第11話 冥界より愛をこめて
冥府層第五階層《凍結の霊廟》。
陽光は差さず、空気は音すらも凍てつかせる。
広大な氷のドームに包まれたその空間は、かつて死者の魂を安置するために築かれた、虚構の霊廟。今では誰も寄りつかない、沈黙の記憶空間。
冥界の奥底、死者の王座に最も近い場所とされていた。
そこに、二つの影が向かい合って立つ。
一人は、かつてMI6の諜報員であり、《冥界コード》の阻止を任された男アイゼンハワード ベルデ シュトラウス。
もう一人は、《ヴェール》の創設者にして冥界コードの解放者ヘレナ・クライシス。
冥界コード”アンデット レコード” 全界への最終起動まで、残り5分。
「来てくれると思ってた、アル。……いや、来ないでほしいって、どこかで願ってたかもしれない」
「止めに来た。それだけだ、ヘレナ」
ヘレナは肩をすくめ、ひとつ息を吐いた。
その目にはもう、怒りも哀しみもなかった。
ただ──決意だけがある。
「世界はもう限界よ。“生者のルール”だけで回り続けた結果、死者はただのデータかゴミになった。私はそれを、“正しい”ことだとは思えなかった。」
アルは拳を握る。言葉が、震える。
「君がそんな世界を壊してまで守りたかったのは……“死者”か?」
「ええ、そして。あたしたちの罪」
彼女の指が軽く宙をなぞる。
空間に歪みが走り、かつてふたりが“触れてしまった記憶”が浮かび上がる。
それは冥界コード発掘任務の記録映像。
「冥界コードの起源は、あたしたちがあのとき、見つけてしまった。
……でも、あんたには言えなかった。
私が、怖かったの。死者に触れたら、戻れなくなるって……」
その言葉と共に、音ではない“記憶”が、アルの頭を突き破るように流れ込んでくる。映像でも、音声でもない。
まるで空間そのものが、彼の過去を暴きにかかってくるようだった。
街が揺れる。
建物が崩れ落ちる。
叫び声、炎、そして。あの瞳。
アルの脳裏に、かつてのヘレナの目が浮かぶ。
MI6の命令を無視して、冥界コードの封印を解こうとする彼女。
銃口を向けたのは、他でもない自分だった。
でも、引き金は引けなかった。
「あなたには、引き金を引けないと思ってた。優しすぎるのよ、アル……
だから私が、代わりに“引いた”の」
「……なんだって?」
アルが震える手で額を押さえる。
そのとき、音響石が震え、最後の“真実”が解き放たれる。
「冥界コードは、人を蘇らせるためのものじゃない。
記憶を歪ませ、世界を焼き尽くす《兵器》よ」
「ならば、なぜお前は……っ」
「……だって、もう……どうでもよかったのよ、あたし自身のことなんて」
沈黙。
それでも彼女は、死者のために戦うと決めた。
「ヘレナ……お前はそれで……救われるのか?」
「……わかんない。でも、せめて“選べる”ようにしたかったの。
この世界で生きていた人たちが……どう死ぬかくらい、自分で選べるように」
冥界コード、起動まであと4分。
アルが剣を構える。
ヘレナも剣を手に取る。
二人の間に、感情と刃が交差する気配が走る。
「これが、あたしの答えよ見届けなさい。アル!」
「……ああ。だが、止めてみせる。君を、そして“冥界の運命”そのものを!」
氷の霧が弾け、音速のような閃光が交錯した。
最後の戦いが、幕を開ける。




