第3話 ギアチルドレンの少女
魔界第七領域。永久機関〈オブリビオン〉。
薄暗い螺旋通路の奥、重厚な金属扉が音を立てて開く。
アイゼンハワード・ヴァル・デ・シュトラウスは、咎人のように静かに立っていた。
「来たな、黒炎の私刑執行人」
魔王ガルヴァ・ネクロデスの声が響く。玉座ではない。ここは研究棟だ。
その声には、情ではなく任務の匂いが漂っていた。
「次の戦争の鍵だ。ギアチルドレン計画」
超戦略的育成兵士計画《Gear Children》。魔界による、完全管理型・感情制御型の人造人間育成計画。
その実験成功体の一体が、今、目の前のガラス越しに立っていた。
赤い髪。無表情な瞳。身長140センチほどの少女。
手足は細く、顔立ちは愛らしくさえある。だが、立ち姿はあまりに無機質だった。
まるで魂の入っていない人形のようだった。
「プロトタイプG-04。お前に預ける。コードは“Lilith Byte”」
「……いや、そんなもんじゃ呼びにくいな」
アルはガラスの前で、煙草を揉み消す。少女と視線が合った。感情はない。ただ、命令待ちの表情。
「お前は魔物ベビーサタンだから“さっちゃん”だ。……今日から俺の使い魔だ」
それは、命名ではない。呪いでもない。赦しでもなかった。
だが、“Lilith Byte”はほんの一瞬
まばたきを忘れたように、沈黙した。
数日後。
任務の辞令が下りた。さっちゃんとアルは、魔界と人間界の境界にあるスラム街に降り立った。
そこは、抗争と密輸と呪詛が渦巻く混沌地帯。
さっちゃんの任務は、「敵性人間の殺害」。
だが、最初の現場で、さっちゃんは動きを止めた。
標的の周囲に、民間人の子供たちがいたのだ。
「……民間人、排除禁止命令あり」
「殺していいのは、指定されたターゲットだけだ」
「なぜ?」
さっちゃんは振り向く。そこにあるのは感情ではない。純粋な問いだった。
「なぜ、殺してはならない?」
その声はあまりに透明で、まっすぐだった。
人間らしい倫理ではなく、効率的な戦闘を阻害する要因でもない。
ただの“機械的な疑問”だった。
アルは少しだけ空を見上げた。濁った煙が雲を隠す。
笑うように、吐き捨てるように、彼は答えた。
「……お前が、自分を知るためだ」
「自分を、知る?」
「人間を殺してしまえば、お前は何も学べない。ただ命令をこなす道具になる。だが、生かして観察すれば、人間の“善さ”も“醜さ”も見える。それは、お前自身の心の鏡になる。……そのうちに、お前にもわかるはずだ。殺すだけでは手に入らない“何か”があるってな」
さっちゃんは瞬きもせず、数秒沈黙した。
そして静かに頷く。
「了解。民間人は、殺さない」
その声には、僅かに。ほんの僅かに、“理解しようとする色”が宿っていた。
その夜。
アルは市場で見つけた赤いワンピースを買ってきた。
「これ、お前に似合うと思ってな」
「なぜ? 機能性が劣る。防御力も、熱拡散率も悪い」
「だからいいんだよ。お前はもう、ただの兵器じゃねえ。“子供”なんだよ、さっちゃん」
「こども……?」
さっちゃんはワンピースを抱きしめた。ほんの少し、不器用な動作で。
その目に、かすかな迷い。名もなき“人間らしさ”が芽生えていた。




