第6話 タイムラグの真相とトリック
その夜、音楽ホールの控室にて。
アイゼンハワードは静かにメモをめくっていた。
そこに、カズヤが駆け込んできた。
「わかった……やっぱり、控室と舞台で、時計の時刻が5分ズレてる!」
アイゼンハワードは頷く。「決定的だな。これで“演奏中”という証言の信憑性は揺らぐ」
関係者の証言はどれも正確で、矛盾のないように見えた。だが──
ハルの証言
「17時55分頃、楽屋前を通りかかったとき、こすれるような音が聞こえたんです。布か、弦か、それとも……こじ開けるような音かも」
一見、曖昧なだけの証言。しかし、そこに“罠”が潜んでいた。
カズヤが見抜いた。
「この“17時55分”は、舞台上の時計の時間だ。控室の時計では、実際は17時50分だった!」
それは何を意味するか。
ハルは、まるで演奏直前に何かがあったように語っていた。だが、実際にはその“音”は、まだリハーサル中つまり、毒が仕込まれた直後の時間帯だった。
音のトリック
アイゼンハワードは、アマリリスが演奏中に倒れた状況に再注目した。
「倒れたのは、ヴァイオリンのソロが始まった直後。だが……そのソロ、舞台袖で聞いたときと、ホール中央で聞いたときでタイミングが違って聞こえた」
それは、“音の残響”による錯覚。
このホールは天井が高く、音の残響時間が1.5秒近くもある。舞台中央で演奏された音は、ホールの端では“わずかに遅れて”聞こえる。
「つまり、観客が“今、アマリリスが演奏している”と感じた瞬間は、実際よりも後ろ倒しになっている」
その錯覚を利用し、犯人ハルは毒の発症タイミングを“演奏中”に見せかけたのだ。
毒はいつ仕込まれたのか?
毒は、リハーサルの段階で仕込まれていた。
アマリリスは、リハーサル後、一度ヴァイオリンをケースに戻していた。その直後、ハルが「楽器の調整が気になる」と言って楽屋に残っていた──その証言が、ようやく“意味”を持つ。
「弓の毛に毒を塗ったんだろう。“弾くことで皮膚に吸収される”特殊な接触型の毒を」
アイゼンハワードの推理に、カズヤが補足する。
「さらに、弓を軽く拭うような仕草なら、舞台で誰も気づかない。毒は“演奏中”に入ったわけじゃない。“演奏中に見えた”だけなんだ」
【トリックの真相】
①ハルはリハーサル後、アマリリスの弓に毒を塗った。
②密室みえた控室の鍵は“外からマグネットで操作できる”特殊な構造。
③ハルはわざと演奏中に控室の前を通り、誰かが中にいたような証言を残す。
④舞台時計と控室時計のズレで、“事件の時刻”を錯覚させる。
⑤音の残響が観客の“タイミング認識”をずらし、毒の発症を“演奏中”に見せかけた。
カズヤは震える手で小さな布片を掲げた。それはハルの手袋の切れ端。そこに、毒の痕跡が微量ながら検出されたという。
アイゼンハワードは静かに目を伏せる。
「仕掛けられた協奏曲は、もう終わった。だが、この旋律は……悲しすぎる余韻を残す」
月明かりが差し込むホールに、弦のないヴァイオリンが静かに佇んでいた。




