第9話 誰がための剣、誰がための涙
戦の終盤。
アレルシア王国の兵たちがようやく士気を取り戻しつつあったある日、
空が裂けた。
それは比喩ではない。
王都上空に突如出現した、黒く蠢く“魔の裂け目”。
空そのものが破られ、別世界と繋がったのだ。
そして、そこから現れた
漆黒の巨獣のような魔甲冑。
鉄の城壁で身体を覆ったようなその身に、
禍々しい赤い呪紋が浮かび、常に空間が歪む。
地に降り立った瞬間、
王都の大地が震え、建物の窓ガラスが砕け、
兵たちは立っていられず膝をついた。
それが、魔界最終将
ヴァル=レギオン将軍である。
「我が名は、レギオン。魔界第七軍団・総帥にして、魔王直轄の“粛清の剣”
裏切り者に与える、最後の鉄槌」
その声は、人の鼓膜に直接響く“破壊音”。
言葉のひとつひとつが物理的に痛いほど、重く、深く、震える。
身の丈は三メートルを超え、
両腕に装備された巨大な“魔質刀”は、
剣というより、瓦礫を裂く刃の壁。
その姿は、もはや戦士ではない。
災厄そのものだった。
王城の塔でその気配を感じたアルは、すぐさま屋上に駆け上がった。
そして見た
かつて同じ魔王軍にいた将が、地上に立っていることを。
「……まさか、レギオンが出てくるとはな」
冷や汗が、背筋を伝う。
レギオンが動くというのは、
もはや“宣戦布告”ではない。
それは魔界において、完全なる粛清命令。
「存在ごと抹消」されることを意味する。
剣、抜かれる
レギオンが動いた。
巨大な双魔刀が、アルに向けて薙ぎ払われる。
ズガァァアアアン――!!
衝撃波で周囲の建物が吹き飛び、王都の屋根瓦が数十枚、宙を舞う。
その斬撃の範囲は直径20メートル。
ただの一振りで、城の塔が半壊した。
「クッ――!」
アルは即座に回避しながら剣を抜いた。
片手の細身の剣。だが、その魔力は凝縮されている。
(こいつに勝たなきゃ、ティアラ姫は……)
(この王都は……すべてが、終わる)
アルの剣が風を裂く。
だが、レギオンは痛みを感じていない。
打撃、貫通、衝撃波、すべてが装甲で受け止められてしまう。
「死ね。裏切り者」
レギオンの一撃が地面を砕き、塔を粉砕し、
アルを数メートル吹き飛ばす。
「グッ……!」
口元から血がにじむ。
一瞬でも動きが遅れれば、死んでいた。
(持たない。真正面からでは……)
アルは右足を踏み込み、魔力を“刃ではなく足”に集中させる。
空中に跳び、レギオンの死角である背後へ。
「ここだッ!」
雷鳴のような叫びと共に、
魔力を纏った剣がレギオンの背中を突き刺す!
ギギギィィィン!!
衝撃でレギオンの巨体がよろめく。
初めての“よろけ”だが、これではまだ足りない。
「終わらせる……!」
アルは刃に全魔力を注ぐ。
禁じられた魔族の“真名解放”。
燃えるような黒紫の魔力が天へと昇る。
そして、再び跳ぶ!
「壊れろ!!」
剣が、レギオンの胸部装甲を突き抜けた。
咆哮とともに魔将の身体が崩れ落ち、
その魔力が空へと霧散していく。
沈黙。
あの恐怖の塊が、崩れた。
終わったあと
「……やったのか……?」
アルは剣を突き立てたまま、膝をついた。
そこへ駆けつけたのは、ティアラ姫。
彼女の目が、アルの傷と剣と、その血を見て言った。
「……無事だったのね」
「守りたい者がいたからな」
「その者は……誰?」
一瞬の沈黙。
「……死神さ」
ティアラはその場に立ち尽くす。
「アル……私……」
その言葉の続きを言う前に、
空から夜が、音もなく降りてきた。
そして、静かな語らい
その夜。
アルとティアラ姫は、王都の小さな礼拝堂にいた。
キャンドルの灯だけが揺れている。
戦いのあと。
静けさの中、ふたりは並んで座っていた。
ティアラ姫がハンカチで血を拭ってくれた。
「もし……生まれ変われたら?」
「貴女の隣に、最初からいられる存在に」
「私は、最初からあなたの味方でいたい」
涙ではない。
でもそれに近い、あたたかな想いが、
キャンドルの炎を揺らした。
「明日は、最後の戦いがあるわ」
「だから……この夜くらいは、何も言わず、傍にいてもいいか?」
ティアラはうなずいた。
ふたりはただ、肩を寄せ、
夜が明けるまでを心で繋いだ。




