巻いて携えていた。
彼は静かに、その柄を握る。
「ギロティーナよ。古き友よ。すまぬが、もう一度だけ、刃を振るわせてくれんかの。」
黒い魔力が、ぐぐぐと溢れ出す。“砕けた剣”が、闇の中で再構築されてゆく。
それはさっちゃんが修復した、再生の断罪剣。
「魔剣《断罪ノ刃〈ギロティーナ〉》、再起動じゃ。」
次の瞬間、両者が同時に地を蹴った。
衝突。
ギロティーナとアストレイアが激突し、空気が一瞬にして爆発する。
ガレスは、冷静に剣を弾きつつ、足技でアイゼンハワードの重心を狙う。
「“力”とは統制されねばならない! 君のような“感情”に任せた戦いは──!」
アイゼンハワードは、それを逆手に取り、あえて崩れた姿勢から斬り上げる。
「感情を否定した正義など、ただの冷血な合理主義じゃ!」
技名:黒牙裂閃!
X字に交差する漆黒の斬撃が、夜空を引き裂く。
ガレスは咄嗟にバックステップ、聖剣を掲げる。
技名:聖封絶技!
光の十字架が展開し、斬撃を受け止める。
が防ぎきれなかった。
ガレスの肩に浅く切り傷が走る。血が一筋、制服を濡らす。
彼は顔をしかめたが、すぐに構え直す。
石畳の床に、血が一滴落ちた。
剣と剣が斬り結んだ数十合の末、二人は互いに息を荒げ、距離を取っていた。
アイゼンハワードの黒き魔剣《断罪ノ刃〈ギロティーナ〉》には、いくつもの細かなヒビが入り、ガレスの聖剣にも、かつてないほどの剣圧の軌跡が刻まれている。
どちらが倒れてもおかしくない、紙一重の攻防。
だが
ガレスが、ふいに剣を下ろした。
彼の左肩には、深い斬撃痕。制服の布地が裂け、血が滲んでいる。
彼はその傷に手を当て、目を閉じる。しばしの沈黙。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……やはり、君は斬れなかったか。いや、斬りたくなかったんだろうな。アル。」
アイゼンハワードは黙って剣を構えたまま、相手を見据えている。
「それとも、“対話”という幻想に、まだしがみついているのか?」
ガレスは、わずかに自嘲の笑みを浮かべた。
「君の甘さは、いつか多くの命を奪う。私は……もうそれを見たくないだけだ。」
「……だからこそ、君にだけは真実を教えておく。」
風が吹いた。
ガレスはポケットから一枚の布を取り出し、地面に落とす。
それは、深紅に金糸を織り込んだ《家紋》三つ首の蛇が絡み合う紋章。
「“リュドミラ家”。人間界三大貴族の一つにして、勇者ビジネスの資金源であり、裏でこの学園すら動かしている連中だ。」
アイゼンハワードの瞳が鋭く光る。
「ほう……とうとう名が出たか。貴族共め、相変わらず汚いのう。」
「ガレスよ。貴様は彼らの手先か? それとも……」
ガレスは静かに首を振った。
「私は……彼らを“監視”するために、この立場にいる。だが、それが本当に正しかったのか、今はもうわからない。」
彼は一歩、背を向けて歩き出す。
「君が動けば、世界は揺れる。だから私は最後まで、君を見届ける責任があると思っている。」
「だがアル……もし君が、“秩序”を壊そうとするなら次こそ、私は容赦なく斬る。」
その背に、アイゼンハワードは声をかけなかった。
ただ、落ちた家紋布を拾い、じっと見つめていた。
沈黙。
そして、月明かりだけが、残された。




