第4話 火口の迷宮
かすかな硫黄の匂いが、風に乗って鼻腔を刺す。
オキナワ島北部、一般には未踏とされるカルデラ火口地帯。
その地下深くに、かつて存在すら抹消された“零課”の旧施設があった。そこを転用し、WALDERが最終兵器の開発を進めていたのだ。
黒曜石のような崖をロープで降りながら、アイゼンハワードは自らに言い聞かせた。
「……キャサリン、あれが、お前の“もう一つのコード”か」
彼の腕には、前回の銃撃で穿たれた傷。キャサリンの放った弾は、心臓を逸れていた。致命を避けたのは、彼女の迷いか、それとも──。
持ち帰ったデータサーバー。
その奥深く、二重の暗号層のさらに内側に、隠されたコードが存在していた。
起動と共に現れたのは、かつて“零課”内部で封印された
計画名 Project YAMI(闇)。
「宇宙ジャミング兵器とは別系統。これは……軌道上から、地球全土の電子網を制御する“思考改竄”兵器?」
その断片的な情報をもとに、アイゼンは火口に眠る制御中枢の破壊を目的として潜入を開始していた。
地下の最深部。
青白い冷却灯に照らされながら、スーツ姿の男が静かに振り返る。
「ようこそ、旧友。歓迎しよう、火口の玉座へ」
九条イサム、死んだはずの男。
白髪混じりの黒髪、切れ長の目、均整の取れた細身。
元“零課”戦略主任。今はWALDER幹部。
「プロジェクトYAMIは、私が零課時代に設計した。あれはな、我々人類が“選ばれた思考”のみを残すための試みだったんだ」
彼は背後のホログラムを指差す。そこには、人工衛星をジャミングし、地球全土に向けて指向性思考波を照射する兵器の設計図が浮かんでいた。
「君がコードを解いたということは──やはり彼女は、お前に希望を託したのだな。キャサリン……裏切ったふりをして、全てを渡したか」
アイゼンの手が、背中のホルスターへ向かう。
「だがな、アイゼン……もう遅い」
轟音。火口の地盤が震え、巨大なリフトが昇降を始めた。
その上に乗っていたのは、異様な形をした球体兵器。その中央に、人間の脳のような組織が浮かんでいた。
「“コード オキナワ・システム”。これが最後の兵器だ。人類の感情を統制し、争いを終わらせる神経干渉装置、我らが未来だよ」
アイゼンが銃を構えた瞬間、別方向の扉が開く。
キャサリンだった。
片腕を吊り、顔に火傷の痕。
それでも、凛とした眼差しは失われていなかった。
「……遅れてごめん。あなたの手で、撃たれる覚悟はできてる。でも今は、それより先に……九条を止めて」
「……最後まで、お前は俺の理解を越えている」
二人は視線を交わし、並んで銃を構える。
照準の先には、かつての盟友。
九条イサムは、すでに機械と一体化した神経インターフェースを頭部に装着し、装置と共に融合を始めていた。
「感情も、憎しみも、愛も、すべてを平滑化する。私は新たな世界の礎となろう」
「ならばその礎ごと、ぶっ壊すまでだ!」
火口の迷宮に、銃声と爆音が響き渡った。




