第1話 逃げた孫の花嫁
「アルじいちゃん、紹介するよ。俺の、婚約者のサリィだ」
アイゼンハワードは、魔界の荒野にぽつんと建つ古びた屋敷の縁側で、干し肉をかじりながら幸子と共に紅茶をすすっていた。
風が鳴く。荒れ地の砂を巻き上げるその風の向こうから、カズヤが歩いてきた。地上で不動産屋をやっているはずの孫が、女を連れて。
その“花嫁”は、見る者すべての視線を奪う女だった。
サリィ。
その名を聞くより先に、まずアイゼンは、彼女の歩き方に注目した。
背筋はまっすぐに伸び、足音すら感じさせない滑るような動き。無駄なものをすべて捨てた、まるで訓練された舞姫のような立ち振る舞い。
髪は月のしずくのように蒼い。
光を受けて、まるで星の糸を編んだように輝いていた。長く流れるその髪は、ふわりと風に揺れ、視線の先に余韻を残す。
肌は驚くほど透き通るように白く、温度を感じさせない陶器のような質感。
目元は切れ長で、冷たくもどこか哀しげな碧眼。見つめ返せば、何百年もの孤独と静けさが流れ込んできそうな深さを持っていた。
唇は紅く細く、言葉のひとつひとつが詩のように美しく響く。
その表情は終始微笑を湛えているが、どこか感情の“芯”が見えない。まるで感情そのものを計算して演じているような、そんな印象。
「……はじめまして。アイゼンハワード様。私は、サリィ・エルマレーンと申します」
その声は、風鈴の音にも似た澄んだ響きを持ち、どこか懐かしさすら感じさせた。
「……お前、ホントにこんなきれいな嫁さん捕まえたのか? カズヤ、お前、何をしたんだ?」
「いや……向こうから“部屋を借りたい”って来てさ。そこからいろいろ話してるうちに、自然と……な? サリィ」
「ええ。タイミングが、良かったのだと思います」
“タイミングが良かった”
それだけで片付けられるには、あまりにも“出来すぎて”いた。
アイゼンハワードの老いた魔眼が、鋭く女を見つめる。
この女、何かを隠している。だがそれを決して悟らせない洗練された「壁」のようなものを纏っていた。
■■■
数カ月後。地上の高級ホテルの最上階。
カズヤとサリィの結婚式が、身内だけを招いて静かに行われようとしていた。
「それでは、新婦の入場です」
場内が暗転し、白いスポットがバージンロードを照らす。
扉が開く。
現れたのは、まさに“白薔薇の女神”だった。
純白のドレスは細やかな魔糸で編まれており、サリィの滑らかな肌を透かすように纏っていた。
髪には銀の冠。手には黒いリリーのブーケ。まるで、この世のものではない美を具現化したような姿。
親族席ではカズヤの同僚たちが「えっ、モデル?」「女優じゃないの!?」とざわめく。
カズヤは照れながらも胸を張っていた。
あのサリィが、自分のもとに来てくれた、その事実だけで、すべてが報われた気がしていた。
だがその瞬間。
スポットライトの下、歩を進めていたサリィの姿が、ふっと、掻き消えた。
まるで幻だったかのように、ドレスも、花も、靴音すらも、残さず。
場内が騒然とする。
「おい……花嫁はどこだ!?」
「え、消えた? トリック? ドッキリ? いやマジでいないんだけど!?」
神父はあわてて聖書を落とし、司会は「えーっと、少々お待ちください…!」と震える声で場を取り繕う。
カズヤは呆然と立ち尽くし、そして走った。
控室、廊下、非常口、あらゆる場所を探した。
だがサリィの姿はなかった。
ただ控室の鏡台の前に、黒い花びらが一枚、残されていた。
その夜、アイゼンハワードは荒野の屋敷で報告を受けた。
「じいちゃん……サリィ、結婚式の途中で……消えた」
「……なんだと?」
「控室に、こんな花が落ちてた」
カズヤが差し出したのは、黒く、毒々しく、それでいて美しい魔花の花弁。
それを見たアイゼンの表情が、一瞬で変わった。
「まさか……!」
遥か魔界の地底、封印の祠。
「……戻ってきたわ、魔界へ」
銀のドレスを脱ぎ捨て、紅い法衣に身を包む女。
その瞳には、かつての愛と、今の憎しみが混ざっていた。
「アイゼンハワード……お前を地獄へ引きずり込むために、私は地上から上がってきたのよ」
そう
彼女はただの花嫁ではなかった。
その正体は、かつて魔界の皇帝に寵愛され、捨てられた女。
ラストエンペラーの元妃、“魔族の楊貴妃”。
復讐と愛の幕が、いま開く。




