第4話 魔法の鈴と、裏切りの契約書
ミヤザキの油津の海に、少し早めの秋風が吹いた。
理髪店「理髪 なつこ」には、どこかよそよそしい空気が漂っている。
その日、アルことアイゼンハワードは、予約もなしにふらりと髭を剃りに訪れた。椅子に座る彼に、白衣のなつこはいつものように微笑む。
「少し…伸びてるわね、アルさん。今日はヒゲを剃りましょうか」
彼女の指先がクリームを顔に乗せ、手馴れた動きでカミソリを滑らせる
かに見えたその瞬間、
銀のカミソリの刃が、アイゼンハワードの喉元にピタリと止まった。
「なつこ……?」
「……私、町を守るために“悪魔と契約”したのよ」
声が震えていた。
いつもの柔らかい口調ではなく、過去に何度も涙を飲んできた者の声だった。
「この店もね、天道組に脅された。断れば、家族を人質にされるって。
借金も背負わされた。私はね……アルさん、もう、どうすればいいかわからなかったの」
そのまま、手元の剃刀をぐっと力を込めて当てる。
「私のこと、もう信じられないでしょう? だったら……ここで終わりにして」
「やめなさい、なつこ」
アルの声は低く、だが確かな重さを帯びていた。
「俺の首を掻っ切って償うつもりか? 魔界の貴族の命を奪ったって、お前の罪は消えやしない」
しばし、沈黙。
その時だった。
天井に吊るされた、あの小さな魔法の鈴が風に揺れて、音を立てた。
カラン♪
二人の間に、切ない音色が落ちた。
「この魔法の鈴を鳴らした人と、結婚するの……なんて、馬鹿なジンクスよね」
「そうか? 俺は嫌いじゃねぇよ。人を信じたいって想いが込められてるからな」
なつこは目を伏せ、唇を噛み締めた。
「私は……きっと、誰かに赦されたいだけだったのかもしれない。
でも、本当に守りたかったのは、この町で笑って暮らす人たちだった。
それが、私の嘘じゃなかったって……証明したいのよ」
アルは、立ち上がって鏡を見た。
「じゃあ、その魔法の鈴に誓え。お前の心が嘘じゃないと」
なつこは涙をこぼしながら、深く頷いた。
その夜。
港の高台にある旧庁舎で、白牙リアルエステートと天道組による“契約調印式”が行われようとしていた。
古い商店街の土地はすべて整理され、リゾートマンション建設の準備が整っている。
だが、会場にアイゼンハワードが現れる。
漆黒のマントをはためかせ、彼は言い放つ。
「この契約書には“血”が足りねぇ。つまり住民の魂が入ってねぇんだ」
空気が張り詰めた。
「この町に生きてる人間たちの想いを、そんな紙切れ一枚で塗り替えられると思うなよ」
かつて魔王軍四天王だった男、アイゼンハワード・ヴァル・デ・シュトラウス。
彼が静かに、しかし確かにこの町を守るために、立ち上がった。




