第1話 魔界より来たる者
かつて、魔界と人間界は、互いの存在を“毒”と呼び合い、
果てなき戦いを繰り返していた。
契約も和平も、幾度となく破られ、血は大地を赤く染め、
空に昇る魂は、もはや数えることさえできなかった。
その最中
魔界の中心、“深黒の玉座”に座す魔王は、静かに命を下した。
「アイゼンハワード・ヴァル・デ・シュトラウス。お前に命ずる。
人間の王国に潜入し、内から崩壊の種を蒔け」
玉座の間に響いたその声は、重く冷たく、情の一片もなかった。
だが、命じられた者アイゼンハワードは、口の端を静かに持ち上げた。
「御意に。すべては、魔界の栄光のために」
胸に拳を当て、跪くその姿は完璧な忠臣。
だが、その内には、別の野望“王すら欺く野心”が燃えていた。
■■
その数日後。
アレルシア王国、北の国境付近。
夜明けと共に、異国の傭兵“アル*が、国境の砦に現れた。
金の瞳に長身、洗練された剣の技と完璧な礼節。
「魔族にしては人間らしすぎる」と後に語られるその男こそ、
アイゼンハワードの“仮の姿”だった。
「名はアル。失った祖国の名を問われるのは苦しい。身一つで剣を売って生きてきた」
そう語る彼に、誰も疑念を抱く者はいなかった。
人間は、思っていたよりも単純だ。
アルは内心でほくそ笑む。
【第一の任務:王女に接近せよ】
それが命じられた最初の任務だった。
美しくも高貴な王姫セーラ・ティアラ・アレルシアに接触し、
王族の足元を揺るがす情報を引き出すこと。
そのために、アルは“兵団傭兵”として、王都へと向かう。
「女など、所詮は情に脆い生き物だ」
「笑顔と礼節、そして少しの詩でも読んでやれば、容易い」
若きアイゼンハワードは、そう高を括っていた。
あのときまでは。
だが、彼はまだ知らなかった。
その女が、
その王姫が
魔界の魔王ですら屈しなかった“誇り”を持つ正しき者であることを。




