プロローグ 花嫁逃亡、男二人旅
結婚式当日。地上100階、高級ホテル最上階・スカイチャペル。
「それでは、新婦の入場です」
荘厳なオルガンが流れ、会場は暗転。バージンロードを白いスポットライトが照らす。扉が開くと、静かなどよめきが広がった。
「……っ、あれが、花嫁?」
「モデル?」「いや、女優クラスだろ……」
姿を現したのは、白薔薇の女神と称されるにふさわしい存在だった。
純白のドレスは魔界産の魔糸で織られ、薄絹のように肌を透かす。
銀糸の冠、手には黒百合のブーケ。月光を纏ったようなその姿に、誰もが息を呑んだ。
花嫁の名はサリィ・エルマレーン
そして、今日この瞬間、カズヤの嫁になるはずだった。
カズヤは壇上で待ちながら、ただ嬉しそうに笑っていた。
「……信じられない。サリィが、俺と……本当に来てくれたんだな……」
けれど、その瞬間。
サリィの姿がふっと、掻き消えた。
ドレスも、靴音も、香水の匂いすらも。
まるで幻だったかのように、バージンロードの上から、完璧に姿を消した。
「……え?」
「おい、今の見たか?」「消えた……本当に消えたぞ!?」「トリック?」「マジ魔法じゃねぇか!?」
神父が聖書を取り落とし、司会が慌てて「少々お待ちください!」と叫ぶ。
参列者は騒然とし、スマホを構える者、走り回るスタッフ――その中で、カズヤは一人、呆然と立ち尽くしていた。
気づけば彼は、式場中を走り回っていた。
控室、非常階段、屋上、化粧室……どこにも、サリィの姿はなかった。
ただ控室の鏡台の前に、黒い花びらが一枚、ひっそりと落ちていた。
■■■
「じいちゃん……サリィ、結婚式の途中で……消えたんだ」
そう言ったカズヤの声は、絞り出すように乾いていた。
屋敷の中では、ランプの灯りが揺れている。
その向かいに座る男は、静かに紅茶のカップを置いた。
アイゼンハワード・ヴァル・デ・シュトラウスかつて“血塗られた伯爵”と呼ばれた、魔界最強の元諜報員。
今は隠居して、地上で株式運用をしながら盆栽を育てている、ただの魔族のおっさん。
「そうか……やはり、そうなったか」
「“やはり”って……知ってたのかよ」
「兆候はあった。だが、確信はなかった。サリィは、消えるべくして消えた」
「意味がわからん……」
カズヤは目の下に隈をつくり、髪はぼさぼさで、礼服は脱ぎ捨てられていた。
あれから彼は仕事も辞め、家に引きこもり、数カ月が過ぎた。
「……もう、何もかもどうでもいいんだ。俺、人生からログアウトする」
「ログアウトする前に、風呂ぐらい入れ」
アイゼンハワードは椅子から立ち上がった。
「行くぞ、カズヤ」
「え?」
「旅だ。癒しの旅だ。砂に埋もれたら、大抵のことは忘れられる」
「砂って……どこに?」
「鳥取だ。砂丘、砂風呂、温泉、あと……妖子って女がいる」
「妖子? また魔族?」
「半分な。昔、ちょっと付き合いがあった」
「おじいちゃん、色々濃すぎる……旅に出たら、人生が全部変わる?」
「全部ではない。だが、何かが始まる。それだけは保証しよう」
「……じゃあ、行くよ。祖父ちゃん。俺、ニート脱出するわ」
こうして、失恋と消失の謎を背負った青年と、
かつて世界の裏側で世界を救った魔族の祖父の、奇妙な男二人旅が始まった。
彼らを待つのは、砂風呂と温泉、バイオリン、そして血塗られた村の儀式。失われた愛と、過去の亡霊が、鳥取で再び目を覚ます。




