第3話 忠誠の仮面、揺らぐ瞳
月は高く、城壁を白銀に照らしていた。
王都は静かで、風だけが梢を揺らしていた。
この夜、王女の随行兵たちはすべて休息に入っていた。
だが姫は、自ら申し出て、夜警の任に就くことを選んだ。
「では、私が同行しよう。姫一人では危険です」
アルの申し出に、姫は少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに小さく微笑んだ。
「ありがとう、アル殿」
それが、ふたりきりの“夜の巡回”の始まりだった。
城の裏庭を囲う柵沿いを、ふたりはゆっくりと歩く。
姫は鎧を脱ぎ、白い外套を羽織っていた。
戦場では見せなかった、少女のような静けさがそこにあった。
「ねえ、アル殿」
不意に呼ばれ、アルは眉をわずかに動かした。
「はい」
「あなたは、もしも戦が終わったら、どんな生き方を望みますか?」
「……私は剣しか持たぬ者。戦なき世には不要です」
「そうかな。あなたは、優しい」
「……優しさなど、戦場では命取りです」
ティアラは少しだけ笑った。風がそっとその髪を揺らす。
「私は、王の姫になるために育てられてきました。でも……本当は、“人としての幸せ”に憧れているの」
「……人としての、幸せ?」
「好きな人と共に、朝を迎え、夕餉を囲む。
雨音を聞きながら本を読んだり、花の名前を語り合ったり。
たぶん、それだけでよかった。けれど、それは許されない立場なのよ、私は」
アルは、返す言葉を失っていた。
(それは、弱さだ)
そう思った。言葉にもした。
「それは……弱さです。姫には、国と民を導く責任がある」
「ええ、わかってる。でも、あなたは私の言葉を否定しない。怒らない。不思議な方」
ティアラは笑みを向ける。
その笑みが、アルの胸をわずかに貫いた。
(なぜ、怒れない? なぜ私は、彼女の夢に……共鳴している?)
忠誠。任務。魔王の命。
すべてを守るために、人間の感情など、とうに切り捨てたはずだった。
(私は何をしている?)
これは情か? それとも、ただの錯覚か?
アルは、自らの仮面がきしむ音を、確かに聞いた気がした。
やがて巡回が終わり、ふたりは庭園の門に立った。
ティアラは立ち止まり、空を見上げた。
「ねえ、アル殿。
あなたは、私の心の声を、いつか忘れてしまうと思いますか?」
「……忘れられないでしょう。たとえ私が忘れようとしても」
それは、まぎれもない本音だった。
その瞬間、アイゼンハワードの“仮面”には、確かな亀裂が走った。




