第2話 魔海の底、蘇る皇帝
九条イサムは、赤い外套をはためかせながら、かつて「魔中封域」と呼ばれた結界の中央に立っていた。彼の手には、古びた羊皮紙に刻まれた《禁呪文》と、忌まわしき皇帝の骨より削り出した〈封印鍵〉。
「……ここからが、本当の戦争だ」
九条が呪文を唱えると、地鳴りとともに海が割れ、魔界の歪が地表に漏れ出す。その中心、黒曜石の棺が軋む音と共に割れ
より出でし王の名において、
我、時の檻を砕く者なり。
虚無を満たせ、永劫の闇よ。
《開門ノ刻、現界セヨ
ラスト・エンペラー》!!」
深紅に染まった魔海の底。封印の祭壇を囲む石柱には、いずれも血のような魔力がまとわりつき、時の流れを拒絶していた。
そして、その中心
裂けた石棺の中から、ラストエンペラーはゆっくりと姿を現した。
彼の名は愛新覚羅。
かつて七界を統べた最後の魔界皇帝。
その姿は、白銀の長髪と漆黒の甲冑に包まれ、紅玉のような双眸が炎のように燃えている。肌は死人のように蒼白でありながら、瞳の奥には永劫を超えてなお、王者としての威厳が宿っていた。
背に背負う二対の魔翼は、かつて天界をも墜としたという“神滅の黒羽”。
そしてその胸には、裏切りと封印によって深く刻まれた魔剣の痕跡が、未だ生々しく残っていた。
その姿は、すでに人間を超越していた。紅蓮の鎧に身を包み、竜骨で編まれた王冠をいただくその男。瞳には血のように濁った炎。
「貴様か……封を解いたのは」
「お迎えに参りました、皇帝陛下。世界を再び陛下の玉座へ」
ラストエンペラーはゆっくりと身を起こし、天を仰ぎ嘲笑する。
「フッ……愚かなるアイゼンハワードよ……我が輝ける帝国を恐れ、我をこの深淵へと封じたか。そのくせ、英雄面とはな」
怒りではない。だが、深く、ねじれた逆恨み。
「お前が恐れたのは、我が力ではない。我が真実だ。我こそが“世界のあるべき形”であった。それを否定し、お前は民の希望とやらに逃げた」
「ならば今一度、見せてやろう。正しき世界の在り方を」
その言葉と共に、魔界全域が震え、封じられていた神話魔獣たち
九尾の大蛇、剣喰いのキマイラ、百眼の巨人たちが目覚める。
一方その頃
かつて帝国の後宮で絶世の寵妃と称された、ラストエンペラーの元妃。
今は“サリィ”と名乗り、品川の不動産屋・カズヤと二重生活を続けていたその女の素顔もまた、徐々に明らかになっていく。
彼女が復讐に燃えるのは、単なる封印への恨みではない。
「私は……愛されたのではなく、ラストエンペラーに近づくために“利用された”のだ」
ラストエンペラーによって、政略の道具として与えられ、帝国の支配の象徴として“崇拝されること”を強いられた日々。
だがアイゼンハワードが皇帝を滅ぼし、民衆を解放したとき、サリィ(楊貴妃)は一瞬だけ「自由」というものを感じた。
けれども
「あなたは私を見なかった。突然去った、あの瞬間、あなたが手を差し伸べてくれていたら……私は、復讐鬼にはならなかった」
そう、彼女の復讐相手は、ラストエンペラーではない。
かつて彼女を救うはずだった男アイゼンハワード。
そして、彼の血を引くカズヤとの“偽りの婚約”は、愛でも計略でもない。
ただの試練だった。
「あの男の血が、また私を裏切るのかどうか」
歪みゆく魔界。
目覚める皇帝。
崩壊する愛と正義の定義。




