第5話 証言という名の幻想曲(ファンタジア)
「おかしいな……時間が合わない」
カズヤは並べられた証言メモを前に、眉をひそめた。
バイオリニスト・アマリリスの死について、警察の捜査は進んでいたが、彼女の葬儀はいまだ行われていなかった。死因を特定するための再検視に時間がかかっていたからだ。
その空白の時間を使い、アイゼンハワードは個人的に関係者への聞き取りを始めていた。
調律師助手の佐伯はこう言った。
「僕は17時20分に舞台裏の調律室にいました。アマリリスさんがチューニングを終えたのは、それからすぐでした」
演出家で恋人でもあった城之内は語る。
「開演の10分前、17時50分には彼女と一緒に控室にいましたよ。緊張してたけど……いつも通りだった」
オーケストラのチェロ奏者・藤咲は、印象的な言葉を残した。
「拍手が途切れた“空白の3秒”のあと、まるでホール全体が息を止めたようでした。時計を見たら17時58分。ぞっとするほど静かで……変な気配がしたの」
そして、ハル。
「演奏会直前、私、17時55分ごろに楽屋前を通ったんです。中から何か“こすれるような音”が聞こえた気がして……弦か布か、それとも何かをこじ開ける音だったのか」
これらの証言は、一見して不自然なところはなかった。だが、カズヤはふと気づいた。
「控室の時計とホールの舞台時計が一致していない……?」
アイゼンハワードが口を開いた。
「誰かが、“ある時間だけ”を意図的にずらして記憶させている。これは、楽譜を使った“時間偽装”だ」
「時間偽装……?」
楽譜には通常、演奏のテンポや拍子、演奏順の指示が書き込まれている。
だがアマリリスの死の現場にあった古い手書きの譜面には、不可解な書き込みがあった。
『2分戻れ、音が語る』
「これは、音楽で“時間を操作した”ことを示唆している。全員が信じた時間は、誰かの演出によって作られた幻想だ」
アイゼンハワードの指が、証言の時刻に赤ペンでラインを引く。
「全員の証言に出てくる時間は、すべて“ホールの時計”を基準にしている。だが、楽屋の時計だけが2分進められていた……! つまり――」
「“彼女が死んだ”と思われた時間は、実はもっと早かった……?」
「いや、逆だ」
アイゼンハワードは不敵に笑う。
「遅らせたんだ。“死”を、観客の拍手の裏に隠すために」
部屋の中に誰も入れず、監視カメラにも映らなかった理由――
それは、事件そのものが、演奏会の“直前”ではなく“最中”に起きていたから。
演奏会中、ホール全体が注目する舞台から遠く離れた控室。
その時間だけ、誰も“死”を監視していなかった。
「誰かが、時間という幻想を指揮していた」
アイゼンハワードの目が鋭く光る。
「証言という名の幻想曲を奏でながら、すべてを隠すために」
そして最後に、楽譜の裏から一枚の紙が見つかる。
それは――舞台演出家・城之内が書いた、「アマリリスの最後の演出プラン」だった。
しかもそのタイトルには、こう記されていた。
『死と幻想のアダージョ』
つづく。




