第2話 最悪な女と、湖畔での出会い
江ノ電・由比ヶ浜駅。
夏の潮風と、人混みと、焼きとうもろこしの香り。
ここは“人間界の夏”が最も騒がしく、最も甘酸っぱい場所のひとつだ。
「長瀬、先輩まだかな……」
カズヤは駅前でスマホを確認しながら、伸びそうなネクタイを引きちぎりたくなっていた。
仕事の疲れも残ったまま、なんとかこの場所まで来たのだ。
だが、そんな思いを吹き飛ばすように、
目前に現れた“それ”は、想像よりずっと危険だった。
「はぁ〜やっと着いた……まずは冷たいもんでも……」
カズヤは海の家のキッチンカーで、ラムネアイスバーを手にする。
ちょうど1本だけ残っていた。
「お兄さん、これ最後でーす!」
「ラッキー」
と、カズヤが手に取ったその瞬間――
「それ、あたしが先に目ぇつけてたんですけど?」
声の主は、後ろにいた一人の女性。
浴衣姿、紫陽花柄、涼やかな色合い……なのに、口調は真逆だった。
「えっ……あ、すみません、でも店員さんが──」
「視線の予約は受け付けてないってワケね。ふーん。
ま、いいけど。世の中、鈍感な人間多いからね?」
「はぁ……?」
小さな火種が、アイスバーの棒に火をつける。
「ったく……せっかく祭りでテンション上げようと思ったのに……ツイてないわ……」
「いや、僕だって……別に好きでこんなとこに……」
「へぇ? じゃあ来なきゃよかったんじゃないの、会社の犬くん」
「会社の……犬……?」
その瞬間、カズヤの中のなにかが、ブチッと切れた。
「おーい! おまたせー!」
そこへ走ってきたのは、大学の先輩・長瀬達也。
「カズヤ! よく来たな! って……おお、妹も一緒にいたのか?」
「……え? 妹?」
「おぉ紹介する! こっちが俺の妹、長瀬智子。こっちがカズヤ、大学の後輩」
「…………」
「…………」
「「ええええぇぇぇぇぇええええ!?」」
アイスバーをめぐって口論した女が、まさかの「先輩の妹」。
そして先輩が言っていた「紹介したい女の子」とは、まさかのこの人だった。
「ふん。やっぱり“会社の犬”だったんだ、紹介されるなんて。失笑モノ」
「……こっちだって紹介されるのがキャンキャン吠える犬だとは思わなかったですよ!」
「なにそれ!?」
「そっちこそ!」
「お前ら、うるさい! 仲良くしろ!」
完全に空気を読まない達也の笑い声が、波音と混ざって響く。
一方その頃、
魔界の老魔族・アイゼンハワードは、
フィルムカメラ片手に琵琶湖畔を歩いていた。
「やっぱり光の当たり方が地上とは違うんだよな……この水面の揺らぎ、実にいい」
そのとき、
湖の石段から足を滑らせ、バシャッと水を浴びる音がした。
「きゃっ、いたた……」
振り返ると、そこにいたのは一人の中年女性。
髪をひとつにまとめ、日焼け止めも塗りすぎず、
肩にはカメラバッグどうやら“撮影旅行”らしい。
「あの、大丈夫ですか? 奥さん」
「……あ、ええ。ちょっと足をひねっただけで……」
「ほれ、肩貸しますよ。年の功ってやつだ」
「まぁ、なんて優しい貴族さま……」
にっこり笑う彼女の名は蘭子。
聞けば、主婦でありながら、年に一度だけ“自分の時間”を過ごす旅に出ているのだという。
その日から、アルおじさんと蘭子の“ひとときのカメラ旅”が始まる。




