【最終話】別れの江ノ電駅~旅の終わりと、心の残響~
江ノ電・由比ヶ浜駅の売店脇。
「おっちゃん、一本百円ね。冷えてるよー」
ガラガラと音を立てて氷が詰められた桶の中には、串に刺さった冷やしキュウリが並んでいた。
「一本くれ。いや、やっぱ二本」
アイゼンハワード、通称“アルおじさん”は、魔界の元貴族。
だが今は、地上で孫のカズヤの恋路を見守る、ただの旅のおっさんである。
ひと口、ポリッとかじる。
「んー……沁みるわい。
この夏は、花火と、涙と、冷やしキュウリか……」
口元に浮かべた笑みは、ほんの少しだけ寂しそうだった。
ホームでの別れ
「……ほんとに、行っちゃうんだね」
江ノ電の電車がホームに入ってくる音を背に、智子がポツリとつぶやいた。
Tシャツに短パン。今日の彼女は飾り気もないが、なぜか一番綺麗に見えた。
「行くよ。トキオーに。仕事もあるし、生活もあるし……何より、挑戦したいから」
カズヤの表情は、どこか吹っ切れたようにも見える。
「でもさ」
智子が続ける。
「トキオー、怖いの。……私は、ここにまだいたい。
風の匂いも、朝の海の音も……あんたと歩いたこの場所も、まだ全部、忘れたくない」
「……わかってる。無理に連れていこうなんて思ってない」
電車のドアが開く音が、ふたりの会話を遮った。
沈黙。
「なあ、もう一回だけ、言っていい?」
「……なに」
「好きだよ、智子」
智子は答えなかった。ただ、じっとカズヤの目を見て
そっと背伸びをして、彼の胸に額を押し当てた。
「バカ」
それが彼女なりの“さよなら”だった。
江ノ電内にて
カズヤは席に座り、うつむいたままポケットからスマホを取り出す。
開いたメッセージアプリには、
《From:長瀬智子》
《また、来てね。ブルーハワイ用意して待ってる》とだけ書かれていた。
途端に、涙があふれてきた。
そこへ、アイゼンハワードが乗り込んできて、隣に腰を下ろす。
「お、おじさん!?なんで……俺、もう恋なんてしない」
「泣いてたろ。腹から泣け。こらえるな」
カズヤが大声で泣き始めると、アイゼンハワードはその背中を優しく撫でながら言った。
「恋しない、なんてな……
何千遍も失恋した男女が言う言葉なんだよ」
「うっ……ひっく……!」
「恋ってのはな、傷ついた方が勝ちなんだ。
のたうち回って、叫んで、恥ずかしくて死にたくなるくらいのが、
ほんとの恋だ」
カズヤの肩に、夏の夕日が射していた。
江ノ電はゆっくりと、海沿いを走っていく。
ふたりの影が、座席の窓に長く伸びていた。
「じゃあな。俺は、ここで降りるからな」
駅を離れた後、アルおじさんはベンチに腰を下ろし、最後の冷やしキュウリを一本をゆっくりと食べた。
「まったく……若いってのは、ええのう」
ひとり言のようにつぶやいて、立ち上がる。
潮風が吹くホームに、ポリッという音がひとつだけ響いた。
この夏は、
花火と、涙と、冷やしキュウリ。
魔族の470歳、孫の恋と成長を見届けて
次なる旅へと、歩き出す。
『アイゼンハワードの魔族のおっさんはつらいよ3~花火と涙と、冷やしきゅうり~』
【完】




