第8話 裏切りの夜、燃ゆる誓い
アレルシア王都の空が、赤く染まっていた。
帝国軍が、突如として王国の東門を襲撃。
民の避難が間に合わず、火の手が回り、城門の石垣が崩れる。
その混乱の中、王族の避難も始まっていた。
しかしティアラ姫は、前線へ出ると言った。
「逃げてどうするの。私が立たなければ、皆は戦えない」
そう言って、姫は“母の形見”である銀の剣を手に取った。
その姿を、アルは黙って見つめていた。
(……このまま行かせれば、姫は戦場で死ぬ)
(いや、それでいいのだ。王族が死ねば、指揮は崩壊し、王国は魔界の支配に落ちる)
(魔王陛下のご命令。それが“最良の結末”)
アルは、そう理解していた。
魔族として冷酷に、非情に、正確に――
“助けない”という選択が、正しい。
「……姫。出陣なさるのですか?」
「ええ」
「……戦場に出れば、討たれる可能性も高い」
「分かっているわ。けれど、誰かが最初に立たなければ。
あなたのように、誰かを“守る者”になりたいの」
その言葉に、アルの手が僅かに震えた。
(なぜ、俺のような者を“守る者”などと呼ぶ)
(お前は知らない。俺がどれだけ、お前の死を望んできたかを――)
姫は背を向け、ひとり戦場へ向かった。
アルは、その背を見送る。
剣を抜かずに。声もかけずに。
(これでいい。魔族の本分を……俺は忘れてはならない)
だが
砦の上で、姫が帝国軍の弓兵に囲まれる光景を見た瞬間。
アルの心は、音を立てて崩れた。
(……姫が死ぬ。今、ここで――)
そして、不意に胸を締め付ける“痛み”があった。
それは魔族にはないはずの感情――
恐怖でも罪悪感でもなく、ただただ、
「彼女を失うこと」への絶望だった。
「……クソが……っ!」
アルは跳ね起き、鞘ごと剣を掴んだ。
風を裂くように、彼は跳躍した。
兵の群れをすり抜け、砦の石垣を駆け上がり、
矢が放たれる瞬間――
「ティアラ姫!!」
アルはその身を投げ出して、姫を抱き倒した。
矢が彼の背中に突き刺さる。
姫が目を見開く。
視線の先には、血を流すアルの顔。
その唇が、かすかに笑っていた。
「……無謀だ、お前は……本当に……」
「なぜ……どうして助けたの?」
「……知らん。たぶん……気でも触れたんだ、俺は」
(いいや、違う。これは裏切りだ。俺は魔界を裏切った――)
(それでも……)
「今だけは、貴女を、守る」
その言葉を最後に、アルは気を失った。
姫は、倒れたアルを抱きしめ、涙をこぼした。
夜の空に、火の粉が舞う。
“裏切り”によって救われた命と、
その代償に踏み越えた一線が、すべてを変えていく。




